「サポーター論」を喚起し参加することに意味はなく、むしろちょっと損だと思う理由。
僕はサポーターかもしれないし、サポーターでないかもしれない!

先日、僕はテレビ東京の「FOOT×BRAIN」なる番組を見ました。そこで展開されていたのは「サポーター論」なるもの。日本代表サポーター集団・ウルトラスニッポンの代表氏や、世界各国のサポーターを自認するオジサンたちが登場し、よい応援とは何か、勝利に導く応援とは何かを議論していたのです。

外国人サポーターから寄せられる「選手に甘い」「応援ではなくロボットのように歌っているだけ」という意見。それを受けてウルトラス代表氏も「応援じゃなく楽しみに来ているだけの人もいる」「選手が近くに来ればカシャカシャ写真を撮り始めるし」「アイドルのLIVE感覚で来ている」と追随するかのような意見。いわゆるニワカサポーターであったり、特定の選手につく追っ掛けのような観客に対して、サポーターとしてはどうなのかという疑問符が投げ掛けられます。

ウルトラス代表氏は「こうした議論が80年代から2回ほど繰り返されている」「またそういうターンに来たなという感じ」「日本代表の試合は、最近お客さんはたくさん入っているけれど愛を感じなくなってきている」と現状に否定的。司会の勝村さんも「モノが成長するときそういう難しい時期が来るよね」と追随。現状を憂うムードが番組の方向性となっていきます。

その後のチャント…いわゆる応援歌についてのトークでも、海外クラブには過激で危険な歌詞の応援歌も多いことを紹介し、代表氏は「迫力がある」「それは女の子がいないからだ」「女の子がスタジアムに来れる日本は素晴らしい」「隣の芝生は青いみたいな感じで、いいところも悪いところもある」と語ります。言及はされていませんが、そこには過激で危険…男たちが集う無骨な雰囲気への憧れのようなものを感じました。先の「アイドルのLIVE感覚で来ている」人たちへのカウンターパンチのような感情を。

↓代表氏:「日本代表の試合はアイドルのLIVEを観に来ている感じ」


嵐ファンとかに「なめんな」って怒られそうだな!

彼らは使う金もチケット争奪戦も半端じゃないぞ!

まぁ、さすがにドバイ公演とか南アフリカ公演とかはないだろうけどw

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当然、こうした意見を聞けば別の意見が飛び出します。

アイドルのライブ感覚で来て何が悪いのか。アイドルのライブはもっと体力的にもハードだぞ。サッカーを知らないと見ちゃいけないのか。大声で歌を歌わないと応援じゃないのか。会場でお金をたくさん使うことだってサポートだろう。周囲を巻き込んで支援者を増やす活動もする人もまたサポーターだろう。どんなスタイルだっていいじゃないか。…そんな意見で収集がつかなくなります。

それぞれの胸の中に、あるべき応援のスタイルがあり、あるべきサポートのスタイルがある。「サポーター論」はそれをぶつけ合うことになるので、どうしても反発が反発を生む不毛な議論になります。愛の形や、愛の深さを、誰かのモノサシで測られることには納得がいきませんからね。

ただ、僕はそうした議論をすることそのもの…意見の内容ではなく、「サポーター論」そのものが不要・不毛であろうと考えています。最近のように日本代表などがグッと盛り上がる時期に、雨後のタケノコのようにしぶとく「サポーター論」が出てくることが実は、みなが応援したい愛したい日本代表などの足枷になっているのではないかと思います。

結局「サポーター論」とは何か。

それは「俺はどういうヤツがいいサポーターだと思っているか(≒どういうヤツは悪いサポーターだと思っているか)」という意見交換であり、もっと突き詰めれば「サポーターとはこういうヤツのことだ」という定義づけの議論です。

ゴール裏に居て大声で歌い跳びはねている人、これはまず間違いなく「サポーター」なんでしょう。その点についてはほぼほぼ同意を得られるに違いありません。さて、そこからどんどん離れていくと、どこまでが「サポーター」なのでしょうか。

●主導的役割を果たし、応援歌やコールを先導している人
●選手にも知り合いが多い皆勤賞の人
●よくゴール裏で跳びはねている人
●よくゴール裏にはいるけど歌わず、跳ねない人
●よくゴール裏にはいるけど座ったままの人
●よくゴール裏にはいるけど特定の選手だけを見ている人
●メイン・バックスタンドにいて歌わず跳ねない人
●メイン・バックスタンドにいて飲み食いして雑談している人
●スタジアムにはいるけどユニフォームを着ていない人
●スタジアムにはいるけどどちらが勝ってもいい人
●スタジアムにはいるけど今日初めて観戦に来た人
●スタジアムにはいるけどデートで来ているだけの人

このあたりまではサポーターなんでしょうかね。でも、急進派からすると、「はじめて来た新参なんかサポーターじゃねぇよ」と言われるのかもしれませんね。

●スタジアムにおらずテレビで試合を見ている人
●海外からテレビで試合を見ている人
●病院からテレビで試合を見ている人
●試合はライブで見ていないけどニュースは気にしている人
●あとで新聞や雑誌で結果をチェックする人
●チームが勝っているときは結果が気になる人


このへんは「サポーター論」の中では対象外になりそうですね。そもそもサポーター論ってのは「スタジアムでどうするか」みたいな議論になることが多いですからね。でも、日本にいるマンチェスター・ユナイテッドのサポーターとかは、納得いかないでしょうね。「お前オールドトラフォード何回来てんの?」「学生時代に一回来ただけ?今はテレビで見てんの?」「けっ、お前なんかサポーターじゃねぇよ!ただの金づるだ!」と言われたらカチンと来るでしょうね。

●スタジアム・練習場の近くで飲食店をやっている人
●スタジアム・練習場の近くで道路を清掃している人
●スタジアム・練習場の近くで花壇の手入れをしている人
●スタジアム・練習場の近くに住み、もらった応援ポスターを家の壁に貼った人
●いわゆる「ただの地元の住民」


うーん、この辺は「サポーター論」で言うと完全にサポーターじゃないですね。サッカー好きかどうかもアヤしいですね。でも、練習場の近くのおでん屋のおばちゃんとか、「あたしサッカーとかわかんないの!」「この子らは息子みたいなもんだから」「何やってるかわかんないけど、美味しいおでん食べさせたいだけ!」って言ってたら、サポーターっぽいですよね。少なくとも選手側からは「おばちゃん、いつも支えてくれてありがとう」って気持ちが生まれるでしょうね。

●ワールドカップとオリンピックは何となく見るけど、普段はまったく興味も関心もない人
●Jリーグは全然見ない、サッカーにも興味がない人
●そもそもサッカーというスポーツの存在も知らない人
●むしろサッカー嫌い
●「渋谷の交差点で騒いでいるのはお前らか」と普段から怒っている


これは「サポーター論」で言うと完全に対象外ですね。ニワカにすら至っていません。スタジアムで試合を見ることも、テレビで見ることもなく、何かイベントでもやろうものなら反対運動くらい起こすかもしれませんね。下手をすれば「サッカーの敵」という認定をされかねません。

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さて、こうしたいろいろな人を想い浮かべると、それぞれの胸に「これはサポーターだけど、これはサポーターじゃない」という区別が生まれるはずです。問題はその区別です。スタジアムの中での応援スタイルの是非を巡っては、あまり応援歌やコールを強制するとニワカの人に対する「排他的な雰囲気」が生まれると懸念する声があります。しかし、それを否定し「どんな応援スタイルでもいいじゃないか!」と主張する穏健派にしても、結局「サポーター論」に与することで、サポーターとは何か定義づけをすることになります。

「こういう人はサポーターだ」と決めることは、すなわち「こういう人はサポーターじゃない」と決めることです。サポーターを自認する人が、内側から定義づけを発信する行為が「サポーター論」と呼ばれる議論です。それを外野から見た人は「俺はサポーターじゃないんだ」という定義を押しつけられ、内側に入っていくことをためらうでしょう。拒否されたように感じるでしょう。急進派にしろ穏健派にしろ、サポーターとは何かを論ずることそのものがすでに「排他的」なのです。排他的にならざるを得ないのです。

今この瞬間、サッカーが嫌いな人は、本人も「俺はサポーターじゃない」と思っているかもしれません。しかし、明日急に変わるかもしれない。そして明後日、やっぱり違うなと思うかもしれない。そんなフラフラしたものを定義づけて縛る必要はありません。

そもそも「サポートする人」という語感から言うなら、例えサッカーが大嫌いな人でも、選手の生活に関わっていたり、「自分たちのこういう部分が嫌われることがあるのか」という気づきを与えたり、何の役にも立たないとは限らないでしょう。どんなものからでも学ぶことはできるのです。「助けられたな」と思うかどうかは、受け止める側の心持ち次第でしょう。

自分の中に「かくあるべき」という理想論があるのは当然でしょうが、それをぶつけ合ったり、集約したりする必要はないはずです。自分の思うままに理想の姿を追い求めるだけでいいじゃないですか。わざわざ言葉にして、不確定なものを排除する必要はありません。日本国民全員、いや世界全員を受け入れられるように、できるだけ間口はガバガバにしておくほうが得なはず。排除するのは「暴れるヤツ」など、社会生活一般において、メシ屋でも映画館でもどこに行っても排除される人だけでいいはずです。

↓同じ構造をパイナップルに当てはめてみた!
●パイナップルサポーター急進派(コアパイサポ)の考え
・最近の若い連中はパイナップルをデザート感覚で食べている
・俺にとってパイナップルは主食、パイナップルは人生
・俺は世界中のパイナップルを食べ歩いている
・3食パイナップル、24時間パイナップル
・パイナップルは男の食い物
・パイナップルは皮まで食うべき
・パイナップルの葉っぱみたいな帽子、被ってますから
・お前ら、パイナップルは立って食え!
・お前らはパイナップルへの愛が足りない!
・何!?スーパーで剥いた丸い輪っかしか知らねぇのか、ニワカが!

●パイナップルサポーター穏健派(ライトパイサポ)の考え
・デザート感覚でもいいじゃないか!果物だもん!
・パイナップルの愛し方にはいろんな形があるはずだ
・実戦的貢献(パイナップル農家を応援する)⇒全国の農家を訪問し、地道に声掛け。美味しいパイナップルへの感謝を伝える
・経済的貢献(パイナップルを買って食べる)⇒より高いパイナップルを買うことで、パイナップル市場を拡大
・布教的貢献(パイナップルサポーターを増やす)⇒パイナップル料理のレシピを公開して美味しさを知ってもらう。パイナップル入り酢豚を街頭で試食させ、パイナップルを入れた方が美味いことを知ってもらう

●パイナップルサポーター超穏健派(メインスタンドサポ)の考え
・別にどんな食い方でもいいじゃん
・パイナップルが美味ければ
・みんなパイナップル好きだろ!じゃ仲間だよ!
・コアパイサポうぜぇ
・パイナップルは静かに食えよ
・フォークを振り回すな!
・俺はメロンも好きだし、マンゴーも好き

<<<<<<パイサポと非パイサポの壁>>>>>>

●非パイナップルサポーターの考え
・パイサポって何?
・いや別に入りたくもないけど…
・たまには食べてみようかと思ったけど、売り場の人が面倒臭そう
・パイナップル愛とか考えたこともないわ
・自分がパイナップルにどんな貢献ができるか…って知らねーよ
・1年に1回くらいは食べるかなー程度ですけど
・じゃ何、私は食べちゃダメなの!?

この世界、不毛極まりないなwwwwwwwwwwww

パイナップルでコレやってる人とか、ナスビでコレやってる人とか、ラーメンでコレやってる人とかいたら、ちょっと怖いwwwww

しかも、パイサポのメインテーマは「パイナップルの正しい食べ方」だからね!

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最近は日本代表の試合が盛り上がっています。お客さんも多く、チケットも完売するとか。6万人もいれば、そりゃあいろんな人がいるでしょう。気に入らない人、自分の理想と違う人もいるはずです。だからと言って、それを排除してどうなるのか。自分の理想と違うことに憤ってどうするのか。「ブームは必ず弾ける」「ニワカはすぐ去る」「所詮アイドルのLIVE感覚」と憤ることは、せっかく膨れたものを性急に弾けさせるだけ。

人気が盛り上がるたびに、こうした「サポーター論」がわき起こるのは、内側からの理想の押しつけだと僕は思うのです。決してブームに乗って来場した新規ファンのせいではない。新規ファンは何も悪いことなどしていない。迷惑なヤツは新規だろうが古参だろうが迷惑。だから思うままに楽しめばいい。そして、自分の楽しみ方が変わったなら、それに従えばいい。「サポーターであるか、ないか」「サポーターとは何か」「正しいサポーターのあり方」なんてものを決めることに意味はない…僕はそう思うのです。人生は自由、人生は人それぞれで、正しい形などないように。


僕はビール飲みつつ、シーソーゲームを願い両方応援するのが好きです!