「自信があるなら、具体的に書けばいい」 清水英斗氏が語る「試合を観るチカラ」

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 「9割の人はなぜサッカーの見方を間違えるのか?」。刺激的な文言が踊るオビが印象的なのが、サッカーライター・清水英斗さんが上梓した【サッカー「観戦力」が高まる】だ。2012年02月19日現在で5刷を記録、この種のサッカー本としては売れに売れまくっている。

 挑発的なオビとは裏腹に、内容は極めて真摯にサッカーの見方を問い直すものだ。清水さんは「これが絶対」という言い方はしない。しかし、テレビなどを通じて流布される解釈だけでは一面的すぎるため、清水氏は個々がさらに深い視点を得ることの重要性を主張している。

 「分析する」とは、「一面的な見方から解放される」ということでもある。実際、サッカー選手が一瞬の間に処理する情報量は、テレビで傍目から見ている人間の想像を絶する。シャビ(バルセロナ)、遠藤保仁(ガンバ大阪)ら名手の例はもちろん、この書籍を読むことで「あのプレーにはそういう意図があったのか!」と発見することは多いだろう。
 
 2006年時点でサッカーを「今現在の半分もわかっていなかった」と語る清水氏が、試合の分析原稿を書くまでに得た幾つもの驚きが、この本には詰まっている。その驚きを共有したとき、読者には新たなサッカーの見方が提示されるはずだ。「当時こう評価していた出来事は、実はこうも考えられる」という視点を得たとき、それは歴史の再評価につながる。
 
 この書籍、いったいどういう経緯で制作されたのか? 香川真司、本田圭佑、長友佑都といった海外組への分析、そして清水氏が人間として尊敬してやまない岡田武史・前日本代表監督(現杭州緑城/中国)について、合わせて話を伺った。



■つまらない試合は1試合もない
――本書を出版された動機について教えて下さい。

清水英斗(以下、清水) まえがきにも書いたのですが、サッカーライターになってから一番驚きを受けたのが、きちんと勉強しているプロの指導者や元選手の考えるサッカーのセオリーは、当時の僕が思っていたことより、そして僕がメディアで読んでいたものより、はるかにレベルが高くて細かかったということですね。僕は東京都リーグ2部でプレーしていたのですが、(サッカーについて)あのときは今の半分ぐらいしか知らなかったなと、思います。

 林雅人さん(元フィテッセユースコーチ/オランダ)に聞いたのですが、彼がオランダに留学した際、オランダ人が言っている内容がまったく理解できなかったそうです。言葉ではなく、サッカーの内容、戦術のレベルが高すぎて。そして数年後、その林さんにお会いして、そういった戦術話を聞いた僕自身も、やっぱりわけがわかりませんでした(笑)。

――具体的には、どういった部分ですか?
 
清水 例えばポゼッション(編集部注:ボール回し)のセオリー。ボールを保持するときにサイドバックの位置を高くしたり、ウイングを高く張らせて幅を広く使うとか。あとはシステム論。お互いのチームのシステムのかみ合わせによって、ポイントになるポジションなどは変わってくるんですが、そういうことをすべて前提として話してくるんです。
 だけど僕にはその前提がないので、言ってることが全く理解できないと。自分がやっていたことって、極端にいえば「見えた人、フリーな人にパスを出す」だけのポゼッションというか。意図的な部分、駆け引きをする部分が少ないというか、状況判断のレベルが子供のままだったなと思うんです。
 
――実際にプレーしていても、「プロの見ているレベルは違う」と実感されたわけですね。
 
清水 その視点から見直すと、今まで見てきた試合も実は半分ぐらいしかわかっていなかった。衝撃的な体験でした。それから仕事を通じていろいろ学んでいくうちに、「この驚きをまとめてみたい」と思った。それが出版のきっかけです。
 
――出版してかなり反響があったと思いますが、印象的なものはどういったものでしょう?

清水 「試合を見に行きたくなった」という反響ですね。Jリーグが終わってクラブワールドカップも閉幕した頃に出版された本なので、「Jリーグを迎えるのが待ち遠しい、早く試合を見たくなった」という人が多くて、それがうれしかったですね。

 これは持論なんですが、つまらない試合って1試合もないと思ってるんですよ。もしそう思うなら、それは自分に見る眼がないだけ。どんな試合でも、例えば0-10で負けてるなら「1-10にするにはどうしたらいいか?」とか。そういうことを考えながら見ていたりします。
 
――10点も取られたチームの選手って、だいたいがやる気を無くしてますよね。それをいかに奮い立たせるか、ということですか?

清水 例えば「すごい監督ならどうするか?」と考えるのも面白いでしょうね。フース・ヒディンクなら、ジョゼップ・グアルディオラなら、あるいはジョゼ・モウリーニョならどうするか。そういう観戦力というか思考力に深みが出てくると、つまらない試合は1試合も無くなるんですよ。
 
――なるほど。この本は、どういう人に手にとってもらいたいですか?
 
清水 サッカーに興味を持つ人なら、誰にでも、ですね。図解がないので、とっつきにくさもあるかもしれません。ただ、個人的には図というのは理解を助ける資料ではありますが、ウソがあるとも思っています。
 
――というと?
 
清水 プレーヤーを人形で書くにせよ丸型で表示するにせよ、ピッチの大きさと人間の比率って全く正確ではないですよね。実寸で書いたら、ピッチに対して人間のサイズは豆粒ぐらいに小さい。でも、そのままの比率で書いても訳がわからないから、大きくするわけですよね。
 
――理解を助けるためにデフォルメしている部分があるから、実際は正確ではないと。
 
清水 あるいは選手の身体の向きもそうです。仮に身体の向きを図に書くことはできたとしても、「どちらに重心があったのか」までは表現しきれない。だけど、そういう細かい情報によって局面の考え方って全然違うんです。そう考えていくと、図は参考程度でしかなくて、そのように割り切って読んでもらえれば有効だと思いますけど。また、図は文章を読むリズムを邪魔する要因にもなりますし、本書にも図を入れるか入れないかは、制作サイドで議論になっていました。

――サッカーに興味を持ち始めた人が読むとすると、どういう点がアピールすると思いますか?

清水 難しい言葉を使っていないことですね。例えばアタッキングサード(※フィールドを3分割したゾーンのうち、相手ゴール側のゾーンのこと)という言葉などは、使うとしても必ず注釈を入れるとか。言葉遊びにならないよう、気をつけました。割と、言葉遊びに終始してサッカーを語っている「つもり」になるケースが多いような気がして。
 
――確かに、難しい表現を弄ぶのは一種の逃げでもありますよね。
 
清水 内容に自信があれば、抽象的にする必要なんかないんですよ。具体的にそのまま書けばいい。「バイタルエリアから流動的で美しいボール回しサッカーが〜〜」みたいな書き方に、いかに中身がないか。そういう表現を排除して、具体的に書くことを心がけました。だから、誰が読んでもそんなに解釈は変わらないと思います。具体的に書かないと、今ある感覚を覆すことはできないですから。
 
――5回も増刷のかかった大ヒット作になっていますが、その要因はシンプルな言葉にあると。
 
清水 そう思います。僕は理系の人間なので、物事の真理を追求することが大好きなんです。サッカーの真理、というものを追求したくなる。世の中にはいろんなタイプの監督がいるけど、グアルディオラみたいにコンセプトを構築していくことに優れた監督もいれば、それを壊すことに長けた監督もいる。セオリーに囚われた人もいれば、セオリーを打ち壊す人もいる。そういう本質をあぶり出すのがすごく楽しいし、それを見ていくにはサッカーを見る力が必要ですし。 

 それはサッカーに限ったことではなく、実際の生活でも仕事でもそうですよね。セオリーをそもそも意識しないで失敗ばかりする人、セオリーに縛られてしまう人、セオリーを知った上であえて冒すことで結果を出すスーパーな人。ピッチ内に現れる事象の観戦力は、サッカー以外でも本質を見る観察力に直結すると思います。

<つづく(明日更新予定)>

清水英斗(しみず・ひでと)
1979年12月1日生まれ、岐阜県下呂市出身。
プレーヤー目線で試合を切り取るサッカーライター。ドイツやオランダ、スペインなどでの取材活動豊富。ライターのほか、ラジオパーソナリティー、サッカー指導、イベントプロデュース・運営も手がける。過去には東京都リーグ2部でプレー。現在も週に1回は必ずボールを蹴っており、海外取材の際には、現地の人たちとサッカーを通じて触れ合うのが最大の楽しみとなっている。twitterIDは@kaizokuhide