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実はスペインロケに出ていたため、2週間ほどコラムもお休みを頂いていました。
まあ誰も待ってないとは思いますが、
今週からまた再開させてもらいますのでよろしくお願いいたします。

さて、せっかくスペインに行ってきたので、
たまにはデータ系の話題ではなく、ロケのお話でもしようかなと思います。
私も番組の性質上、年に2回くらいは海外ロケに行かせてもらっているのですが、
やはり何でもキッチリしている日本とは違って、海外の場合は
なかなか行ってみるまで取材の可否がわからなかったりする場合もままあります。
例えば、2007年に当時スウェーデンのマルメに所属していたリトマネンを訪ねた時は、
急遽足の治療ということで取材予定日にフィンランドへ帰国してしまい、
一応確保しておいた翌日の予備日で何とか取材できた、ということもありました。

そんな中でも、特にスペインはラテンの国だけあって、
各クラブも1週間後のスケジュールなんて全然決めてない場合がほとんど。
直前にならないと、どの日に取材できる可能性があるかすらもわかりません。

今回、我々はエルクレスという今シーズン昇格してきたクラブに
パラグアイ代表のネルソン・アエド・バルデスが移籍してきたので、
是非ともワールドカップの日本戦後、駒野選手にどんな言葉を掛けていたのかという
真相を聞きだすべく取材申請をしていたのですが、
案の定クラブからもハッキリとした返答はなかったため、
こちらが取材申請をしていた日の前日、
見切り発車的にエルクレスの本拠地であるアリカンテに移動していました。

同行してもらっているコーディネーターの方は、
何度となくクラブに電話を掛けていたものの、
17時にならないと事務所は開かないというアナウンスばかりとのこと。
ただ、17時になっても一向に電話が繋がらなかったんです。

ここでスペインの時間的な感覚を説明しておくと、この時期の日没は大体21時前後。
なので10時から14時くらいまで働いて、
14時から17時くらいまでシエスタと呼ばれる昼食&お昼寝タイム。
で、17時から20時くらいまで再び働くというサイクルがある程度確立されています。

ようやく事務所の電話が繋がり、翌日の練習があることは確認できたので、
最悪広報とアポが取れなくてもとりあえず練習に押し掛けて
やっちゃいましょうという話になりました。
(実際、その形で成立したロケも結構あります)

街の雑感撮影後、向かったのはエルクレスのホームスタジアム、
エスタディオ・ホセ・リコ・ペレス。
インタビュー時に視聴者プレゼントとしてサインをもらうためのユニフォームや、
個人的なお土産も購入した後、クラブ事務所もスタジアム内にあるということがわかったので、
直接広報に明日の練習時間の確認やインタビューの話をしておこうと事務所へ入ると、
受付には長蛇の列ができており、電話もリンリン鳴りっぱなし。

実はこの2日前のゲームにおいて、
エルクレスはカンプノウでバルサを破るという快挙を成し遂げており、
その影響からかシーズンチケットの更新と、週末に開催されるホームゲームの
チケット入手のための人が押し寄せて、大わらわになっていたんです。
しかもそんな状況にも関わらず、受付には女性が2人。
その内1人はあまりの忙しさから明らかにやる気を失っており、
なんと電話を掛かって来るそばからガチャンガチャン切ってたんです。
そりゃあ我々の電話も一向に繋がらないわけですわ。

で、20分ほど待つと忙しそうな広報が登場し、驚愕の発言。
「急に今日練習があって、明日の練習はなくなったのよ」
え〜〜〜〜〜????
当然我々も1週間以上前から、メールで確認はしてたんですよ。
取材可能な日は火曜日しかないから、練習があるかないかだけでも
教えてもらえるようにずっと言ってたのに…
でも、「土日はメールを見てなかったから」とか言われちゃったんです。
いやあ、ありえない。でも、どうしようもありません。

もはやここまで。ほとんど諦めかけた頃、広報が意外な一言を。
「今日これからバルデスは地元のTV局でインタビューがあるけど…」
うおーい。
「ここに一旦来てからTV局に向かうことになってるの」
いやいや、そうしたら接触はできるかもしれません。

そもそもはポルティージョとトレゼゲにもインタビュー申請出してたんですけど、
やっぱり今回のメインはどうしてもバルデスだったので、
コーディネーターの方に何とか短い時間でいいし、
どこでもいいから話を聞かせてくれと直談判してもらい、
「じゃあとりあえずここで待ってて」と言われてから30分ほど待っていると、
おもむろに事務所のドアからバルデス登場。
わずかながら可能性が出てきました。
すると、流れで広報の方が運転する車へ我々も同乗することに。
とりあえずバルデス、マネージャー風の男、広報、私、コーディネーターの5人で
TV局へ向かうことになりました。

到着すると「じゃあとりあえずここで待ってて」ということになり、
バルデスの出演が終わるのをとりあえず待つことに。
まだインタビューできるかどうかの確証もないまま、
一応万が一に備えて質問内容などを確認して30分ほど待っていると、

出演を終えたバルデスと広報が戻ってきて、「じゃあやりましょう」ということに。
TV局の方のご厚意もあって、会議室をお借りしてインタビューできることになり、
何とか当初の目的を達成することができました。

まず、あの時間にスタジアムへ行ったこと。
そして、スタジアムの脇に事務所があったこと。
さらに、バルデスがバルサ戦で2点を決めた“時の人”だったこと。
いくつもの奇跡が積み重なって撮影することができたインタビュー。
番組でも放送しましたが、その中から一部を抜粋して皆さんにも
お届けしたいと思います。

(Q、ワールドカップで対戦した日本の印象)
パラグアイに似ていると感じた。
ワールドクラスのチームらしいハートで戦っていた。一生懸命努力してね。
パラグアイ風に言うとユニフォームに身を捧げていたと思う。

(Q、試合はどうでした?)
心臓に悪い大変な試合だったよ。
両チームがお互いを警戒しあっていたから難しかった。
どちらもリスクを冒そうとせず、結局PK戦になった。
どんなPK戦もそうだと思うけど最後まで苦しんだね

(Q、PK戦が終わった後で駒野選手にどんな言葉を掛けたんですか?)
自分も選手だから他の選手の気持ちがわかるんだ。
ワールドカップでPKを外したとなると、自分のせいで負けたと思ってしまう。
だから彼のところへ行って「頭を上げよう。君のせいじゃない」って言ったんだ。
それから幸運を祈って「気落ちするな」ってね。
多分彼は僕が何て言ったかまではわかってなかったと思うよ。
でも、言葉はわからなかったかもしれないけど、
何が言いたかったかは通じたと思う。
あの時の写真は大会ベストショットの1枚に選ばれたんだよ。

(Q、スタジアムで暮らしていたことがあるって本当ですか?)
ああ、スタジアムの下、スタンドの下で1年半暮らした。
僕のキャリアの中で一番キツい時期だった。
15歳の時に田舎から首都アスンシオンに出てね。
アスンシオンの方がいいからって言われて行ったのに、
あてがわれたのはスタンドの下だった。
寝るためのマットが1枚あっただけで
雨が降ったら外より中にいる方が濡れたんだ。
両親には心配をかけたくなかったから
「うまく行ってるよ」って言ってたんだけど、
本当は正反対で大変な思いをしていたんだ。

でも、そんな経験をすると現状へ感謝するようになる。
今の僕は努力の甲斐があってここにいられるんだ。
15、6歳の大変な時期だったけど
いつかここから抜け出せるって信じてた。

僕は来年の6月にパラグアイで子供たちのための財団を設立する。
スポーツを通じて人生では全てが可能なんだってわかってもらうためにね。
ドラッグやアルコールや窃盗に繋がる楽な道を選んでもらいたくないんだ。
“厳しい道を進んで努力をすれば最後は必ず成功する”。
それこそ僕がずっと抱いてきた信念であり、
そのおかげで今、僕はここにいるんだよ。

(Q、駒野選手にメッセージを)
コマノ、あの時はわからなかったかもしれないけど
今回は訳してもらえるだろう(笑)
僕が言いたかったのはPKの失敗で気を落とすなってことなんだ。
そんなことは誰にでも起こり得ることなんだから。
今は何もかもうまく行ってるはずだと祈ってるよ。

     ※

バルデスはホントにいいヤツでした。
おそらく元々持っていた思いやりや優しさが
過酷なキャリアに直面していく中で、より強いものになっていったのかもしれません。
実際に会ってみて、あのワールドカップの痺れるような勝利の直後に、
敗者を気遣えるようなメンタリティを持ち合わせていることにも納得しました。
今後の活躍を心から祈りたいと思います。
紆余曲折ありましたが、何とか目的を達成できてよかったです。

なお、このバルデスのインタビューをお届けした放送回は
まだ再放送が数回残っていますので、
動いてる彼をご覧になりたい方は、是非チェックしてみて下さい!

土屋雅史(J SPORTS「Foot!」


WORLD SOCCER NEWS「Foot!」