平昌五輪に興味がなくとも、ドラマや本で一度は見聞きしたことのある「下町ボブスレー」。しかし、運命共同体だと思っていたジャマイカチームが下町ボブスレーの使用を取りやめたことが大きな騒動となっています。つい感情論に向きがちなこの問題を、メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の著者で国際情勢にも詳しい在米作家の冷泉さんが冷静な目で分析し、本当に議論すべき点を浮き彫りにしています。

下町ボブスレー、何が問題だったのか?

東京都大田区の町工場が中心となって国産のボブスレー用そりを開発する「下町ボブスレー」のプロジェクトは、ジャマイカの女子チーム(2人乗り)が採用して「一緒に五輪を戦う」ということで話題になっていました。それこそ、本になったりTVに取り上げられたり、また安倍総理が応援して道徳の教科書に取り上げられるなどの扱いを受けていたわけです。

ですが、結局は、ドタンバでジャマイカチームからキャンセルの憂き目にあっています。実際の女子2人乗りボブスレーの競技は大会12日目の2月20日(火)からですが、現時点ではジャマイカが翻意する可能性はないと思われます。以降は、それを前提として書いています。

報道によれば製造の推進委員会は、ジャマイカのオリンピック連盟から平昌五輪では使用しないという連絡を受けて会見したそうですが、その中で「約束したことがなぜこんなに簡単にひっくり返るのか。何を信じたらいいのか残念で悲しい」という表現があったそうです。また、実際に使用されなかった場合は法的措置を取る(要するに告訴する)方針を明らかにしています。

実は、このキャンセル騒動は「突然」ではありませんでした。ジャマイカのチームは女子2人乗りで五輪の出場権を獲得したのですが、その前哨戦とも言える今季のワールドカップでは、偶然に配達の遅延から「下町ボブスレー」が間に合わない中で、ラトビア製のそりを使用して好結果を出していたそうです。

その結果として、同国の連盟側から「ラトビア製の方がタイムが何秒か速い」「下町ボブスレーは危険だ」といった指摘が出ていたそうです。それだけでなく、五輪の直前には「下町ボブスレーはマシンが失格」となっていたそうなのです。

下町プロジェクト側は、報道によれば「契約には比較という言葉はない。互いに改良、成長し運命共同体で頑張っていこうと契約を交わしたはずだ」と「無念さ」をにじませていたというのです。「失格」問題も、五輪までには合格できるような改良は可能だったとしています。

尚、下町プロジェクト側の主張はこちらにあります。

この問題ですが、これ以上ゴネると日本の「技術の低さをアピールするだけ」とか、「タイムで負けたのにみっともない」というような批判が出ています。そうした批判にも一理ありますし、何よりも「政治に利用された」というのが悲劇の発端とも思えるのですが、そんなことを言っても始まりません。

今回の事例は「国際ビジネスにおける典型的な失敗」として教訓とすべきです。4点指摘したいと思います。

1点目は、ロジスティックスの問題で、トラブルの契機となった「ワールドカップでのマシン調達失敗」という事件です。報道によれば輸送機関のストで配達が遅れたというのですが、ちゃんとしたシッピングをしていれば「配達遅延の兆候」は見えたはずです。それを見越して例えば担当者が航空便で飛んで、その際にオーバーサイズのチェックト・バゲッジとして一緒に通関するとか、何とでも対応できたはずです。多分、そうしたコストは用意できなかったのかもしれませんが、そんなに経費管理が心細いようでは、この種の国際間のプロジェクトは難しいと思います。といいますか、バックアップ対策の経費が出るような保険をかけて発送するとかの対応もあったはずです。下町側の説明では、ラトビアのボブスレーには「既にジャマイカ用の塗装がしてあった」と、もしかしたらジャマイカの裏切りか、もしくはラトビア側に強引な営業姿勢があったことを匂わせる表現があります。仮にも、そうした兆候があったのなら、余計に先手先手で手を打って行く必要があったのです。

2点目は、契約という概念への甘さです。具体的には、「ラトビア製の方がタイムが出る」ということが判明した時点で、「五輪の出場資格を取るまではラトビア製で走って良い」という「契約をねじ曲げる対応」を「了承していた」という問題です。仮にそうした報道が真実なら、この時点で、キャンセルという結果は見えていたと言っても良いでしょう。「ダメ」と言って通すか、あるいは「ラトビア製の性能を上回る改良」を五輪までに実施し、ちゃんと「最終コンペ」をさせて、そこで勝ってスッキリ使わせるとか「徹底した筋を通す」必要がありました。それをしないで、「出場権獲得までは速いラトビア製で戦って良いから、本番五輪は約束通り下町でお願い」などというストーリーを、相手が理解するなどと信じていたとしたら、それは余りに身勝手です。国際ビジネスのシビアさを理解していないとしか言いようがありません。

3点目は、「運命共同体」という表現です。非常に強い信頼関係や業務提携をする際にそうした感覚を持つのは結構です。国際間でもそうした関係が口にされることはあります。ですが、それを言うのなら「有言実行」しなくてはなりません。ワールドカップに加えて、練習や合宿へもエンジニアが同行して、本当に一心同体となってチューニングをやり、本当に黒子となって全ての試合で好成績を収めるような行動をしたのかというと、どうやらそこまでの対応はできなかったようです。モノだけ作って、あとは信頼関係でよろしくというような甘えは通用しません。

4点目は、法的措置についてです。契約違反だから「告訴する」というのですが、では、その契約書にはこの種の紛争になった場合の具体的条項は全部書いてあったのでしょうか? 書いてあったのなら勝てるかもしれません。ですが、日本流に「その他の疑義が生じた場合は双方信頼関係をもって協議する」というような「お人好し曖昧条項」が入っていて、しかも紛争時の所轄裁判所を「日本」に指定できていないのなら、まず勝ち目はないでしょう。ちなみに、係争時の所轄裁判所の指定が契約書にない場合は、国際慣例から「第三国の裁判所」が指定され、勝ち目はないと思います。ちなみに英連邦のジャマイカは、実定法ではなくコモンロー(社会常識という不文律を重視)する法体系ですから、「負けるのが分かっていたので使わなかった」という判断をひっくり返すのは至難の技と思われます。

いずれにしても、こうした国際ビジネスには独特のノウハウが必要ですし、出張費や保険などの必要なコストも用意しなくてはなりません。だからこそ、戦後の日本経済は、そうした機能を商社という専門集団が担って成功したのです。その反面で、商社以外の現場では、国際ビジネスのノウハウは希薄なままでした。今回の問題はそこにあるのではないかと思います。いわば、日本経済全体の問題であり、現在の競争力衰退の一因でもあります。

仮にこのまま事態が推移したとして、下町プロジェクトの方々だけの責任とするのは余りに酷な話です。政治が介入したので、余計に「引っ込みがつかなくなった」という悲劇も匂いますが、だからと言って政治的に批判するだけでは、教訓は得られないのではないでしょうか。

image by: 下町ボブスレーネットワークプロジェクト公式サイト

MAG2 NEWS