ゲラ(仮刷り)を広げて議論を交わすのも編纂室の仕事

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 会社の社史作りが行なわれる「社史編纂室」。いったい誰がどうやって作っているのか。100周年(2018年5月)に向け社史を制作している象印マホービンの編纂室に取材を行なった。

 象印の社史編纂室は「周年事業事務局」という名前だ。局長の樋川潤氏(55)はもともと営業を7年、マーケティング部門で17年勤務するなど、社史編纂とは縁遠い事業にいた。2015年5月に「“君がやってくれ”と声がかかり」(樋川氏)、就任した。

「一般的に、社史作りは60代が担当することが多く、制作ノウハウが受け継がれにくい。弊社は次世代へ繋ぐ方法に挑戦することになりました。

 僕は社内でよく新しいことを担当させられるんですよ。例えば、初のアウトドア用品事業の販売責任者になったり、上海で旗艦店を立ち上げた時も土地探しからやりました。2年で軌道に乗せて帰国しましたが、なんでもこなせる奴って感じなんでしょうか(笑い)」(樋川氏)

 かつては“窓際族”とも見られた社史編纂室が、いまや会社の“最前線部隊”になっているということだ。

 2019年2月に完成予定の社史は現在、1次原稿の校正が終わったところ。編纂室(周年事業事務局)には緑を基調とした3種類の色校正案が並べられていた。「優しいイメージにしたかった」(樋川氏)との理由で上段の案に、本誌・週刊ポスト取材当日に決定したばかりだ。

 部屋の奥には、苦心して各部署からかき集めたという膨大な紙の資料ファイルが3畳ほどの机に溢れている。資料で補えない部分はOBに直接聞いたそうだ。

「ある名企画の着想者が誰かを尋ねると、2人のOBが『それワシや』と。困り果て、結局、名前は伏せました」(樋川氏)

 会社の深淵にどこまで踏み込んで書くかの判断も難しいという。実は1985年の日航機墜落事故で、同社社員3人が命を落とした。「1人は会社の重責を担う社員でしたし、彼らのヒストリーにもしっかり行数を割く予定。ただ、社内ではいろいろな意見が出ています」(樋川氏)

 かつて遊園地・宝塚ファミリーランドには、1965年に象印が寄贈した子象「サクラ」がいた。閉園(2003年)とともにすっかり忘れ去られていたが、韓国の動物園に引き取られ、現地でもサクラの名前で親しまれていたことが最近わかった。「こんな、ほっこりする秘話も入れたいですね」と樋川氏は語る。

 2年に一回、社史を表彰している日本経営史研究所は「読んでもらう努力をした社史」に特別賞を与えている。「ここをゴールにしようと決めています」(樋川氏)という。

 社史作りの可能性は無限大だ。

※週刊ポスト2018年1月12・19日号