自身のZINE『KAZAK』でもフェミニズムを取り上げている、VOGUE GIRLでもおなじみのアギーさんとフェミニズムについて考える連載企画。今回は「フェミニズム」について考えるきっかけをくれる良書を古今東西から7冊セレクトしてくれた。いずれも知っておくべき話題書ばかり。気になった一冊からぜひ読んでみて。

text : aggiiiiiii  photo : shinsuke kojima



『女の子は本当にピンクが好きなのか』堀越英美著  Pヴァイン ¥2,400
ピンクと女子の複雑な関係
『女の子は本当にピンクが好きなのか』

世の中にはイケてるピンクと、ダサいピンクが存在する。たとえば、いっときのグライムスやモデルのフェルナンダ・リーのピンク色の髪は最高にクールでかわいいと思うけれど(イケピンク)、女性向けをうたった商品や広告にかならずといってよいほど使われるピンクは、残念な結果となっていることが多い(ダサピンク)。このダサピンクという言葉は、2013年にブロガーの宇野ゆうかさんが使いはじめたもので、色そのもののみならず、ピンク色から連想されるような花柄やハート型、ふわふわした甘いイメージなども広く含まれるそうだが、ベースにあるのは「女性向け=ピンク」という一般的な固定観念と、その押しつけに対する疑問である。もちろん、そのピンクがイケているのかダサいのかという判断基準は各個人の主観によるのだが、本書の著者によると、こんな風に考えさせられる色はやはりピンクだけなのだ。一方で、二女の母親でもある著者は、リベラルに育ててきたつもりの自分の娘がとつぜん3歳で「ピンク星人」になってしまったことに驚きを隠せない。しかもどうやらこの傾向は、世界共通のものであるらしい! もしかして、女の子は、本当に、ピンクが好きなのか……?? 最新の女児向けおもちゃ、アニメなどのトレンドを分析しながら、なんともややこしい女性とピンクの関係を考えた話題作。

『We should all be feminist』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著(英語)
やさしくわかりやすい親切な一冊
『We should all be feminist』
     
直球すぎるタイトルにちょっとひるみそうになるけれど、表紙がセンスよくおしゃれで(これ大事!)、小さく薄いので手にとりやすく、英語もシンプルでとても読みやすい。ナイジェリア出身のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェは、女性であることとチョコレート色の肌をしたアフリカ人であること、これらのアイデンティティをもつ人間が社会でどのように受け入れられているのか(あるいはいないのか)ということを真摯に、そしてヒューモラスに考えつづけている作家である。本書で取り上げられるのはおもに前者についてなのだが「フェミニズムなんて、過去のものでしょ。女性にとって待遇がちがったり、物事がむずかしいっていう意味がわからない。昔はそうでも今はちがうよ」と考えるような人に対して、端的に、とても象徴的なエピソードがあったので紹介したい。ある夜、男性の友人とナイジェリアでナイトアウトをしていた自立した大人の女であるアディーチェが、自分の財布から紙幣を取り出して駐車場の男にチップを渡したところ、男はうれしそうに「ありがとう、旦那!」とアディーチェではなく友人の方を向いて言ったのだそうだ。それは正真正銘、アディーチェのお金だというのに。わたしはこれを読んで、あまりに身に覚えがありすぎる話だと思った。はっきりいって、これほど極端でないにしても、多かれ少なかれ日本でだっていまだにこういうことがある。アディーチェは言う、文化がひとを作るのではなく、ひとが文化を作るのだと。男のほうがえらいという空気を変えなければ、子どもたちもそれが普通なんだと思ってしまうよ。昨年の冬、スウェーデンではすべての16歳にこの本が贈られた。まさにフェミニズム入門にはぴったりの一冊である。

『Babe』ペトラ・コリンズ著 (英語)
ガールパワーの現代版
『Babe』

いきなりうろ覚えで申し訳ないけれど、どこかでこんな質疑応答を読んだことがあった。「あなたの知っている男性の芸術家を10名あげてください」「ウォーホール、クリムト、バスキア、ピカソ、バンクシー……(次々と名前があがる)」「では女性を10名」「フリーダ・カーロ(以上!)」。具体的な人名は忘れてしまったが、男性の名前が容易にあげられていくのに対して、女性はたったの一名しか名前があがらなかったことが印象に残った。この例がなにを示しているかというと、この回答者はあまりにものを知らなさすぎるのではないか、もうちょっとがんばって思い出そうよ、ということではなくって、第一線で活躍し、その才能がひろく世間に知られた女性というのは、男性の数に比べて圧倒的に少ないという事実である。「人類の半分以上が女性であるのに、上の方へ行けば行くほどその姿はあんまり見当たらなくなる」と言う人があるように、残念ながらこの傾向は、芸術にかぎらずいろいろな分野に当てはまるのだと思う。で、カナダ出身の若きフォトグラファー、ペトラ・コリンズは、そんな男たちばかりのめだつ世の中の構造にピンクの反旗をひるがえし、才気あふれる女の子のアーティストだけを集めたオンラインプラットフォームを2010年に立ち上げた。それが書籍化されたのがこの「Babe」だ。もしもあなたがフェミニストに対して「つよい、こわい、まじめくさって怒りっぽい」といった印象を持っているのだとしたら、このアートブックを見れば、彼女たちの、女の子に生まれたことを心から祝福しているような気持ち、かわいいものを愛する気持ち、どきっとするような下品すれすれのヒューモア、タブーとされてきたものへの挑戦、などといったポジティブなエネルギーをあらたに発見することができるだろう。
 
 

『Bad Feminist : Essays』ロクサーヌ・ゲイ著(英語) 
矛盾をおそれず落第上等
『Bad Feminist : Essays』

作家のロクサーヌ・ゲイは、皮肉をこめて、みずからを「バッド・フェミニスト」と呼ぶ。なぜなら、自分の言動はフェミニストとしては矛盾が多く(たとえば彼女はラップ音楽を好んで聴くのだが、それには女性をおとしめるような意味合いの歌詞が多用されている)、従来の白人中産階級中心のフェミニズム運動には賛成できないし、めんどくさい家事なんてぜんぶ男性にやってほしいと思ってしまうから。ピンク色や、かわいいものだって大好きである。そのほかに彼女がバッド・フェミニストを名乗る理由は、フェミニストであることはきゅうくつだからだ。「つねに正しさを期待されてしまう」ため、いつどの角度から見ても隙なく、完ぺきであることを求められる。これでは正直しんどい。負担である。人間だもの。それなのにこれができていないと、たとえビヨンセほどの人物であっても「あいつはフェミニストとしてふさわしいのか」などといって他人からジャッジされてしまう。そんな針のむしろに座るのはだれだってこわいし、いやだ。そんなに完ぺきであることを求められるのなら、男女同権を願うフェミニズムの思想には賛成していても、そういった批判の対象になるのをおそれ、フェミニストと呼ばれることを拒む女性もいるとゲイは指摘する。でも、この先の子どもたちのことを考えると、おかしなことは変えていかなくっちゃあならない。だからこその「バッド・フェミニスト」なのである。バッド・フェミニズムとは、きっちりとして完ぺきなフェミニスト像からの隠れみのであると同時に「懐の深い」フェミニズムでもある。たとえば、この文章を掲載してくれるVOGUE GIRLはいわずとしれた有名な女性誌で、旬のファッションやメイクアイテム、より魅力的な体型となるエクササイズ方法など、女の子の求めるすてきな情報が毎日たくさん紹介されている。ところがフェミニズム的にいうと「ありのままの自分を受け入れ、愛するのがよい」だ。これらは一見矛盾する考えのように思えるけれど、かわいくなりたい、おしゃれしたいという女の子の願望やたのしさを追い求めながら、同時に女の子の心地よい生き方だって探すべきなのだ。「グッドでも、バッドでも、その中間でもいい」。そう、ゲイの言うように、ちっとも考えないでいるよりは少しでも考えるほうがよいのだから。アメリカでは社会現象にもなった、とても重要な一冊。

『LEAN IN(リーン・イン)女性、仕事、リーダーへの意欲』シェリル・サンドバーグ著 村上章子訳 日本経済新聞出版社 ¥1,600
企業でキャリアをめざすなら
『LEAN IN(リーン・イン)女性、仕事、リーダーへの意欲』
      
2016年の現在になっても、日本では「できる女より、かわいい女を目指そう」というメッセージが引きも切らずにあちこちで使用されている。しかし、フェミニズムの考えかたを学べば学ぶほど「できる」と「かわいい」はそもそも対立する項目ではない、ということがわたしにもわかってきた。「できて、かわいい」のが本来、最強なのではないか。ではなぜ「できる女より、かわいい女」がこれほどまでに勢力を持っているのかというと、できる女は「男まさり」「仕切り」などと呼ばれてみんなに嫌われるからで、だれだってみんなに嫌われるのはいやだからである。なんと、そういった実験をほんとうにやった学者がいて、できる女は嫌われるという話が事実であると証明した統計もあるらしい(「ハイディとハワードの実験」)。そうするとどうなるかというと、女の子たちは、みずからのキャリア上の目標を低く設定しがちになり、ゆえに賃金も男性に比べて低くなり、それにあわせて社会的な地位も……と、ぐるぐるぐるぐる負のスパイラルに陥ってしまう。この状況に、どげんかせんといかんと喝を入れたのが、平成のできる女、シェリル・サンドバーグである。サンドバーグはフェイスブック社の最高執行責任者であり、2011年のフォーブス誌「世界で最もパワフルな女性100人」においては、あのミシェル・オバマをさしおいて五位にランクインしている。本書のタイトル「リーン・イン」とは「一歩ふみだせ」という意味で、サンドバーグは「もっと多くの女性リーダーが必要である」という考えのもと、表現を変えながら、なんどもなんども「もっと自信をもつ」ようにわたしたちを説得する。信頼がおけると感じたのは、彼女の主張がけして成功者の口から出るきれいごとや、実現不可能な理想論などではなく、じっさいに男社会で切磋琢磨してきた女性ならではのリアルで具体的なアドバイス(と失敗談)に満ちているからで、全部の行にマーカーをひきたくなるほど、わたしにはためになるものだった。友人の顔を思い浮かべながら、あの子にも、あの子にも、読んでもらいたいなあと思った。

『人形の家』ヘンリック・イプセン著 中村吉藏訳 新潮社 ¥15,120 ※「100年前の新潮文庫ー創刊版 完全復刻」5冊セットでの販売。詳細はこちらへ。
人形の意味を考える
『人形の家』
   
ノルウェーの劇作家、ヘンリック・イプセンによる三幕からなる戯曲。今から130年以上も昔に書かれた古典作品である。日本でもさまざまな出版社からさまざまな翻訳で発行されているけれど、わたしがそうと知らずに入手した一冊は、旧かなづかひで書かれてゐた。あゝ、しまつた、読みづらひ。ところが戯曲という性格上、ほぼすべてが会話文であるため、いったん引き込まれるとなんのことはない、ぐいぐい行ける。一幕、二幕を読んでいるうちは、弁護士の妻である主人公ノラに対し、目の中に入れてぶったたいても痛くないというほど夫にはかわいがられているようだし、やれパーティーだのシャンペンだの絹の靴下だのといって華やかな生活を送っているようすだしで、なぜこの作品がフェミニズムを語ろうとするときにたびたび引用されるのか不思議だった。ノラ、すっごく楽しそうじゃん。と、やや拍子抜けした気持ちでいたのだ。ところが第三幕である事件が起こったのをきっかけに、彼女はとつぜん覚醒し、はっきりとした意思をもって夫の元を去る。自分、夫、子ども、なにもかもが以前とまったく別のものに感じられたからだ。そしてこのとき、ノラといっしょにいるわたしもまた、知らぬうちに胸の中にひそんでいた自分の甘えた考えに気づかされ、ショックを受けた。ガツンとした衝撃が残る。

 
 



『Calling Dr.Laura』ニコール・J・ジョージズ著(英語)
漫画で読むある女の子の日常
『Calling Dr.Laura』
   
ライオットガールの活動に感化された十代の少女たちが90年代に作っていたファンジンに影響を受け、自身もティーンエイジャーの頃からジンを作っていたというアーティストのニコール・J・ジョージズ。ジョージズは、これらのジンには作者の個人的な問題がとても正直に書かれていることがすばらしいと思っていて、おそらく彼女自身なんどもそれらを読んで救われたのだろう、自分の作品もそのように正直でありたいとつよく意識している。ゲイであることをオープンにしている彼女にとって、フェミニストとして自分ができることとは、女性同士がおたがいにサポートしあったり、傷つき孤独やかなしみを感じている人に「あなたはひとりではない」と伝えはげますために、自分の弱さも恥ずかしさも隠さずさらけだすこと。2013年に発表した漫画「Calling Dr.Laura」は、死んだと聞かされていた父親がじつは生きているとわかり、見つけだそうと奮闘したこと、理解があるとは言いがたい母親に勇気を出してゲイであることをカミングアウトしたこと、ガールフレンドとのつらい別れなど、自身の半生をありのままにふりかえった内容となっている。この作品で高い評価を受け、ジョージズは「ネクスト・ダン・クロウズ」(ダン・クロウズはグラフィック・ノベル界の父、漫画「ゴーストワールド」の作者)にランクインしたり、LGBTをテーマとする優れた作品に送られるラムダ文学賞も受賞。レズビアンで、からだにやたらとタトゥーが入っていて、裏庭でペットの鶏を飼っていて、コーヒーが好きで、ヴィーガンで、ジンをつくっていて、バンドをやっていて……オレゴン州ポートランダーである文化系女子の日常がのぞき見できるのもたのしい。

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■PROFILE/ aggiiiiiii(アギー)

兵庫県生まれ、東京在住。2007年よりオルタナティブカルチャージン『KAZAK』を発行。ガールズカルチャーを追いかけ続け、2013年にはソフィア・コッポラ監督『ブリングリング』のオフィシャルファンジンも手がけた。http://www.kazakmagazine.blogspot.jp