マホトが人気YouTuberになるまでの軌跡…我が青春はYouTubeと共にあり
YouTubeにアップした動画再生に伴う広告収入で生活する、YouTubeのプロフェッショナルである「YouTuber」。マホトはそのなかでも体を張ったネタで人気の、いわば体当たりYouTuberとも言うべき存在でありながら、自身のファッションブランドを立ち上げ、音楽活動も行うなど、活躍の場を広げている。そんなマホトに、自身のルーツと家族、恋愛といった個人的なトピックから、現在のYouTuberを取り巻く環境について語ってもらった。

撮影/すずき大すけ 取材・文/照沼健太 ヘア&メーク/瓜本美鈴

実は極度の人見知りなんです



――どんな子ども時代を過ごしていましたか?

男友だちと遊戯王カードで遊んでばかりいましたね。小1から小6までずっと遊戯王カードしかしてなくて、他に話すことがないくらい(笑)。

――ひとつのことに熱中するタイプだった?

でも、みんながやめたら一緒にやめるタイプでしたね。途中でみんなが遊戯王カードからデュエル・マスターズに移ったら、自分もデュエル・マスターズを始めるっていう。

――クラスの中のポジションとしては中心にいる感じ?

小学校のときは派手なグループにいましたけど、中学校のときは化学部に入ってたので、どうかな…。

――化学部とは珍しいですね。

「カルメ焼き作りてぇ」と思って(笑)。というのも絶対に部活に入らなくちゃいけない規則があって、でも運動するのは好きじゃないし、友だちもそんなにいなかったし…。じゃあ、カルメ焼き食えるし化学部だなと。

――本当に作って食べたんですか?

はい(笑)。でもその後すぐに、幽霊部員になりましたけど。

――小学校と中学校でキャラとしてポジションが変わっているみたいですが、それには思い当たる理由が?

人見知りなので、2〜3ヶ月くらい会わないと壁ができちゃうんですよ、仲良かったヤツにでも。そのうえ、中学が始まって、自分の友だちが他の小学校から来たヤツらと一緒にいると、自分はそのグループに加われないっていう。だからなかなか友だちができなかったですね。

――それは意外です。社交的なイメージでした。

極度の人見知りなんです。こうして今も目を合わせられてないですよね(笑)。



動画投稿のキッカケは「じゃんけん」



――中学生のときに動画を投稿したのが最初だそうですが、キッカケは何ですか?

ニコニコ動画に、カメラに向かってしゃべってる動画をアップしてる人がいたのですが、当時はそういうことをしている人がほぼいなかったので、「これは面白い!」と友だちのあいだでブームになっていたんです。

――当時は、かなり珍しかったでしょうね。

そうなんですよ。それで「自分たちもやろう」ということになり、ジャンケンに負けた僕が出ることになりました。ただ、顔を出すのは抵抗があって。顔を隠しつつ、友だちが用意した台本を読むという動画をあげてましたね。

――その最初の動画に対する反応はすぐにありましたか?

ありました! 再生回数100とか200の世界ですが、それでも100も見られたのかと驚きました。コメントの8割が批判コメントだったので、それに対するリアクションで第2回をやろうよということになり、それの繰り返しで続いていきました。

――最後まで顔出しはせず?

「顔を出せ」というコメントが多かったので、結局出しました。その頃にはネットにも慣れてきていたので大丈夫だろうと。めちゃくちゃ緊張しましたよ、カメラをまともに見ることもできなかったくらい。

――中3の11月に投稿を始めて、その後いったん投稿をやめたそうですが、それはなぜ?

校内で動画を撮っていたら学校が特定されて、学校に脅迫文が届いたんです。それで親が呼び出されて怒られて、動画の投稿をやめるように言われたので「やめます」ということに…。

――脅迫文が届くとは…。動画は過激な内容だったんですか?

廊下を走ったり、みんなでバク転したりとかその程度だったんですけどね。それ以外は飯を食ってるところを撮ってたり、その日あったことを話したりとか、日記感覚です。その頃は無編集でアップしてました。