1867年12月の明治維新の王政復古に先だって、その年の秋、日本中でわけのわからない狂乱の踊りが流行した。ええじゃないか、で知られる事件。尊皇派による京都での大衆扇動のように言われてきたが、史実は、もっと奥が深い。始まりは、東海道の吉田宿(三四番、現豊橋駅)の南西、牟呂村大西。いまの牟呂小と牟呂中の間の北の天王社(現素戔嗚(すさのお)社)あたり。1867 年7月14日七ツ(16時)頃、屋敷裏の竹垣に伊勢外宮の御