アメリカ中央情報局(CIA)本部の中庭に鎮座する、謎の巨大な暗号彫刻『クリプトス』。その最後の未解読部分「K4」は、35年もの間、世界中の暗号解読者たちを悩ませ続けてきた。この世界一有名な暗号の答えが、今秋ついに明かされることになった。作者である芸術家ジム・サンボーン氏が、解読文を記した文書をオークションに出品すると発表。予想落札価格は最大7400万円に達する。海外メディアの関心も高い――。

■CIA本部に鎮座する「解けない謎」

米東岸バージニア州ラングレーに位置する、CIA本部。その中庭には、世界中の暗号解読者たちを悩ませ続ける彫刻作品が設置されている。1990年11月3日に公開された『クリプトス(Kryptos)』だ。

作品は高さ約3.6メートル、幅約6メートル。まるで風にはためく旗のような、S字にしなる巨大な銅製の曲面に、計約1800文字のアルファベットがくりぬかれている。

CIA本部「ジョージ・ブッシュ情報センター」敷地内にあるジェームズ・サンボーン作「クリプトス」(写真=Jim Sanborn/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

銅板部分に刻まれた文字は、4つの暗号セクション「K1」から「K4」と、解読を補助する表から成る。暗号のうちK3までの3面は解読済みだが、最後の「K4」に当たる97文字が未解読のままだ。CIA職員を含む世界中の暗号解読者たちが挑戦を続けた過去35年間、一切のアプローチを拒み続けてきた。

■鉄壁の暗号の解答が競売へ…落札予想価格は最大7400万円

現時点で残されている最後の暗号である「K4」の解読結果が、今年中についに明かされることになりそうだ。

今年8月、製作者であるワシントンDC出身の彫刻家ジム・サンボーン氏は、オークションへの出品を発表。ワシントン・ポスト紙によると、今年11月20日にボストンで行われるRRオークションで、未解読のK4セクションの解答を記した文書を競売にかけるという。

予想落札価格は、30万ドルから50万ドル(約4400万円から約7400万円)。同社の副社長ボビー・リビングストン氏は「さらに高値がつく可能性もある」と述べている。

英フィナンシャル・タイムズ紙は、解答は装甲車で輸送されると報じた。サンボーン氏の健康状態が完全とは言えず、世界的な興味を集めた謎にどのような幕引きを行うか、氏は近年悩み続けていた。公開された手記を通じ「私はもはやK4コードの97文字を維持するための物理的、精神的、財政的リソースを持っていないのです」と心境を吐露している。

■『ダ・ヴィンチ・コード』がブームに火を付けた

クリプトスが世界的な注目を集めたきっかけの一つは、ダン・ブラウン氏によるベストセラー小説『ダ・ヴィンチ・コード』と『ロスト・シンボル』であった。

映画化もされたことで話題は沸騰し、ノーザン・バージニア・マガジン誌によれば、一時期は全Google検索の中でもトップの検索ワードとなった。サンボーン氏の受信箱は、メールで溢れかえったという。

現在、この謎に挑む人々は世界中に広がっている。あるCIA職員は昼休み計400時間投じ、謎の一部を解き明かした。それでも全体像の把握には至っていない。

設置当時のCIA長官であるウィリアム・ウェブスター氏だけは、製作者から解答を渡されていたという。しかし、ウェブスター氏が今年8月、101歳で永眠した今、答えを握るのはほぼ作者のみとなった。

■400時間を投じたCIA分析官

難関の暗号であるクリプトスだが、部分的にであれば、すでに解読を成し遂げた数人の猛者が存在する。

1998年2月、CIA職員のデビッド・スタイン氏は、一部の解読に成功。7年以上にわたりクリプトスと格闘を続け、昼休み計400時間以上割いた末の快挙だった。自身の手記でスタイン氏は、コンピューターを使わずに紙と鉛筆だけで、クリプトスの最初の3つのセクション「K1」〜「K3」を解読したと説明している。

スタイン氏の解読方法は、CIA分析官らしく実に論理的であった。

まず作品内の各アルファベットの出現頻度を行ごとに数え、暗号方式が切り替わっているポイントを特定。続いて、全4セクションのうち少なくともセクション2が、1文字ごとに変換パターンが切り替わる「ヴィジュネル暗号」であると考えた。

最初の一歩は、暗号鍵の長さの特定だ。ヴィジュネル暗号は、同じ変換パターンを数文字ごとに繰り返し使う。よって、何文字ごとに文字を拾うと英文の自然な文字分布に近くなるかを調べることで、ローテーションの文字数(すなわち暗号鍵の長さ)が見えてくる。結果は8文字であった。

その後、総当たりで8文字ごとに変換パターンを当てはめ、英字の出現頻度などをもとにもっともらしい暗号鍵を絞り込んだ。

すると、ある部分の先頭の文字が「T」らしいこと、さらに、続く部分と併せると頻出単語の「The」と見ても不自然でないことが分かり、これが最大の手がかりとなった。

もっとも、「The」は実際には後続の文字と併せて「They」であったことが後に判明するが、結果的に「The」の仮定が部分的に一致しており功を奏した。これは幸運であった、と本人は手記で振り返っている。

バージニア州のCIA本部の敷地内に設置されているジェームズ・サンボーン作「クリプトス」(写真=Carol M. Highsmith/PD-Highsmith/Wikimedia Commons)

■K1-「幻想のニュアンス」と誤字の謎

解読の結果、K1〜K3の全解読内容は次のようになった。簡便のため、和訳のみを示す。

K1:「微妙な陰影と光の不在の間に幻想のニュアンスがある」

ただし、幻想(illusion)にスペルミスがあり、iqlusionとなっている。各パートの解読結果に綴りの誤りが存在し、これはさらなる謎へ繋がる意図的な誤字だとする見方がある。

K2:「それは完全に見えなかった。どうしてそんなことが可能なのか? 彼らは地球の磁場を使った。情報は収集され、地下を通じて未知の場所に送信された。ラングレーはこのことを知っているか? 知っているに違いない。それはどこかに埋まっている。正確な場所を知っているのは誰か? WWだけだ。これが彼の最後のメッセージだった。北緯38度57分6.5秒、西経77度8分44秒、第2層」

ラングレーはCIA本部、WWは当時のCIA長官であるウィリアム・ウェブスター氏を指す。座標はクリプトスが設置されているCIAの中庭の一角を示している。地下(underground)に誤字があり、undergruundとなっている。

K3:「ゆっくりと、非常にゆっくりと、出入り口の下部を塞いでいた通路の残骸が取り除かれた。震える手で私は左上の隅に小さな穴を開け、それから穴を少し広げて、ろうそくを差し込んで中をのぞいた。部屋から漏れ出る熱い空気が炎を揺らめかせたが、やがて霧の中から部屋の詳細が姿を現した。何か見えるか?」

考古学者のハワード・カーター氏が1922年、ツタンカーメンの墓を初めて発掘した際の日誌を引用している。K3は転置暗号で、他の文字に変換はされていないが、文字同士の順序が組み替えられている。非常に(desperately)に誤字があり、desparatlyとなっている。

■CIA長官にサンボーン氏が仕掛けた情報戦

実はサンボーン氏には、CIAに隠している秘密がある。暗号の解答を知っているはずのウィリアム・ウェブスター元CIA長官に、完全な真実を告げていなかったのだという。

スミソニアン誌によると、1990年の除幕式でサンボーン氏は、ウェブスター長官に2通の封筒を手渡した。

1通には暗号を解くのに必要なキーワード、もう1通には解読後の文章を記したものだ。K2の解読文には「正確な場所を知っているのは誰か? WW(ウィリアム・ウェブスター)だけだ」という一節があり、長官が暗号にまつわる重要な事実を把握していると示唆している。

しかし15年後の2005年になって、サンボーン氏はワイアード誌に思わぬ告白をした。「まあ、私は彼に対して完全に正直だったとは言いません。彼もそれに気づいているはず。つまり、こういったことも諜報活動の一部じゃないでしょうか? 欺瞞なんてどこにでもあるのです」

さらに「私は絶対に、最後のセクション、つまり一度も解読されていない部分(の解答)は渡していない」とも明言している。クリプトスの作品テーマは情報収集だというが、果敢にも当のCIA長官を相手に、サンボーン氏は情報戦を展開していたようだ。

バージニア州ラングレーにある中央情報局本部の航空写真(写真=Carol M. Highsmith/PD-Highsmith/Wikimedia Commons)

■秘密を守り続けることが制作者の重荷に

クリプトスで芸術家としての名声を一躍高めたサンボーン氏だが、30年以上にわたって作品の秘密を守り続けることは、想像以上の重荷となった。

彼にとって解読結果という秘密を握ることは、権力の一つにも等しい。ワシントン・ポスト紙によると、サンボーン氏は「ある種の力を持っているという事実」が、一部の人々の反感を買うと語る。

「ストーカーもいます。どうやって私の携帯番号やインターネット上のすべてを手に入れるのか分からないが、彼らはどうにかして入手しています。電話をかけてきて、かなりひどいことを言う人もいますね」

■「妻に負担を残したくない」

有名になりすぎた謎に、純粋な好奇心で近づこうとする者もいる。

サンボーン氏がまだマンションに住んでいたある日、2人の見知らぬ人物らが壁をよじ登り、窓から室内を覗き込もうとしていた。スミソニアン誌に2020年、「彼らはいつもそこらにいます。暗い色のスーツを着た集団が作品を指差し、腰をかがめ、何と書いてあるのか解明しようとしているのです」と語っている。

現在、サンボーン氏は妻と共に、チェサピーク湾の私有島に移った。島はまるで要塞のようだ。フィナンシャル・タイムズ紙の記者が訪れた際、島は高い木々に覆われて全貌が隠され、入り口にはゲートがあり、仰々しい立入禁止の看板が設置されていたという。長く曲がりくねった私道は監視カメラが見張っている。

サンボーン氏は死後、島を芸術家のレジデンスにしたいと考えていた。だが、「こんなことでは私の死後、島は台無しになってしまう」と嘆く。79歳になった今、いつ倒れてもおかしくない、そして妻に負担を残したくないという思いから、クリプトスの解答を競売に出すと決断した。

■97文字は短すぎる…K4が難攻不落である理由

競売の対象は、世界中の暗号解読者たちの挑戦を受けてなお35年間秘密を固く守り続けている、K4の解読法だ。暗号化状態の97文字は「OBKRUOXOGHULBSOLIFBBWFLRVQQPRNGKSSOTWTQSJQSSEKZZWATJKLUDIAWINFBNYPVTTMZFPKWGDKZXTJCDIGKUHUAUEKCAR」となっている。

ニューヨーク・タイムズ紙は、暗号解読において97文字という短さは、「それ自体が解読の課題となりうる」と指摘する。英語で最も頻出する文字(E、T、A、O、I、N)の出現パターンを分析する一般的な手法が、短い文章では機能しにくいからだ。

これまでにサンボーン氏はK4をめぐり、3つのヒントを公開した。2010年に64文字目から69文字目が「BERLIN」(ベルリン)であることを明かし、2014年には70文字目から74文字目が「CLOCK」(時計)だと発表。つなげるとベルリン・クロックとなり、同名の風変わりな時計がベルリンの街頭に存在する。

ニューヨーク・タイムズ紙が2014年、ベルリン・クロックとの関連を尋ねると、サンボーン氏は満足げに「ベルリンにはとても興味深い時計がいくつかありますね」と述べた。「その特定の時計を、さらに深掘りすると良いでしょう」とも加えている。

そして2020年、米国営ラジオ放送のNPRの取材などを通じ、サンボーン氏は「3つ目にして最後の」ヒントとして、26文字目から34文字目が「NORTHEAST」(北東)であることを明かした。

■読解されても終わらない謎

仮にK4が解読されても、そこで終わりではない。「K5」とも言うべき最後の謎が存在する。

CNNによると、サンボーン氏は「4つの暗号文が一緒になることで、個々のパートよりも大きな意味を持つ謎が存在する」と述べている。巨大な銅板本体だけでなく、作品全体に散りばめられた要素が最終的な謎に関わっているという。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、彫刻の周囲にある要素を詳しく挙げている。赤い花崗岩と銅のシートには「virtually invisible」(ほとんど見えない)や「t is your position」(あなたの位置)といったフレーズがモールス信号で刻まれている。

そして最も挑発的なヒントが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に対して語られている。「彫刻が持つ最も明白なヒントに、まだ誰も気づいていません」。それが何なのか、彼は明かしていない。

35年前、サンボーン氏が「数週間、せいぜい数カ月」で解読されると思っていた暗号は、今や伝説となった。競売によって解答が明かされる日が来るのか、それとも落札者が秘匿することで永遠の謎として残るのか。

情報は権力であると信じるサンボーン氏は、落札者は当然秘匿するであろうと読んでいる。いずれにせよ、芸術と暗号の神秘性を両取りしたクリプトスは、数え切れないほどの人間の知的好奇心と執念を揺さぶり続けている。

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)