ホンダは伊東孝紳社長が取締役相談役に退き、八郷隆弘常務執行役員が社長に就任する人事を発表した。

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■8代目社長はダークホース的存在

自動車業界世界8位の自動車メーカー、ホンダ。肝煎りのハイブリッドシステムやタカタ製エアバッグのリコール問題に端を発した販売減少や薄利多売による利益率の低下により、円安による追い風に沸く日本の自動車産業において2度も業績を下方修正するなど“一人負け”の様相を呈するなか、2009年以降、7代目社長を務めてきた伊東孝紳氏が今年6月で降板することになった。

「世界6極(日本・北米・南米・欧州・アジアパシフィック・中国)体制を強化し、それぞれの地域が独立して顧客ニーズにマッチした商品の開発、生産をすることに取り組んできた。また、F1へのチャレンジ、スポーツカーの復活、航空機ビジネスの発足も果たせた。今、飛躍の準備は整った。若い新リーダーのもと、チャレンジすべきだと考えた」

2月23日に行われた記者会見の場に姿を見せた伊東氏は、このように前向きのトップ人事であることを強調した。交代時機も6月と緊急の人事ではないが、世界600万台という急拡大戦略が破綻し、主力の四輪事業の利益率が日本メーカー最低の水準にまで低落したという失態を演じた責任を取らざるを得なくなったことは明白だ。

伊東氏の後を受け、8代目社長に就任する予定の八郷(はちごう)隆弘常務執行役員は、

「2015年はホンダにとって花咲く年になると思う。チャレンジングな商品を出し、F1、ジェット機を花開かせ、また世界6極体制をしっかり進めるのが私の役目」

と、伊東氏の策はあくまで正当なもので、その路線を継承することでホンダを持続的に成長させられるという見方を示した。

八郷氏は1982年入社。本田技術研究所では伊東氏と同じく車体設計畑でキャリアを積んできた人物。経歴を見ると2007年以降、サプライヤーから部品を調達する購買、鈴鹿製作所長、欧州および中国のビジネスと、一応“帝王学”は学んでいるが、それでも「伊東氏に秘蔵っ子として可愛がられてきた人物らしいが、珍しい苗字が印象に残るくらいで、社内でも役員ということ以外、ほとんど印象にない」(ホンダ関係者)というダークホース的な存在だった。

ホンダの中で表舞台に顔を出す機会が多かったのは本田技術研究所における実質的な仕切り役だった野中俊彦常務執行役員、アキュラや燃料電池などを手当たり次第に担当し、最近は突然“ミスタークオリティ”という異名を伊東氏からつけられて品質管理に回った福尾幸一専務執行役員などだったが、「社長人材としてどうかとなると、野中氏は大卒ではないことが、福尾氏は年齢がネック」(ホンダ関係者)になったとみられる。

■世界6極体制は実現可能か?

「DEB(開発、生産技術、購買)の3分野を経験し、中国では二輪、汎用機も少し手がけた。この経験の広さが自分の強み」

と、八郷氏は舵取りに自信を見せる。その力量が測られるのはまさにこれからだが、果たして苦境に立つホンダをふたたび輝かせえることができるのだろうか。

難問は数多い。八郷氏は伊東氏の敷いた路線である世界6極体制をさらに強固なものにすると表明した。世界6極体制は地域ごとに商品企画、開発、生産の独立性を高め、顧客ニーズへの対応力を強めるのが目的だが、そのままではオペレーションがバラバラになってしまう。それらをひとつのホンダとしてまとめるには、日本の本社がことのほか強い求心力を持たなければならない。その体制づくりはまさにイバラの道だ。

「例として一番わかりやすいのは、世界6極体制をうたう以前から独立したオペレーションで運営されていたアメリカ。アメリカンホンダのHONDAの文字は青なのですが、グローバルで赤に統一しようと言っても聞こうともしない。それどころか、ホンダはアメリカの利益で食っているようなものだから、アメリカの言うことを日本が聞くべきと言わんばかり。中国やアジアパシフィックなどの成長市場も、そのうち言うことを聞かなくなる恐れは多分にある」

ホンダ幹部の一人は実情をこう打ち明ける。伊東氏は世界6極体制のもうひとつの目的として、商品の相互補完を挙げる。地域同士で互いに売れそうなモデルを融通し合えばより効率的にグローバル展開ができるという考え方だが、これは今のところまったく上手く行っていない。

アメリカを主体に開発されるようになったかつての主力モデル「シビック」と「アコード」は、デザインやボディサイズが日本のカスタマーの好みに合わず、シビックは販売中止、アコードも高性能なハイブリッドシステムを搭載したにもかかわらず、すっかり影の薄い存在となってしまっている。

昨年12月に発売したコンパクトなハイブリッドセダン「グレイス」は、インドや東南アジアで売られているモデルを日本仕様に仕立て直したものだが、発売後1カ月の受注が1万台という威勢のよい発表とは裏腹に、販売現場では日本のカスタマーの好みに合わず売れないという声が沸き起こっている。北関東や東海のディーラーの中には「発売と同時に試乗車を用意したが、お客様のほうから試乗させてくれと言われたのは文字通りゼロ」(北関東ディーラー関係者)という。2月に発売した「ジェイド」は中国モデルがベースだが、こちらも苦戦。もともと地域密着型の商品企画を強化することをうたっているのに、それを違うエリアに持っていって売るということ自体、絶対矛盾でもある。6極体制を本当に理念どおりのものにするには、八郷新社長に相当のリーダーシップが求められる。

■陥りやすい“一発病”のリスク

6極体制ばかりではない。F1、スポーツカー、航空機などの新しいチャレンジを軌道に乗せられるかどうかもこれからにかかっている。とくにスポーツカー、航空機については、ホンダが伝統的に陥りやすい“一発病”のリスクが付きまとう。

ホンダジェットはスペックシートを見る限りすばらしい性能ですが、航空機ビジネスはそれだけでは完結しない。顧客のニーズを汲んで、より多人数が乗れる胴体延長型、より遠くまで飛べる航続距離延長型など、フレキシブルにラインナップを拡充していかなければならないのですが、ホンダジェットは設計が今の形に最適化されすぎていて、そういうカスタマイズの余地がほとんどないように見える」(航空機業界関係者)

航空機の開発は10年単位の月日がかかる。今のうちに二の矢、三の矢を準備しておかなければサスティナブルな事業展開は難しいのだが、そういう情報は聞こえてこない。スポーツカーにしても、ホンダというブランドをどう輝かせるかというグランドデザインなしに、イメージアップのためにいくつかのモデルを作るというだけでは、結局そこで終わってしまう可能性が高い。単に伊東路線を継承するだけでは、これらの課題は解決されないのだ。

15年は花咲く年と会見で語った八郷氏だが、前期の決算会見で岩村哲夫副社長は「14年は収穫の年」と豪語していたにもかかわらず壮絶に空振りしたばかり。八郷氏は「良い物をお求めやすい価格で」という点についても伊東氏の路線を継承する意思を示したが、そもそもカスタマーが心から喜ぶような良い物であれば、高くても売れる。いつの間にか「お求めやすい」が逃げ口上になってしまっているのだ。

ホンダに今必要なのは、商品につけ経営につけ、自らの描いたばら色の空想物語を饒舌に語ることではなく、現実に真正面から向き合い、ホンダという企業、ブランドをどうしたいのかということを真剣に考えること。剣が峰に立つホンダの新トップとなる八郷氏の役割は果てしなく重い。

(ジャーナリスト 井元康一郎=文)