新世代艦のスタンダード『夕張』は、まるでファッションリーダー!?
例えばみなさんのご家庭で使われている電化製品や自家用車も、メーカーで無数の試作品が造られ、チェックやテストを繰り返した上で量産され、販売された物だろう。軍艦も同じように、試作艦が造られ技術的な試験が行われる。
何しろ、荒れる海を乗り越えて敵と戦うという、過酷な環境で酷使される船。より強くより逞しく──それでいて安く簡単に建造できれば言うことなし! というわけで、軽巡洋艦『夕張』は実験的な意味で生み出された。
複数の駆逐艦を率いる水雷戦隊の旗艦として、軽巡洋艦──球磨型・長良型・川内型といった、いわゆる5,500トン型を揃えつつあった大正時代の旧日本海軍。ところが諸外国は、これをさらに上回る規模の大艦隊を建造していた。
対して当時の日本は、まだ経済的にも発展途上で(現代と同じく)資源もない。自ずと、建造できる軍艦の数も限られる。なら一隻一隻の性能を向上させて、量より質で勝負できないか? 建造する手法も、もっと手間のかからない方法がないか? そういった方針が模索されていった。
そこで試みに、5,500トン型と同じ性能を維持したまま、より安く簡単に建造できる船を、という観点から、平賀譲博士の手により『夕張』が設計されたのだ。
コンパクトにまとめた3,000トン級の船体に、積めるだけの武装を積もうとした結果、武装の配置方法が画期的に変化した。煙突の形状などもエポックメーキング的なデザインとなり、昭和に入ってからの巡洋艦や特型駆逐艦には、『夕張』の影響が見て取れる。
近年で例えるなら、イージス艦の登場以前と以降で、軍艦のデザインがガラリと変わってしまったようなものだろうか。『夕張』はいわば、昭和初期に続く軍艦のデザインを決定づけた、ファッションリーダーのようなものだったのかもしれない。
「ここに兵装、まだ載りそうよね? うん」『艦隊これくしょん -艦これ-』における『夕張』は、新兵器の実験に興味津々なキャラクターとして描かれている。技術的な革新をもたらした船体の設計が、彼女を新しい技術を追求する性格に変えたのかもしれない。
もっとも最近ではそこからさらにイメージが膨らんで、
「こんなこともあろうかと!」
と、新兵器を開発する博士的なポジションにも捉えられているようだが。
これはモデルとなった艦の辿った歴史が、艦娘(かんむす)という擬人化に際してキャラクターの個性にどう影響しているのか、そしてそれを見たユーザーがどう想像力を膨らませていくのか──その一連のメカニズムが窺える、興味深い現象だ。
『夕張』の場合は特に、作り手とファンが一体となってキャラクターを育て、新たな一面を開発したと言えるのかもしれない。
なお実戦における『夕張』は、第四艦隊麾下の第六水雷戦隊旗艦として1941年12月にウェーキ島攻略作戦に参加(この戦闘で、指揮下にあった駆逐艦『疾風』と『如月』を喪っている……)。その後、第一次ソロモン海戦では通称「三川艦隊」の一隻として、軽巡『天龍』とコンビ(第十八戦隊)を組んで敵重巡を撃破した。
(取材・文/秋月ひろ)