サッカー日本代表 (2013年11月19日、撮影:岸本勉/PICSPORT)

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 前回、2010年南ア大会。日本のその成績に運はどれほど絡んでいたか。もう一度やれば、同じ結果を収めることができただろうか。
 
 パラグアイとのPK戦で、駒野がもう一度、外すことはないと思う。きっとベスト8に行けていたに違いない。そうした声もあろうかと思うが、僕が問いたいのはその前段階。ベスト16までの道のりだ。その過程に運はどれほど絡んでいたか。
 
 僕の見解は「もう一度やればグループリーグ落ち」だ。そのベスト16には、ラッキーな要素が多分に絡んでいた。結果を前提にモノを語るのは危険。今回、日本が振り分けられたC組を「楽な組」と言っているのは誰なのか。思わず注意したくなるが、それはともかく、我々は、この抽選の結果を受けて、もう少し謙虚になるべきだと思う。対戦相手をもう少しリスペクトする必要がある。それなしにベスト16入りはない。そう声を大にして言いたくなる。
 
 欧州人がC組を「楽な組」と言うなら分かる。すんなり耳に入ってくる言い回しになる。あるいは、外電の中に楽な組という表現はあったのかもしれないが、それを日本人が彼らと一緒になって使うのは恥を知らず。愚かな行為になる。
 
 日本には、そのあたりに繊細になれない人が目立つ。彼らにとっては楽そうでも、こちらには死に見える。「死の組」「楽な組」の意味合いは、立ち位置によって異なるのだ。
 
 うっかりなのか、意図的なのか。ファンならばうっかりは許されるが、国民をリードする力があるメディアの場合はそうはいかない。意図的なものと言われても仕方ない。
 
 まだベスト16にしか行ったことがない日本のレベルを考えれば、どの組に振り分けられても死だ。楽な組は本来ひとつもない。「楽な組」がキャッチコピーとして浸透する様子を見ていると、腹立たしささえ覚える。
 
 ジャーナリズムとしてだけではない。エンターテインメントとしても問題だ。楽な組と言ってしまっては、面白くも何ともないのだ。楽な組を勝ち抜くより、死の組を勝ち抜いた方が100倍楽しい。より大きな感激、感動を味わえる、とは思わないのだろうか。
 
 世界は広いのだ。強敵は世界の至る処に存在する。そこで勝つか負けるか、ギリギリの戦いを演じる姿、接戦をきわどく勝ち抜く姿を堪能することが、W杯の楽しみ方だと思う。楽勝する姿を見るのは、面白い行為とは言えない。
 
 確かに、日本の実力は前回よりアップしている。しかし同時に、世界のレベルも上がっている。どちらの上昇率の方が高いのか。日本が右肩上がりであるか否かは、それを比較したモノになる。僕の勝手な見解では、日本が5%であるのに対し世界は4%。日本は右肩上がりを維持している。が、それは1%であって5%、10%ではない。上昇率は僅か。そう考えるのが自然だ。前回大会より状況は若干よい程度だ。

 カメルーン、オランダ、デンマーク。前回の対戦国と今回の対戦国、コートジボワール、ギリシャ、コロンビアのレベルはほぼ同じ。オランダとコロンビア、デンマークとギリシャ、カメルーンとコートジボワールの関係はほぼイーブンだ。
 
 前回4年前、組み合わせが決まったとき「楽な組」と言った人はいなかったハズだ。そして、デンマーク戦で本田、遠藤のFKが立て続けに決まったことを、当然のこことして振り返る人も少ない。天の配剤に従えば、今回、運は望めそうもない。むしろ不運に怯えながらの戦いになる。
 
 もっとも、多くのファンが本来望んでいるハズのものは、グループリーグ突破ではない。前回以上、ベスト8だ。準々決勝で強豪を向こうに回し、接戦を演じる姿である。だが、その点に言及した報道をするメディアはいない。理由は分かりやすい。