映画「GAMER」、誰にでも支配したい欲はある?

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 2034年、ケン・キャスッル社が開発した脳細胞手術を受けた生身の人間を操作するゲームが流行していた。中でも「スレイヤーズ」という囚人を操って戦闘を繰り広げるゲームは人気の的だった。「30回勝ち抜けば釈放」という条件をつけられたこのゲームの中で、その強さ故に英雄視されているケーブル(ジェラルド・バトラー)は無実の罪で投獄された囚人。ケーブルは愛する妻と娘に再会するため、【ゲーム】の世界から抜け出そうとする。これが映画『GAMER』のストーリー。最新の撮影技術とアクションを融合させてつくられたこの映画の魅力について、監督のマーク・ネヴェルダインとブライアン・テイラーに聞いてみた。

――この映画の世界観は現代社会を反映したものなのですか?

ブライアン・テイラー(以下、ブライアン):この映画は陰鬱な警告でも、過剰性を示唆するものでもない。僕達自身、映画に出てくるゲームはどれも、参加者としてもコントローラーとしてもプレイすると思う。一般的なゲーマーたちも同じだと思う。

マーク・ネヴェルダイン(以下、マーク):みんなに正直に答えてほしいな。もし機会があったら、他の人間をコントロールしたいと思うか、思わないか。みんな、思うはずだ。現在放映されている人気リアリティ番組を見れば、一目瞭然だよ。特権を得るためなら、人はどんな代償も払うだろう。そう、この映画は多少警告の意味合いを含んでいる。映画の中のヒューマンズという抵抗組織は、ケン・キャッスルの野望を食い止めようとする。ケンは世界を支配しようとする独裁者で、まさに人形遣いなんだ。

――アイデアはどこから生まれたのですか?

マーク:リアリティ番組の愚かしさや、ビデオゲームを1週間毎日24時間もプレイする人がいること、金網格闘技や過激な総合格闘技の大人気などについて、僕達は話し合っていた。それにレイ・カーツワイルの“技術的特異点”についてもいろいろ読み進めていたんだ。もし今日、生きた人間を使ったビデオゲームがあったらどうなるだろう、と考えた。どんなゲームだろう? どんな映像だろう? そのアイデアをやりとりし続けた結果、この魅力的でクレイジーな映画を考え付いたんだ。僕達は“パックマン”や任天堂などのビデオゲームと一緒に育った。でもものすごいリサーチをしたよ。“セカンドライフ”も、 “グランド・セフト・オート”もプレイした。たくさんのビデオゲームをリサーチする必要があったんだ。

ブライアン:僕等の世界の一部でもあるからね。遠くで観察しているわけじゃないんだ。

――この映画は現実世界と繋がる点が数多くありますが、現実をどこまで拡張しようと決めていましたか? どこに境界線を引いたのですか?

ブライアン:映画を見て本物と感じて欲しかった。これは現実を一歩進めたものであって、映画を見て「6ヶ月後はこうなっているのかもしれない」と思って欲しかったんだ。あまりに突飛で推論ばかりだと、観客が共感できなかったり、入り込めないだろう。

マーク:僕達が持つ一番闇の部分の欲望を暴きたいんだ。自分達ばかりでなく、誰もが持っている闇の欲望をね。これは真実だよ。こういうことは現在、世界中で起こっている。当事者ではないかもしれないが、実際に存在するんだ。この映画のアイデアは、僕達の頭の中から純粋に生まれたものではなく、リサーチから出て来たものだ。テクノロジーも、クレイジーな性も、現実に基づいている。ナノテクノロジーに関してもかなり研究した。テクノロジーは急速に進化していて、ある時点で僕等を追い越してしまうだろうというのも本当のことだ。今、それを止めようとしない限り、必ず起こるだろう。だから、そうした世界に入り込むのは楽しかったよ。闇の世界やその行く末の姿を創造してみたかった。ただ、僕達はそれを楽しく刺激的に表現しなくてはならない。だから、性的描写やアクションを取り入れたんだ。観客はゆったり座って、ポップコーンを食べて、楽しみたいと思っているわけだからね。

ブライアン:映画の中のあらゆる要素が、魅力的で、楽しくて、愉快で、格好よくなかったら、世界がその方向へ進化するだろうなんて心配する理由はなくなってしまう。大事なのは、麻薬のような作用を持つことなんだ。僕達を引き込んでいる。楽しくなかったら誰もやらないし、そうしたら心配するようなことは何も起きない。もし、この映画に警告があるとしたら、ゲームがあまりに楽しいから、避けることもできずに、人々はボタンを押してしまうということなんだ。

――このゲームのボタンを押してしまうという心理の根底はどこにあると思いますか?

マーク:僕等があまりに技術的に進んだ世界にいて、進歩しか起こらないと思っているからじゃないかな。もし、何もかも奪われてしまったら、自然の方がもっと楽しいことに気づくかもしれない。人間、生の人間、個人個人と関わるほうが、コンピューターを通したコミュニケーションよりももっと楽しくて刺激的だ。でも、僕等は今現実の世界に住んでいるんだ。

ブライアン:メディアに晒されると、異なるレベルの期待が生まれる。僕達はひとつの人生ではもう満足できないと思う。過去においては、これほどメディアに晒されていなかった。だから一箇所に住んで育ち、他の場所や文化や体験は話で聞くものであって、個人的に触れられるものとは思えなかった。今日では、何もかもがあまりに身近で、自分が住む世界の片隅で得られる人生や体験以上のものを期待していると思う。自分にはこの世界の一部を掴む資格があると思っている。人々は100の人生、いや200の人生を生きたいと考え、ひとつの人生では満足できない。仮想キャラクターを操り、異なる経験をし、アバターや人工的な存在を通して生きようとするのは、そこに惹かれるからだ。みんな、もっと多くを求めているのさ。