土曜日、知人カメラマンが長年、撮影してきた作品を、プロジェクターを使って上映するというので、鑑賞に出かけてきた。場所はアパートの一室。食べ物は持ち込み式。飲みたいお酒を、会場を提供している階下のお酒屋さんで購入する仕組みだ。

集まった人数は12〜13人。息子さんがサッカーをしている親が多くいた。J1クラブのトップチームに息子に持つ親もいれば、息子が、U-17のワールドカップに出場している日本チームの一員である親もいた。これから数時間後に始まるブラジル戦を、待ち焦がれている様子だった。

そうこうしていると、参加者の1人がこう訊ねてきた。

「スギヤマさん、良い選手の定義って何ですか?」

実は、その何日か前、僕もそれについて自問自答したばかりだった。だから答えをあっさり返すことができた。

「空気が読める選手」「頭が切れる選手」

ただ、自問自答したときもそうだったが、引っ掛かかったのは「良い」という日本語だ。「良い」の定義である。「凄い」ではなさそうだ。クリスティアーノ・ロナウドやメッシのようなタイプではない。「巧い」でもなさそうだ。「賢い」が近そうな気もするが、いまひとつスポーティな感じがしない。

もう一つ、要素を加えるならば「抜け目のない選手」になる。「頭が切れる」をもう少しサッカー的な言葉に置き換えた感じだが、これも絶対的な言葉ではない。良い選手の定義を語るのは、思いの外、難しい。しかし、そうした選手を探していると、該当者はなんとなく中盤選手に絞られてくる。これでは「中盤サッカー」を揶揄する資格はなくなる(?)

それはともかく、良い選手か否かを見分ける方法は別にある。前回のブログでは、岡田サンの喋りについて、意見を述べさせてもらったが、それは選手についても同じことがいえる。良い選手ほど喋りはイケる。僕はそ う思う。話の中身が「面白い」。逆に言えば、監督向きか否かは、現役時代の喋りであらかた判断できる。

石川遼クンが、サッカー選手だったら、監督に向いていると思う。「あの喋り」は、「あのプレイ」に匹敵するものがある。なにより「空気が読めている」し、サービス精神がある。

女子の宮里藍チャンや、先日、スポーツ大陸に出演していたその後輩の有村智恵も、若いのにキチンと喋れていた。ゴルフは個人競技。サッカーは団体競技。ゴルフが大人とプレイする機会が多いのに対し、サッカーは同年代の選手とプレイする機会の方が多い。ゴルファーの方が、話術を磨く機会に恵まれているのかも知れないが、サッカー選手はもっと努力する必要がある。

しかし、そうした視点でいまの日本代表を見ると「ホンダケイスケ」は例外になる。この選手の喋りは面白い。人を惹きつける喋りができる。喋りを聞いただけでだけで「良い」選手だと言いたくなる。

で、僕が将来有望なサッカー少年の親なら、喋りも鍛えさせているに違いない。人前でいかに面白いことを言うか。気の利いたコメントを吐けるか。今回のU17のワールドカップに、自分の息子さんを送り込んでいるプロ野球解説者の高木豊さんが以前、僕にいったことをふと思い出した。「つまらないコメントを吐いたときは叱ることにしている」。それこそが「良い」選手への近道であり、絶対条件だと思う。

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