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 シンガー・ソングライター松山千春(70)が4日、NACK5「松山千春 ON THE RADIO」(日曜後9・00)に出演し、先月18日に多臓器不全のため91歳で亡くなった脚本家の倉本聰さんとの“2度のケンカ”を明かした。

 8月の放送で、倉本さんと北海道への思いを巡って大ゲンカしたと明かしていた松山。この日はリスナーからのメールに応える形で「俺と倉本さんって凄い仲良かったんだ」と語り始めた。

 倉本さんは1977年に富良野へ移住した。松山は同年に「旅立ち」でメジャーデビュー。その頃に交流が始まったそうで「“千春くん、自分は富良野に住むことになったから”“いいですね、俺、ラジオなんかで札幌行く時は必ず富良野通りますから寄っていきましょうか?”“頼むね”とか言ってな」と会話を回顧。足寄から札幌へ行く途中で富良野に立ち寄り、親しい付き合いが続いていたという。

 「2丁目3番地」「青春とはなんだ」「うちのホンカン」シリーズ、「前略おふくろ様」と倉本さんが手掛けたドラマを挙げて「大好きだったからな」と松山。

 しかし交友が4~5年続いた後、ススキノの飲食店で言い争いになった。「倉本さんが俺に向かって“千春も北海道の人間じゃなくなったなあ”って言うわけだ。要は俺がコンサートで全国回ってるべ。なかなか北海道、札幌にずっといる機会もなくてな。“北海道の人間じゃなくなったな”って言われてカチーンときたんだ」と笑いを交えて明かす。

 「そこで“おい倉本、お前今何て言った?俺が北海道の人間じゃない?バカ言うんじゃない、この野郎。俺には200年の北海道の人間の血が流れているんだ。てめえなんか昨日今日富良野に来たばっかりじゃないか。そんなやつに北海道の人間じゃないなんて言われたくないよ、バカヤロウ、帰れ!”って言ったんだ。そしたら本当に帰ったんだよ。これが1回目の衝突だったんだ」

 その後、同じ店で偶然隣り合わせになり、ケンカがなかったかのように会話を交わした。すると今度は映画を制作するという倉本さんが「お前を出演させる気はないよ」と言ったことから再びケンカに。「俺出演したいなんて一言も言ってないんだから。それでまたカチンときたんだよ。“バカヤロウ、何考えてんだ。俺がいつ出してほしいって言った!帰れ、この野郎”。それが2回目の衝突で」と思い起こし、「それからは俺も富良野へ行くことはなくなったし。全くなしのつぶての状態になってたんだけど」と疎遠になったという。

 近頃も札幌のそば店で顔を合わせることがあったが「病気してるとか全然知らなかったしな。パッと顔を見合わせてうーんみたいな感じでな、ケンカ別れした状態はずっと続いてたんだ」と明かす。

 「だからこそ亡くなったって聞いた時には寂しい、残念だっていう思いがこみあげてきた」と悼み、「子供のケンカみたいなケンカでやり合ったんだけど、倉本さんは立派な脚本家で劇作家で。倉本さんが残したドラマやなんかは今見たり聴いたりしても楽しい面白い」と話していた。