(※写真はイメージです/PIXTA)

写真拡大

日本には価値ある中小企業が数多く存在しますが、後継者を探すことができず、廃業に追い込まれるところが後を絶ちません。ここでは、年商約2億円、利益約1,400万円の特殊技術を有する建設会社の経営者による会社売却の相談事例から、経営者の残念過ぎる「認識のずれ」について考察します。M&A専門税理士の都鍾洵(みやこ しょうじゅん)氏が解説します。

年商約2億円、利益約1,400万円の中小企業経営者からの相談

「うちの会社を売ったら、5,000万円くらいにはなるんじゃないかと思っているんです」
そう話すのは、福岡県で特殊な建設工事を手掛ける高橋建工(仮称)の高橋社長(仮名)です。

高橋社長は長年、建設業界で仕事をしてきました。決して大きな会社ではありませんが、建設業許可を持ち、特殊な工事を手掛ける職人は6人。取引先には大手ゼネコンも複数ありました。

年商は約2億円。利益は約1,400万円。中小企業としては、十分な利益を出していました。

そんな高橋社長が会社の売却を考えるようになったきっかけは、自身の健康への不安でした。現場に出る気力もなくなってきました。ここ1~2年は入退院を繰り返してきました。後継者もいません。

「この会社を誰かに売れるのではないか」

そう考えるようになったといいます。

「うちの会社なら、5,000万円くらいで売れるんじゃないか?」

高橋社長は、M&Aについてまったく知らなかったわけではありません。最近はSNSを見ていても、中小企業のM&Aに関する情報が流れてきます。M&Aセミナーにも参加しました。「年間利益の十倍の価格で売れた」そんな話も耳にします。

自分の会社に当てはめて考えてみました。

年商2億円。利益1,400万円。職人6人。建設業許可もある。しかも取引先には大手ゼネコンがいる。

「それなら、10年分とは言わないが、5,000万円くらいで売れるんじゃないか?」

高橋社長はそう考えていました。

もちろん、3,000万円ほどの借入金はあります。しかし、仮に5,000万円程度で会社を譲渡できるのであれば、借入金を考慮しても2,000万円程度の価値が手元に残る可能性があります。なにより、自分自身が健康面の不安を抱えながら無理して働き続ける必要がなくなります。

そこで専門家に相談することにした高橋社長は、筆者のもとを訪れたのです。

「道理で話が噛み合わないわけだ…」

筆者のところに相談が来たときも、最初に聞いていた会社の概要は同じでした。

●年商2億円

●利益1,400万円

●従業員6人

●特殊な建設業で、建設業許可あり

●取引先は大手ゼネコン


筆者は「この内容なら、十分M&Aを検討できる会社だろう」と思っていました。

もちろん、5,000万円で売れると決まったわけではありません。M&Aの価格は、決算書の数字だけでは決まりません。財務内容、今後の収益性、取引先との関係、従業員、技術、許認可、そして買い手との相性など、さまざまな要素によって変わります。

それでも、少なくとも「買い手を探してみましょう」という話にはなるだろうと思っていました。

ところが、面談を始めてしばらくすると、どうも話が噛み合いません。

そこで筆者は、あらためて確認しました。

「社長、年商2億円、利益1,400万円というのは、今の数字ですよね?」

返ってきた答えは、予想していなかったものでした。

「2年前です」

「えっ…2年前ですか!? では、今の売上は?」

話を聞いていくと、現在は事業をほとんど行っていないことが分かりました。会社は、ほぼ休眠状態です。

「職人さん6人は?」

「もういません」

従業員はゼロになっていました。2年前には、特殊な工事を手掛ける職人が6人いた。しかし現在、その組織はもうありません。

そして借入金について確認すると、約3,000万円。こちらは残っていました。

つまり、高橋社長がSNSやM&Aセミナーなどを見ながらイメージしていた、「年商2億円、利益1,400万円の建設会社を5,000万円くらいで売却する」という話は、そもそもの前提が違っていたのです。それは「2年前の高橋建工」の話でした。「今の高橋建工」ではありません。

事業実態ほぼナシ、従業員ナシ、借金は3,000万円

ここで非常に厳しい話をしなければなりません。現在の状態では、5,000万円で売るという話ではありません。

では、3,000万円でしょうか、1,000万円でしょうか。残念ながら、そういう話でもありません。「0円なら誰かが引き取ってくれる」という状態ですらありません。

事業はほぼ動いていない。従業員はいない。一方で、借金は3,000万円残っている。買い手からすれば、会社を引き継ぐことで得られる事業上のメリットが乏しい一方、負債の問題は残っています。

もちろん、実際の企業価値は個別に資産・負債や契約関係などを精査しなければ判断できません。しかし、少なくとも高橋社長が想像していた「5,000万円程度で会社を売却する」という状況からは、大きく離れてしまっていました。

高橋社長にとっては「5,000万円で売れると思って相談したら、0円どころか実質的にはマイナスだった」という、非常に厳しい現実です。

筆者も話を聞きながら、どうしてもひとつのことを考えてしまいました。

「2年前に相談してくれていたら…」

どうして2年前に相談しなかったのか…

2年前の高橋建工には、職人が6人いました。売上は2億円ありました。利益も1,400万円出ていました。建設業許可もあり、大手ゼネコンとの取引実績もありました。

もし、その段階でM&Aの相談を受けていたらどうだったでしょうか?

もちろん、必ず5,000万円で売れたとは言えません。しかし、仮に5,000万円程度で評価する買い手が現れたとすれば、3,000万円の借入金を考慮しても、2,000万円程度の価値が株主に残った可能性があります。

それが2年後には、従業員がいなくなり、事業が止まり、借金3,000万円が残っている。「プラス2,000万円の可能性」が「マイナス3,000万円の問題」に変わってしまったわけです。この差は5,000万円です。

しかし、もっと大きな違いがあります。2年前なら、高橋社長には「選択肢」がありました。

●会社を売る

●もう少し自分で経営する

●後継者を探す

●従業員への承継を検討する

●売却に向けて数年かけて会社を整える

いくつもの選択肢から、自分で選ぶことができました。しかし、会社の事業基盤が失われてからでは、その選択肢自体が少なくなってしまいます。

会社の価値は「決算書の数字」だけではない

ここは、中小企業のM&Aを考えるうえで非常に重要なところです。会社の価値というと、「売上はいくらか」「利益はいくらか」「純資産はいくらか」という数字に目が行きます。もちろん、それらは重要です。

しかし、中小企業には決算書に直接金額として載っていない価値がたくさんあります。高橋建工でいえば、6人の職人です。

特殊な工事ができる職人を、買い手が一から6人採用し、教育し、組織として機能させるには時間がかかります。大手ゼネコンとの取引関係もそうです。長年の実績がなければ、簡単に築けるものではありません。

許認可や技術、取引先、従業員。そして、それらを組み合わせて利益を生み出している「動いている事業」そのものに価値があります。

ところが、一度事業を止めてしまうと、それらは急速に失われていきます。職人が退職する、取引先から仕事が来なくなる、実績が途切れる、売上がなくなる、利益もなくなる…。

そうなってから、「さて、この会社はいくらで売れますか?」と相談しても、2年前と同じ評価にはなりません。

M&Aは「売りたくなってから」では手遅れになるケースも

多くの経営者は、会社の売却をかなり先の話だと考えています。

「まだ元気だから」

「あと5年くらいは働くから」

「本当に体がしんどくなったら考える」

その気持ちはよく分かります。しかし、M&Aについては、この考え方が大きなリスクになることがあります。

特に中小企業では、社長自身が最大の営業マンであり、技術者であり、意思決定者であるケースが珍しくありません。

社長が健康を崩す→営業活動が減る→売上が落ちる→従業員が将来を不安に感じて退職する→さらに仕事を受けられなくなる→会社の価値が下がる


この流れは、想像しているより速く進むことがあります。高橋建工の場合、それがわずか2年の間に起きました。

だからこそM&Aは「もう会社を続けられないから売ろう」ではなく、「まだ十分続けられるけれど、将来どうするか考えておこう」という段階で、一度専門家に相談しておく意味があります。

顧問税理士には2年前から見えていたはずなのに

そして今回、税理士である筆者が最も考えさせられたのが、この点でした。

高橋建工にも当然、顧問税理士がいました。2年前の決算書も見ていたはずです。年商2億円。利益1,400万円。借入金3,000万円。社長の年齢も分かっていたでしょう。

その後、売上が減っていくことも、従業員が減っていくことも、決算書や試算表を見ていればある程度分かったはずです。

もちろん、顧問税理士にM&Aを提案する義務があるわけではありません。税理士の本来業務は税務申告や税務相談です。

しかし、中小企業の経営者に最も近い専門家の一人が顧問税理士であることも事実です。
だからこそ、

「社長、後継者はどうするんですか?」

「この会社、5年後は誰が経営しているんですか?」

「もしお子さんが継がないなら、第三者への譲渡もありますよ」

そんな一言があってもよかったのではないか。今回の相談を受けて、私はそう感じました。

「社長、この会社、将来どうしますか?」の一言があったなら…

私は、税理士がM&A仲介をする必要があるとは思っていません。買い手を探したり、交渉したり、契約をまとめたりすることまで、すべての税理士ができる必要はありません。
しかし、「この会社は、今なら第三者に引き継げる可能性がある」と気づくための知識は持っておいた方がいい。そして、必要であればM&Aの専門家につなげる。

「社長、この会社、将来どうしますか?」

何気ないその一言が、数年後の経営者の人生を大きく変えることがあります。「2年前に相談してくれていたら…」そんな言葉を、できるだけ言わずに済むように。税理士がM&Aについて知っておく意味は、そこにもあるのだと思います。

もちろん、税理士だけではなく、経営者仲間や中小企業診断士、社会保険労務士、弁護士や財務コンサルタントなど、中小企業の周りに居る方にも、同じような役割が期待されます。

※ この事例は実話に基づいていますが、秘密保持のため、エリアや業種などを適宜変更しています。

都 鍾洵
税理士