和室仕上げの“3人乗り”センチュリー!

写真拡大

クーペなのに“3人乗り”!

 2026年10月13日(火)から10月16日までJapan Mobility Show Bizweek 2026が開催予定です。2025年10月に開催されたJapan Mobility Show 2025、トヨタは最高級車「センチュリー」を独立したブランドとして立ち上げる方針を示すとともに、新たなコンセプトモデルを「ジャパンモビリティショー2025」に出展しました。鮮やかな緋色のボディをまとった2ドアクーペは、3人乗りという独自のシートレイアウトを採用しています。

 センチュリーは、明治100年とトヨタグループの創始者である豊田佐吉の生誕100年にあたる1967年に誕生したモデルです。日本を代表するショーファーカーとして半世紀以上を歩んできた名前が、ブランドとして独り立ちすることになりました。

【画像】超カッコイイ! これがトヨタの「“3人乗り”センチュリー」です! 画像で見る(33枚)

 壇上のモデルについては、ドライバーズカーとショーファーカーの融合、そして唯一無二を意味する「ワン オブ ワン(One of One)」という世界観が示されました。

 いっぽうで2026年9月現在、主要諸元やパワートレイン、価格、発売時期は公表されていません。公式名称も「CENTURY Concept Model(センチュリー コンセプト モデル)」とされているのみです。

 ショーファーカーとドライバーズカーを両立させた中身は、運転席側が前後2席、助手席側が1席の3人乗り仕様。究極のフレキシブル空間のなかに日本の美と匠のモノづくりを結集させ、工芸品のように美しい高級車の在り方を提案するモデルとされています。

 一般的なラグジュアリークーペでは2+2のシート配置が主流ですが、センチュリークーペのリアシートは運転席の後方にのみ設けられています。ショー会場では助手席が大きく後方へスライドした状態で展示されていました。

 インテリアデザイナーによると、助手席はロングスライドしてリラックス姿勢にでき、オットマンも出現。最後端まで下げた状態では、非常に広い空間でリラックスできるようにつくったといいます。

 日本の和室を意識した空間づくりも取り入れられています。デザイナーは和室について、部屋そのものを見せるのではなく、そこにいる人が主役になる空間だと説明しています。

 開発陣は、このクルマはオーナーカーであり、ショーファーカーでもあると説明。センチュリーにはセダンとSUVがあり、パーティーなどにも乗って行けるショーファーカーのクーペがあってもいいのではないか、という考えから生まれたモデルです。

 もうひとつの見どころがドアです。前後にスライドして開く観音開き風のドアは障子から着想を得たもので、助手席は後方へ大きくスライドするだけでなく、乗降性を高めるために外側へ回転する機構も備えています。

 狙いは、和服を着用した状態でもスマートに乗り降りできること。リフトアップされた車高も、和服での乗降のしやすさを考えた結果だといいます。

 素材にも日本の伝統技術が投入されています。シートには西陣織を採用し、助手席前のセンチュリーロゴはコンセプトカーながら実際に漆塗りが施されたもの。輪島漆と西陣織を用い、日本の伝統美を伝えるインテリアに仕上げたといいます。

 鮮やかな緋色の外板色も匠の仕事で、60層を超える塗膜を重ね、磨き上げて仕上げられています。

 デザイナーは「従来からラインナップしているセダンはタキシード、2023年に追加されたモデルはオン・オフ問わず使えるスーツ、そして今回のクーペはパーティードレスをイメージした」とも語っています。

 ショー会場には、カスタマイズを施したセダンタイプの「CENTURY - GRMN」と、フルオーダーシステムの一例として仕立てられたSUVタイプの「CENTURY - TAILOR MADE」も並びました。

 その後、2026年6月には東京・北青山にブランドの発信拠点「センチュリー スタジオ ギャラリー(CENTURY STUDIO GALLERY)」が開設されました。センチュリーの実車を間近に鑑賞できる施設で、車両の購入相談は受け付けていません。

 購入やカスタマイズの相談は、トヨタが認定した「センチュリーマイスター」が在籍する取り扱い販売店が担います。

※ ※ ※

 2026年9月現在、クーペの市販化は発表されていません。それでもこのコンセプトモデルは、ドライバーズカーとショーファーカーを両立させ、日本の美と匠の技を結集するという、新たなセンチュリーブランドの方向性をはっきりと示しました。

 助手席に座る人を主役に据えた3席のレイアウトと、障子から着想を得た観音開き風のドア。緋色の2ドアが提案したのは、日本ならではの“おもてなし”のかたちでした。