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 デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は「史上初の1球勝利投手」を取り上げる。

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 グレン・ミケンズは1959年に、近鉄バファロー(後にバファローズ)へ入団した。UCLAとして知られるカリフォルニア大学ロサンゼルス校から、ブルックリン・ドジャース(後にロサンゼルスへ移転)に入団。メジャーでは通算4試合登板と芽が出ず、日本に新天地を求めた。

 1年目に11勝。2年目の60年に13勝と、エースとして弱小時代の近鉄を支えた。

 63年8月21日の南海戦(日生)で、珍記録は生まれた。3-3の同点で迎えた九回表1死、南海の樋口正蔵が安打で出塁。ここで別当薫監督は、徳久利明に代えてミケンズをマウンドへ送った。期待に応えミケンズは、南海のバディ・ピートに初球を打たせ、遊ゴロ併殺に仕留めた。

 その裏の近鉄は、1死満塁と好機を作る。ミケンズに打順が回り、代打の島田光二が打席に向かった。島田の打球は二塁へのゴロ。これを南海の森下整鎮がエラーし、三塁から土井正博が生還した。近鉄がサヨナラ勝ち。表の攻撃を抑えた、1球しか投げていないミケンズに白星が転がり込んだのだった。

 ミケンズはこの3日前の8月18日東映戦でも救援に立ち、5球で勝利投手となっている。この年8勝のうち、2勝をわずか6球で挙げた形だ。シーズン防御率も3.45とまずまずだったが、来日後自身ワーストで初の3点台。当時としてはベテランにあたる33歳という年齢からか、オフには解雇された。度重なる省エネ勝利で、運を使い果たしたのだろうか。(デイリースポーツ・高野勲)

 答え グレン・ミケンズ(近鉄)