「ハンカチ王子」の異名で2006年に夏の甲子園を制覇したのち、プロではなく大学進学を選んだ斎藤佑樹。早稲田大学では東京六大学野球リーグで31勝、防御率1.77という成績を残している。

【意外!!】日ハムでも巨人でもなく…ハンカチ王子が希望していた球団とは?

 大きな注目を集めたドラフト会議では4球団に1位指名され、結果的に北海道日本ハムファイターズが交渉権を得た。しかし、斎藤の中には別の「意中の球団」があったという。ベースボールジャーナリスト・石田雄太氏の新著『ハンカチ王子と呼ばれて 斎藤佑樹 54勝の記憶』(カンゼン)から一部抜粋してお届けする。


意中の球団は、日ハムではなかった ©文藝春秋

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大学時代の後半は、あまり記憶がなく……

 4年の時はいろんな想いがあったはずなんですが、覚えていることは少ないんです。高校の時もそうでしたが、悔しい負けがあったからこそ、喜びも大きかった。運気が上がる時というのは、ドーンと下がるからこそ上がるわけで、起承転結の“転”がなければ物語は盛り上がりませんよね。

 大学3年の時から悔しい経験をしてきて、4年の春はチームとしてもピッチャーとしても満足できなかった。だからこそ最後のシーズンは優勝したかったし、ピッチャーとしても有終の美を飾って、意味のある(起承転結の)“結”にしたいという気持ちはあったと思います。

 ただ、150キロが出た試合は覚えています。あれは4年の秋でしたよね(2010年9月11日、開幕戦となる法大1回戦)。右バッター(法大の5番、土井翔平)がアウトコースのちょっとボール気味の球を見逃して、三振になった球だった記憶があります。ずっと目標にしていた大台でしたし、夏の大学JAPANの試合に日本代表として出た(第5回世界大学野球選手権)時の力を入れずにビューッといく真っすぐに手応えを感じていましたから、その感覚が数字となって出たことは素直にうれしかったですね。

 300奪三振? それは覚えてないなぁ……明大戦(9月25日、明大1回戦、明大の2番、上本崇司から)ですか? その数字は達成したいとは思っていましたが、この三振が300個目だという意識はなかったんでしょうね。通算30勝も記憶にありません。

 ああ、東大戦……あれっ、東大には負けたんじゃなかったかな。内容はともかく、負けたことは覚えています(10月2日、その時点でリーグ戦35連敗中だった東大との1回戦に先発、7回を投げて被安打5、3失点。2対2の6回、ワンアウト一、二塁から6番の舘洋平にライト前へ勝ち越しタイムリーを打たれて、過去7戦7勝だった東大に初黒星を喫した)。

日ハムではなく……斎藤佑樹が「行きたい」と思っていた球団とは?

 30勝目が東大戦ということは、僕が負けたから3回戦があって、そこで先発して勝ったんですね。2試合ともピッチングはほとんど覚えていないんですが(負けた東大戦から中1日、9回を投げ切って被安打4の完封)、通算30勝と300奪三振の両方をクリアできたこと(史上6人目、過去に法大の江川卓、早大の織田淳哉、明大の秋山登、早大の三澤興一、慶大の加藤幹典が達成)は、大学での4年間、ケガもせず、メンバーから外れることもなく、しっかりとリーグ戦を戦えた証でしたから、そこは誇っていいところだと思っています。

 4年秋のリーグ戦は優勝の可能性を残した早稲田と慶應が最後の早慶戦を迎える展開でした。その前に行われたのがドラフト会議です。

 高校ではプロ入りを希望しませんでしたが、大学4年間を経てプロへ進むことは目標でしたから、大事な1日でした。ドラフト前に球団関係者と会うことはなく、應武監督と両親が各球団と面談していました。ヤクルトとロッテは早くから1位指名を公言してくれていて、2球団とも長く見続けてくれていたので本当にありがたかったです。

 僕自身、関東の球団を希望していましたし、とくに神宮球場が本拠地のヤクルトには憧れもありました。どちらに指名されても喜んで行くつもりでした。ドラフト間際になると、ソフトバンクも1位でくるという話が聞こえてきました。早実の大先輩、王貞治さんが球団の会長をなさっていて、それも光栄なことでした。ソフトバンクは関東の球団ではなかったけど、僕にとってこの3球団はどこも同じくらい、行きたい球団でしたから。

「日ハムはノーマークだった」「巨人への想いもあったし…」ハンカチ王子・斎藤佑樹が今だから明かす“あのドラフト会議”のウラ側〉へ続く

(石田 雄太/Webオリジナル(外部転載))