【全文公開】「ホンマはボクシングなんか嫌いやった」亀田興毅がいま明かす波乱万丈な″家族の記憶″
ヒールを演じ続けて
「子供の頃からずっとボクシングが嫌いやったんです。朝起きて毎日走りながら、『なんでウチの兄弟だけこんなんせなあかんの』とも思ってた。でも、亀田家にとってボクシングは義務。ヒールキャラで世間から叩かれても自分は″無″なわけ。だって、それが仕事なんやからね」
東京都・港区のオフィスビルの一室。ボクシング元世界3階級王者は、そう家族の記憶を辿った。亀田興毅、39歳。引退から11年を迎えた現在の肩書は、プロモーター兼経営者である。
5月末、興毅は報道陣の前で頭を垂れた。謝罪の理由は、自身がプロモーターを務めた「SAIKOULUSH」の5月のキルギス興行が中止になったことに端を発する。共同開催する「LUSH」社の資金繰りが悪化し、亀田との業務提携を解消。プロモーターライセンスの無期限停止処分となる可能性も取りざたされたが、「サイバーエージェント社」の資金援助で翌月の愛知興行は行われた。本人いわく「人生で最大の危機」だったという。しかし、その約2ヵ月後のこの日、すっかり″亀田節″が戻っていた。
「昔から、メディアから求められる″亀田興毅″を演じなあかんかったんです。いい子ちゃんで有名になるのは難しい。親父は『ヒールで嫌われたほうが世間に知られるのは早い』とずっと言うとった。ただ、ホンマの自分は人見知りやし、人前で話すのも苦手。会見で話す内容やパフォーマンスに悩んで寝られへんかった時もある。あっという間に現役が終わったから、プロボクサー時代のことはほとんど思い出されへん。今の立場になって、親父がボクシング界に感じていた危機感がようやく分かるようになってきた」
父・史郎(61)に幼少期からボクシングのイロハを叩き込まれ、次男の大毅(37)、三男の和毅(ともき・35)の3兄弟はいずれも世界王者となった。しかし、度重なる反則行為で批判された大毅と内藤大助(51)戦などの印象から、実績ほどの評価を得てきたわけではない。
引退後の原動力
’14年には3兄弟が所属する「亀田ジム」が資格停止処分となる。同年、JBC(日本ボクシングコミッション)職員が暴行・恫喝等を受けたとして、亀田ジム関係者4人に損害賠償を求める訴訟を提起。亀田ジムが勝訴するも、スポンサーやテレビ局は撤退した。3兄弟は国内で試合を行うことが実質不可能となり、自身も28歳で引退を余儀なくされた。
「4階級制覇をかけたシカゴでの最後の一戦で、ようやくボクシングが好きになれた。減量すら楽しくてね。試合には負けたけど、すぐ切り替えられた。もう自分たちみたいな″被害者″のボクサーは見たくない。それが今の原動力かな」
私生活では7億円もの巨額の投資詐欺に遭い、三男の学費を払えないほど貧窮したという。テレビやネット番組の出演料などで家計をやりくりした。先述の勝訴の判決後にボクシング界に戻った理由は、父との関係性にあるという。
「親父が作った『KWORLD3』というジムの意志を引き継ぎ、新たにプロボクシングジムを立ち上げた。親父のトレーナーライセンスも復活させて、自分の中では親孝行ができたのかなと思っている。ただ、今までのプロモーターの仕事はホンマに色々あった」
最初の興行は数百万単位の赤字。以降も、集客や資金繰りには苦労してきた。前出の「LUSH」社との騒動を経て、今後はより地道な活動が必要になる。
「自分は器用やないから、一つのことしかできへんけど、興味を持ったらとことん集中する。例えば『ドラクエ』とかもレベル99になるまで上げないと気が済まへん。オタク気質なんです。プロモーターの仕事はカネ集めが大半で、対象はボクシングを知らん方たち。『RIZINやブレイキングダウンとは違い、各国にコミッションがあり、五輪競技でもある』と、ボクシングの魅力を伝えるため時間をかけて説明していく。これが勉強になって楽しかったりする」
興毅が代表の「亀田プロモーション」は今年で21期目。手掛けた興行は31を数える。思い描く未来図はこうだ。
「東京一極集中型のプロボクシング界ではなく、大阪や西日本、中部でも世界戦をもっとやって盛り上げたい。これが自分の使命やと思って、西日本ボクシング協会の会長選にも出た。俺を嫌いな人もいるし、足を引っ張られてるな、と正直感じることもある。ただ、ボクシング界も新しい風が必要やし、チャレンジする人間がいないと廃(すた)れていくから」
今では亀田家で集まることは年に一度あるかないか。それでも、父のためという興毅の信念が揺らぐことはないはずだ。
『FRIDAY』2026年9月11・18日合併号より
取材・文:栗田シメイ(ノンフィクションライター)
