母親の言葉に命の危機を感じて逃走→捜索願を出され警察に“出頭”→母親が驚きの一言…公正証書まで作って親と絶縁した東大女子を待っていた“まさかの結末”とは
〈「高学歴の夫と結婚できた自分はレベルが高い」「こんなにすごいお母さんはいないのよ!」娘を教育虐待する母親が抱えていた“尊大な自意識”の実態〉から続く
学歴コンプレックスを抱えた母親による教育虐待を生き延びて見事東大に合格し、現在は公正証書を作って正式に親と絶縁した碓氷明日香さん(仮名・20代)。
【実際の画像】高校生の娘と母親とは思えない、殺伐としたLINEの画面
大学進学で地元を離れて上京したのにまさかの母親同居でバイトもサークルも禁止という超監視生活が続いていた。
碓氷さんが「逃げなきゃ殺される」と思った事件、スマホも持たずに家を出た逃亡生活、そして絶縁まで……。「毒親」との絶縁の一部始終を聞いた。(全4本の4本目)

母親から教育虐待を受け、絶縁した碓氷明日香さん
--母親が東京までついてきた状況から、どうやって抜け出すことができたんでしょう。
碓氷 始まりは大学1年生の秋の引っ越しでした。借りた家を母が気に入らず、2LDKの家に引っ越したんです。おかげで私も念願の個室ができ、「夜のうちに充電しないといけないから」とスマホを部屋に持ち込んで遊べるようになったんです。
「本当に殺されるかもしれない」と命の危険を感じたスマホ事件
--母親の監視から逃れられる時間ができたのですね。
碓氷 でも結果的にはこれが逆効果でした。夜中にこっそりスマホで遊んでいるのがバレて、母は虫の居所が悪かったのか「また裏切られた!」と罵倒されました。
面倒なのでかわして大学に行ったんですが、この日は実習がある授業の日で、授業時間が延長されました。それで夜遅くなって家に帰ると母はムスッとしていて、「お前は本当に言うことを聞かないから、お兄ちゃんを呼んで殴ってもらう」と言い出したんです。
--兄と母親は仲が悪かったのでは?
碓氷 なぜかこの時期の兄は母の味方で、仮に兄が来たら本当にボコボコに殴られると怖くなりました。
--命の危険を感じますね。
碓氷 兄も母譲りの癇癪持ちだったので本当に怖くて、「明日来たら本当に殺されるかもしれない」とずっと考えていました。それで「逃げるなら今日のうちかも」と思いついた瞬間に、衝動的に家出が決まりました。
「スマホは持っていけない。最寄り駅へ来てほしい」と逃走を決意したが…
--突発的な家出だったんですね。
碓氷 母の生活習慣が読みやすかったのが決め手でした。22時に挨拶をして寝たら、母は朝までまず起きない。その隙を見計らって友人に「今日逃げる」と連絡しました。スマホは没収されてリビングにあり、取りに行くと母を起こしそうだったので諦めました。
部屋のパソコンから、足がつかないようにLINEではなくXのDM機能を使って「スマホは持っていけない。○時に最寄り駅へ来てほしい」と打ち込み、普段使いのスクールバッグにパソコンと眼鏡、着替え、お気に入りの服だけ詰め込みました。もう二度と戻ってこない覚悟だったので、未練があるものをできるだけ持ち出しました。
--緊張感が伝わってきます。無事に逃げられたのでしょうか?
碓氷 22時を少し過ぎたころ、駅で友人と合流できました。友達の家に避難させてもらっていたら、23時頃に当時いちばん仲が良かったAちゃんからDMで連絡が来ました。母が私のスマホで「うちの娘がいません。どこに行っているか知りませんか」と探りを入れられた、と。
--すでに探しはじめていた。
碓氷 Aちゃんには母のヤバさをいつも話していたのでとぼけてくれたのですが、母に「娘は自殺しに行ったのかもしれない」と言われて、泣きながら連絡をくれました。友人の気持ちに感謝しましたが、クソ親に巻き込んでしまったことを、心から申し訳なく感じました。
--母親はその後どうしたんでしょう。
碓氷 母が夜のうちに警察に通報して、捜索願を出したとAちゃんから聞きました。翌朝には「このまま居場所を教えてくれないなら、全国報道にします」と言われたと聞いて、卑劣な脅しにはらわたが煮えくり返る思いでしたが、Aちゃんにこれ以上迷惑をかけるわけにもいかず、「この後交番に出頭しますので、何もしないでください」と母に伝えてもらいました。
--捜索願を出されたらどうしようもないですよね。
碓氷 交番までは、友達がみんなついてきてくれました。警察官が2人いて「すみません、私、捜索願を出されているものなんですが」と声を掛けたら、2人ともあたふたし始めました。
--警察官も驚いたでしょうね。
碓氷 1人が警察署本部に電話してるあいだに、もう1人が私に質問を始め、そうこうしているうちにパトカーが迎えに来て警察署へ送られることになりました。でもその時私はスマホもお金も持っていなくて、警察署から家へ帰ることもできない状態でした。
それで、関係者ではない友人たちはパトカーに乗せてもらえないのに、歩いて警察署までついてきてくれました。
--心強いですね。
碓氷 本当に友達には恵まれたと思います。パトカーの中でも警官の方は優しくて、フランクに「家出したん?」と尋ねてくれました。深刻に聞かれると気が滅入りそうでしたから、軽い雰囲気で聞いてくれてほっとしたのを覚えてます。
--とはいえ、警察署についたら母親とご対面ですよね。
碓氷 私もそう思って、母親から虐待を受けていた証拠としてパソコンに保存していた罵倒の録音を出そうとしたら、「あなた、成人してるから帰る気がないなら帰らなくていいですよ」と言われたんです。
未成年だと警察は親元に返す義務があるようですが、私は成人だから帰るか帰らないかを自分で選べると言われました。ちょうど成人年齢が20歳から18歳に引き下げられた時期で、それで自分で選ぶことができました。
--答えはもちろん……。
碓氷 「帰る気あるの?」と聞かれて、ないと答えました。そうしたら「じゃあ、本人は見つかったので捜索願も取り下げられますから、あとは1人で頑張ってね~」と言われてあっけなく解放され、警察署まで歩いてきてくれた友人たちと合流してその中の1人の家に向かいました。
母親から出た「縁を切ろう」という意外な提案の理由
--ただそれでは母親のおさまりがつかなそうです。
碓氷 むしろ逆で、このときに母もついに諦めてくれました。その時点で母から見た私は「せっかく熱心に導いてやったのに、自分を裏切って道を違えた愚か者」になっていたようで、「もう1人でどこへ行ってもいいから、お互いに迷惑をかけないことを公正証書に誓って、縁を切ろう」と提案がありました。
--思い通りにならないと知った瞬間に縁を切るまでいくのですね。
碓氷 私も縁を切るつもりで家を出ていたので、すぐに同意しました。ただスマホや保険証、マイナンバーカードなどを回収せねばならず、日を改めて一度家に戻ることになりました。「布団や机は処分に金がかかるから持っていけ」と言われたので、業者を雇いました。そのうえで、一人では怖いので幼馴染についてきてもらったんです。
--母親はどんな様子でしたか?
碓氷 顔は無表情のままで、すべてを諦めたような気配で私とは目線も合わせませんでした。私の部屋はとことん荒らされていたのですが、運び出すものと処分するものが区別されていました。アルバムは、全部捨てられていました。
--ついに母親の呪縛を断ち切ったんですね。
碓氷 不思議なもので、無関係になってから逆に母の笑顔を見かけるようになりました。家を出てしばらくしてから公正証書を作るために会う時にも「最近はいかがですか?」とニコニコしながら接してくる。親戚の子どもに接するような、適当に愛想を振りまく感じでした。
--完全に「他人」になったのですね。1人暮らしはスムーズに開始できたのですか?
碓氷 それが、もう1つだけ置き土産がありました。私の家は母子家庭で収入も少なかったので、東大入学後はずっと学費免除の対象になっていました。ただ、免除手続きは毎年更新する必要があり、その手続きには親のサインが必要でした。ですが、公正証書を立てて以降はその連絡も全く無視されるようになってしまったんです。おかげで免除書類が申請できず、休学して自力でお金を稼ぐ必要が出てきました。
--絶縁したとはいえ、ひどい話ですね。
碓氷 ある程度覚悟はしていましたが、お金だけはどうにもなりませんでした。家庭教師などバイトのシフトを詰め込みまくってどうにか学費を払っていたんですが、ついに間に合わなくなってNPOに学費の相談をしてみました。そうしたら「独立生計を立てていると証明すればいいので、住民票閲覧制限をやってみれば、あなただけで学費免除申請ができるようになるかもしれない」とアドバイスをされたんです。半信半疑でしたがやってみたら学費免除が通り、知識の大事さを痛感しました。
「どんなにつらいことがあっても、あの家に居続けるよりはずっと幸せです」
--長年拘束されていた母親から解放されても、まだ苦労は続いているんですね。
碓氷 どんなにつらいことがあっても、あの家に居続けるよりはずっと幸せです。何があっても、何をしていても、これ以上感じたことがないほどの幸福に包まれています。
いまは、あらゆるものを自分で選んでもいいんです。何に時間を使うか、何にお金を払うか、誰と付き合って、何を食べて、いつ寝ていつ起きるか。全部の決定権が自分にあります。
自分が本当に好きなものに気付けました。好きなものを好きだと言っても怒られない環境にもやっと慣れてきました。どれも、母から逃げたからこそ手に入ったものでした。
(布施川 天馬)
