ノーベル文学賞を受賞した哲学者・ベルクソンの真骨頂…記憶の正体を解き明かした「驚きの逆円錐図」

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あなたはまだ本当の〈時間〉を知らないー。仕事に家庭、学校…時間に追われ、せわしなく生きるすべての人へ。ぐいぐい読めて、世界が変わる!

注目の新刊『はじめてのベルクソン』では、現代を生きる私たちが時間とどう向き合うべきなのかが語られる。

(本記事は平井靖史『はじめてのベルクソン』の一部を抜粋・編集しています)

「記憶の逆円錐図」とは

私たちは普通、時間をこんなふうにイメージしています。過去から現在へ、現在から未来へと、一本の線が左から右に伸びている。出来事はその線の上に順番に並んでいる。小学校の入学、中学の卒業、就職、引っ越し──まるで年表のように。古いものが左、新しいものが右。これが私たちにとって最も馴染み深い時間の図です。

ベルクソンが提示した時間の像は、これとはまったく違います。

彼が『物質と記憶』の中で描いた有名な図があります。「記憶の逆円錐図」と呼ばれるモデルです(第三章)。

下に一枚の平面Pがあります。これが「現在」の空間です。その平面上に一つの点Sがある。これが「私」、つまり現在の身体です。そして、上には底面ABがある。これが「過去」──記憶のプール──です。遠い過去も近い過去も、すべてがこの一枚の面に載っています。

下の平面Pと上の底面ABとのあいだに、逆立ちした円錐のボディが拡がっています。この円錐のボディこそが、両者を結ぶ運動──すなわち心のさまざまな働き──を表しているのです。

先に進む前に、ひとつ注意点を挙げておきます。ここで「現在」とは、私たちが数学的に考えるような幅のない瞬時のことではありません。ベルクソンはこう述べています。「実在的で、具体的で、現に生きられている現在は、必ず一定の持続を占めている」(第三章)。現在とは、たしかに過去に比べればわずかなものですが、それでも感覚を受け取り、行動を起こすまでのあいだに拡がる、身体の生物学的成り立ちに根差した具体的で有限な時間の「幅」を持っています。「私の現在とは、本質上、感覚-運動的である」(第三章)。感覚から入り、運動へ出ていくまでに時間がかかる。これをひとつの「現在」としよう、というのです。この論点は、あとで持続のリズムが語られるときに効いてきます。

時間は記憶から導き出される

話を戻しましょう。この図で最も目を引くのは、「現在」と「過去」が、横に並んでいるのではなく、上と下に切り離して置かれていることです。速く短い「現在」の平面と、ゆったりと融合しながら過去を蓄えていく記憶のプール。この二つは、一直線上に連続する同質的なものではない。根本的に性格の異なる二つの層として、はっきり区別されている。

しかし──ここが肝心なのですが──異なるからこそ、両者は共存しています。過去は「通り過ぎたもの」、もう消えてしまったものではありません。現在と並行して、いまもそこにある。そのことが、上と下の垂直的な配置で表されているのです。

そして、この上下にまたがる運動がある。現在の感覚に触発されて記憶が呼び覚まされる。過去の経験が凝縮されて、いまの行動を方向づける。この縦の振り幅──現在と過去という異なる層をもつ時間的な厚みのなかでの揺れ動き──、それこそが心なのだとベルクソンは言うのです。

こう見ると、この逆円錐の図は、時間が心を作っているというベルクソンの大きな構図をみごとに視覚化していることがわかります。私たちが「時間」と聞いてまっさきに思い浮かべる、あの左から右への一本の直線──カレンダーや時計が刻む時系列──は、じつは、この縦の運動が生み出す「産物」の一つにすぎません。記憶の中からいくつかの出来事を取り出し、前後関係を比較し、横に並べ直す。そうして事後的に「時系列」という直線が引かれる。系列のかたちをした時間像は記憶から導き出されたものであって、その逆ではないのです。

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