大麻の葉をかたどったネオンとポップな外装が夜の街で目を引くショップ(プロンポン地区にて撮影)

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 昨年(2025年)の9月初旬、タイの首相に、アヌティンが選ばれることが確実視されたとき、多くの大麻ショップのオーナーは、「これで大麻ビジネスは安泰だ」と胸をなでおろしたという。

【写真を見る】店先に「処方箋無料」と堂々と…日本の街では考えられない「大麻ショップ」が当たり前にあるタイの街角 ほか

 それまで、タイの大麻ビジネスは先行きが危ぶまれていた。その年の6月に、大麻販売への規制が突然発表されていたためだ。その内容は医療目的を鮮明にしたもので、買う際には医師の処方箋が必要になった。当時、タイの政府内でも、大麻の合法化に舵を切った政策への批判が高まっていた。中毒者や若者への悪影響や治安の悪化に加え、海外からの批判があった。

大麻の葉をかたどったネオンとポップな外装が夜の街で目を引くショップ(プロンポン地区にて撮影)

 タイで大麻が解禁されたのは2022年6月のことだ。大麻は麻薬リストからはずされ、事実上の解禁状態になった。医療目的という建前はあったものの、法律の整備が間に合わず、大麻ショップは一気に増えた。2023年1月には7,700軒が店を開き、2025年には1万8,000軒を超える店がひしめくことになった。大麻バブルという言葉も生まれた。それが一転、規制によって、多くの大麻ショップが閉鎖していくことになる。タイ保健相の発表では、7,000店以上がライセンスの更新をしなかったという。大麻ビジネスの終焉という声も囁かれた。

 しばしばバンコクを訪ねる筆者は、2022年からの急増ぶりを目の当たりにしていた。コンビニがとり壊され、そこにできるのは、緑の葉の看板を掲げる大麻ショップだった。バンコクの歓楽街であるナナ、そして外国人が多いカオサンは、そこかしこに緑の葉の店があり、まるで大麻タウンのようだった。道を歩くと大麻のにおいが流れてくる。

 くわしくは後述するが、この大麻ビジネスをつくり出した張本人こそが、現在の首相のアヌティンだった。規制強化の流れのなかで店の存続を危うんでいた大麻店にとって、アヌティンの首相就任は朗報だったわけである。

大麻ショップにいたイギリス人に聞くと…

 実際、大麻を買うのに必要になった処方箋も、アヌティン首相就任後、タイらしい手法で骨抜きになっていく。昨年の暮れ、ナナにある大麻店に訊くとこんな答えが返ってきた。

「処方箋は必要だけど、うちが作ります。医師に話はつけたんで。ただ医師に謝礼は払わないといけないから、処方箋代として500バーツをもらうことにしたけど」

 500バーツは日本円にすると約2,500円。しかし店にいた客のイギリス人はこういった。

「処方箋は1ヵ月有効なんだよ。最初に500バーツ払えば、それから1ヵ月はいらない。俺は毎日この店にきてるけど、2回目以降は払ってないよ」

 これがアヌティン効果なのだろうか。警察のチェックもないという。筆者の感覚だが、今年に入り、大麻店はまた増えはじめたように映る。繁華街だけでなく、住宅街にも大麻店がお目見えするようになってきた。

「禁止っていう感覚はタイにはないと思う」

 タイの大麻ショップで売られている大麻はかなり高い。中レベルで1グラム500バーツ前後はする。高級品になると800バーツ~1,000バーツ。1回に吸う量は0・5グラムから1グラムといわれるから、高級品だと1回の吸引で5,000円もする。大麻ビジネスは儲かるのだ。これが大麻店が増える理由だった。

 これだけ高いとタイ人は買わない。買うのは観光客だ。先のイギリス人のような欧米人も少なくないが、アジア人が目立つ。なかでも中国人が多い。本国では厳しく規制されているからだ。日本人の若者も少なくない。好奇心に駆られて吸ってみるというレベルの人が多い。

 昔から大麻をよく吸っているタイ人たちの話を集めると、いまでもタイ人向けマーケットでは1グラム100バーツ以下で簡単に手に入るという。安いものは1グラム50バーツ前後、つまり約250円で買えるという。そのひとりLさん(39)はこういう。

「禁止っていう感覚はタイにはないと思う。表向きは禁止されていたけどね」

 筆者は以前、タイ人の家庭に下宿していた。その家の主人の弟が、日曜日には物干し台で大麻を吸っていた。そのにおいが家に広がっていた。オフィス街の1軒のジューススタンドが話題になったこともあった。朝、そこのジュースを飲むと元気になるという噂が広まった。後でわかったのだが、その店はジュースに大麻を入れていた。

 タイ人のなかには、日本人のような、大麻=悪といった感覚はない。日常に入り込んでいる。相場も安定し、吸う人は買うルートを知っていた。

支持獲得の手段として「大麻」?

 観光客を主な相手とする大麻ショップの構造をつくったのがアヌティン首相だった。大麻を高価格で売ることで、栽培農家を支援すると語っている。

 アヌティン首相はタイ政界の風見鶏といわれる政治家である。かつてはタクシン元首相が率いるタイ愛国党に加わっていた。2012年に父親の後を継いで「タイの誇り党」の党首になったが、2014年にプラユットが軍事クーデターを起こしてタクシン派政権を追放すると、2019年の総選挙を経て、タクシン派と敵対するプラユット政権に寝返って連立を組んだ。副首相や保健相を歴任する。

 この2019年の選挙では、アヌティンの「タイの誇り党」は大幅に議席を増やす。そのときの公約が農業振興策としての大麻解禁だった。プラユット政権下で保健相を務めていたアヌティンは、2022年の大麻解禁の立役者になるが、それは公約の実現でもあった。

 その後、タクシン派のタイ貢献党が政権を握ると、アヌティンはすっと鞍替えし、「タイの誇り党」はタイ貢献党と連立を組んでいく。ところが、タイ貢献党の党首でタクシンの娘であるペートンタン首相の電話音声流出事件が起きると、2025年6月、すぐにタイ貢献党を離れ、ペートンタンが失職すると、アヌティンらしい暗躍をはじめる。リベラル色が強い最大野党の人民党と話をつけ、首相選出選挙で首相の座を勝ちとっていくのだ。

 こと大麻に限れば、ここで潮目が変わっていく。もともと大麻規制を進めようとしていたタイ貢献党の政策は勢いを失っていく。

 それはタクシン派とアヌティンとの権力闘争だと分析するアナリストは多い。タクシン派の地盤は東北タイ。アヌティンはブリラム県と東北タイの農村の支持を集めている。その手段として、アヌティンは大麻を使ったと……。

取材に「輸入品は扱っていない」

 ナナの大麻ショップを訪ねてみた。1グラム125バーツ(約625円)といった安売りもはじまっている。3軒まわったがどこも買い方は同じだった。処方箋は完全に形骸化していた。客はパスポートを渡すだけで買うことができる。「これで大麻ビジネスは安泰だ」という店主たちの読み通りになっていた。

 しかし取材だと告げると、店主たちは一様にメニューを指差し、こう強調した。

「見てください。うちの大麻はすべてタイのもの。輸入品は一切扱っていません」

 厳しい経済環境のなか、タイの農業を活性化するというアヌティン首相の旗印を代弁するかのようだった。

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954(昭和29)年、長野県生れ。旅行作家。『12万円で世界を歩く』でデビュー。『ホテルバンコクにようこそ』『新・バンコク探検』『5万4千円でアジア大横断』『格安エアラインで世界一周』『愛蔵と泡盛酒場「山原船」物語』『世界最悪の鉄道旅行ユーラシア横断2万キロ』『沖縄の離島 路線バスの旅』『コロナ禍を旅する』など、アジアと旅に関する著書多数。『南の島の甲子園-八重山商工の夏』でミズノスポーツライター賞最優秀賞。近著に『僕はこんなふうに旅をしてきた』(朝日文庫)。

デイリー新潮編集部