日産EVの重要モデル 短命に終わるも日産ルネッサが20年先を見据えていたと言われる理由
今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第103回目に取り上げるのは1997年に登場した日産ルネッサだ。
クルマの多様化とセダン人気の凋落
1990年代はクルマ多様化の時代だった。ブームと名の付くものがいくつもあり、ステーションワゴンブーム(初代レガシィツーリングワゴン)、クロカンブーム(2代目三菱パジェロ)、乗用タイプミニバンブーム(初代ホンダオデッセイ)、BOXタイプミニバンブーム(初代ホンダステップワゴン)とコロコロと変わった。カッコ内はブームを巻き起こしたパイオニアで、その始まりと終わりは重複しているものもある。ちなみにBOXタイプミニバンの後は、SUVブーム(初代トヨタハリアー)、コンパクトカーブーム(初代トヨタヴィッツ&初代ホンダフィット)となっていく。
それに対しかつてはクルマの代名詞的存在でもあったセダン人気が凋落。ハイソカーブームで4ドアハードトップが飛ぶように売れた時代とは対照的だ。子どもにクルマの絵を描かせれば、セダンタイプを描かなくなったのもこの頃だったと思う。セダンがクルマの中心からの転落は、子どもに刷り込まれていった。

1980年代から1990年代初頭で大人気だったマークIIでさえ1990年代後半は苦戦を強いられた
ポストセダンを模索
セダンの不人気に対し自動車メーカーは危機感を覚え、特にトヨタは「セダンイノベーション」を掲げ、セダン復興を目指すと同時に、新ジャンルカーと言われるクルマを続々と登場させた。一方日産はトヨタのようなスローガンこそ掲げなかったが、セダン受難に苦慮し、新たなジャンルへ積極的にチャレンジ。
日産は1993年以降、経営不振に陥り、会社の財政は悪化の一途。そんななかでもチャレンジングな戦略を展開したのは、今考えても凄いこと。
その新たなチャレンジのひとつが今回紹介する日産ルネッサだ。

ルネッサはセダン、ワゴン、ミニバンのいいとこどりで生まれたクロスオーバーカー
1997年の東京モーターショーで正式発表
ルネッサは1997年10月に開催された東京モーターショーで正式発表された。実はこの東京モーターショー1997はコンパニオンの衣装革命があった年で、それまで着用が禁止されていたハイレグ水着など露出度の高いコスチュームが解禁となった。日産ブースの目玉の一台であるルネッサの周りにも当然水着のコンパニオンがあてがわれていたが、東京オートサロンのような過激なものではなく、節度をわきまえたもの。当時血気盛んだった筆者もどんな過激な水着のコンパニオンが登場するのか期待に胸を膨らませて取材に向かったが、完全に肩透かし。これは日産だけではなく露出度の高いハイレグはほとんどいなくて、東京オートサロンとは差別化されていた。そしてその後もエスカレートすることはなく、自動車メーカーのブースから水着のコンパニオンは姿を消していった。

デザインはもう少し華やかさがあってもよかったかもしれない
日産渾身のクロスオーバーカー
ルネッサのコンセプトは『パッケージ・ルネッサンス~車輪の上の自遊空間~』というもので、セダンの乗り心地、ステーションワゴンの積載性、乗用タイプミニバンの解放感(空間的広さ、余裕)をミックスさせたクロスオーバーカーで室内空間の広さを大々的にアピールして登場。車名のルネッサはルネッサンスを絡めた造語だ。
MPV(マルチ・パーパス・ビークル)は多目的車の意味でクルマのコンセプトを説明する際に好まれて使われていたが、ルネッサ登場に際し日産はMAV(マルチ・アメニティ・ビークル)という新語を登場させた。アメニティとは快適性とか気持ちよさの意味で、”たくさんの快適性を備えたクルマ”という意味だ。

MC後モデルはグリルが変更されている
最大の魅力は後席の広さ
ルネッサは全長4680×全幅1765×全高1675mm(X・FF)という3ナンバー専用ボディで登場。オデッセイ(2代目)が4770×全幅1795×全高1630mmだったのでほぼ同サイズ。オデッセイは3列シート専用モデルだったのに対しルネッサは2列専用。3列シートモデルと同等のサイズでシートが2列しかないため2列目(後席)は驚くほどスペース的な余裕があった。そのポイントは2800mmのロングホイールベースの採用にあり、フロントシートからラゲッジまでをひとつの部屋と考え、最大570mm前後スライドするリアシートで快適な空間を作り出していた。

リアシートは最大570mmのスライドが可能だった
フラットフロア、ウォークスルー、回転対座といったミニバン的な魅力も備えていた。クルマの魅力のひとつとしてプライベート空間というものがあるが、ルネッサは広いプライベート空間を家族で快適に使える、友人と寛げるクルマを目指していたのだ。

ミニバンのように回転対座も可能だったルネッサ
CMには大柄の3人を起用
ルネッサのTV CMは元プロ野球読売巨人軍の江川卓氏、俳優の内藤剛志氏、ミュージシャンの桑名正博氏という異色の顔合わせとなったが、その起用理由について日産では、「ルネッサは、室内の広さがセールスポイントになるクルマで、現代の人間のサイズを考えて造り直した新発想の車です。その現代人のサイズ(生き方や体の大きさ)というのにふさわしい人を選びました」と説明。ちなみに身長は江川氏と内藤氏が183cm、桑名氏が178cmという大柄な3人の男(父親役)がそれぞれの子どもとリアシートでふんぞり返って広さをアピールしていた。CMに起用された内藤氏は、プライベートでルネッサを購入し、その模様はCMでも放映されていた。

リアシートの広さだけでなく、インテリアのクォリティは高かった
GTターボにギャップ萌え
エンジンは、2L、直4DOHC(140ps/19.0kgm)、2.4L、直4DOHCディーゼル(155ps/21.6kgm)、2L、直4DOHCターボ(200ps/27.0kgm)の3種類。実用エンジンとして定評のあったSR20DE、トルクフルで余裕のディーゼルKA24DEに加え、日産の2LのスポーツエンジンのSR20DETを搭載するGTターボの走りはスポーティ。ルネッサは実用性重視のクルマながら、GTターボの駆動方式は4WDのみということもあり、トラクション性能に優れていて、安心・安全に気持ちのいい走りが楽しめた。
GTターボは販売比率は極少数だったが、ただの背の高いワゴンに見えながら、快速ツアラーという”ギャップ萌え”したマニアから愛されていた。

最もスポーティなグレードのGTターボは4WDのみ(写真はディーゼル搭載車)
EVありきで生まれたルネッサ
3種類の内燃機関エンジンを設定していたルネッサだが、もうひとつ画期的なパワーユニットを用意。それは当時としては珍しい電気自動車だ。ルネッサEVは1998年5月に発売開始となったが、一般販売はなく官公庁、電力会社向けにリース販売(月額約27万円!!)。ルネッサを語るうえで、このルネッサEVは非常に重要な意味を持っている。
1990年代に入りアメリカのカリフォルニア州で大気汚染対策として『ZEV(ゼロ・エミッション・ビークル)規制』が施行されることになった。これは、カリフォルニア州である程度の販売台数を計上している自動車メーカーは排ガスゼロのクルマ(つまり電気自動車)を一定比率で販売しなければいけないという厳しいもの。

北米向けのEVとして開発されたアルトラEV
それに対処するために日産は新型EVの開発を進め、床下にバッテリーを搭載する新型プラットフォームを開発。これにより誕生したのが、北米向けのアルトラEVであり、日本で販売されたルネッサEVなのだ。
日本で販売されたルネッサはEV専用プラットフォームに一部改良を加えてエンジンを搭載したモデル。つまりルネッサはEVありきで誕生したという点で非常に珍しい生い立ち。

ルネッサEVには現代のEVに通じる技術が多数盛り込まれていた
日産のEV戦略の礎的モデル
日産はプレーリージョイEVでソニーと共同開発したリチウムイオンバッテリーを世界で初めて搭載。プレーリージョイEVの技術を新開発プラットフォームに落とし込んだのがアルトラEV、ルネッサEVだったのだが、2010年に世界初の量産型EVとして自動車史に名を残すリーフや現在のアリアの技術的土台となったのだ。日産の現代のEV技術において、ルネッサEVは非常に大きな意味を持つ一台だったと言える。
リチウムイオンバッテリー制御のノウハウ、ネオジム磁石同期モーター技術、床下にバッテリーを敷き詰めるフラットフロア思想もルネッサEVが礎となっている。さらにルネッサEVでは非接触(ワイヤレス)充電も採用していた。ルネッサ時代にはいろいろな課題に直面しモノにならなかったが、現在も日産は普及を目指し開発を進めている。

プレーリージョイEVは世界初のリチウムイオンバッテリーを搭載
二重構造のフロアに泣いた!?
話を内燃機関モデルに戻そう。EV専用プラットフォームにエンジンを搭載するというある種掟破り的なルネッサだが、それが足かせになった点は否定できない。前述のとおり床下にバッテリーを搭載するように設計されていたためフロアが二重になっている。ガソリンエンジンの場合はバッテリーを搭載する必要はないが室内の居住空間のベースとなるフロアが高いため、ルネッサは1600mmを超える車高であってもミニバンのような解放感はなかった。広さを謳ったものの、言うほどでもないね、となってしまった。リアシートのロングスライドは快適性、利便性においても好評だったが、クルマというものは残酷なもので、ひとつのネガが命取りになるケースは少なくない。
このルネッサと同じ手法で登場したのがオデッセイの対抗馬のプレサージュ、バサラの乗用タイプミニバンで、ホンダが低床フロアの採用で背は低いが余裕の室内高を実現していたのは対照的だった。

車高は高かったがフロアも高く室内高はそれほど余裕がなかった
実売は目標の8分の1!?
ルネッサがデビューした時に日産は6500台の月販目標を掲げていた。非常に強気に思えるこの数字は、新ジャンルのルネッサに対する日産の自身の現われだったのだろう。しかし、実際には1997年から2001年までの4年弱で累計販売台数は約4万台にとどまった。そのうちリース販売のEVはMAX200台程度だからほとんどはエンジンモデルということになる。月販平均にすると約800台と高い目標値と比較すると約8分の1。
その要因は前述の二重フロアの件もあるが、まず当時はステーションワゴンの需要はレガシィシリーズを除きひと段落していたことが挙げられる。そしてこれはいざという時のことを考える日本人の気質でもあるが、同じくらいのボディサイズ、広さを謳うなら、2列シートよりも3列シートのほうがいいというユーザーの心理。3列のオデッセイ、イプサムなら、ジジ、ババが来た時に乗せてあげられるけどルネッサなら無理。
これは大きかったはず。それはオデッセイをベースに2列シート化したホンダアヴァンシアも販売面で苦戦したことでも明らかだろう。

オーテックバージョンは精悍なエアロを装着
後継モデルもなく4年弱で消滅
販売面で苦戦を強いられたルネッサだが、売れないから手を入れず放置とせず、日産は2001年1月にテコ入れのマイチェンを実施。
2LのFFモデルはコラム式の4速ATだったが、ハイパーCVTを新採用。4WDモデルに登降坂制御付きオートマチックを採用。これは坂道の傾斜をクルマが判断して最適なギアを選択するトランスミッションで、これは日産車で初搭載だった。

ハイパーCVTの採用で燃費と走りを進化させた
それに加え前述の高すぎる床の対策として後席のフロアステップ部を拡大して乗降性を向上させるなどの改良を施していた。
残念ながらこれらの改良を施したにもかかわらず販売アップにはつながらず、2001年9月に生産を終了し、在庫対応ぶんも12月に終売となり後継モデルもなく一代限りで終焉となってしまった。
しかし、ルネッサEVの技術が今の日産にとって非常に貴重かつ重要なものになったことを考えると、日産にとっては有意義なクルマだったと言えるだろう。

MC後は後席の乗降性を大きく向上させた
【日産ルネッサX(FF)主要諸元】
全長:4680mm
全幅:1765mm
全高:1675mm
ホイールベース:2800mm
車両重量:1460kg
エンジン:1998cc、直列4気筒DOHC
最高出力:140ps/5600rpm
最大トルク:19.0kgm/4800rpm
価格:236万円
※1997年10月発表時のスペック
【豆知識】ホンダアヴァンシア
ホンダが新たな高級車像を具現化したモデルで、1999年にデビュー。ベースとなっているのはオデッセイでコンポーネントを共用。オデッセイが乗用タイプミニバンなのに対してアヴァンシアはステーションワゴンとハイトワゴンをミックスしたようなキャラクターで、ホンダのアコードエアロデッキの再来とも言われていた。2001年にマイナーチェンジを受け、スポーツモデルのヌーベルバーグが追加された。オデッセイのようにヒットとはならず、2003年に一代限りで終焉となった。

ワゴン=高級という概念が日本にはなかったのも苦戦の要因のひとつ
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/NISSAN、HONDA、ベストカー編集部

