【朝香 豊】赤根智子所長が「制裁対象」に…アメリカが国際刑事裁判所(ICC)を拒否し続けるのはなぜか
クリントンの「重大な欠陥」懸念表明
2026年8月、トランプ米政権は国際刑事裁判所(ICC)のトップである赤根智子所長と、セネガル出身の上級法廷弁護士アブドゥライ・セイエ氏を制裁対象に追加した。制裁の内容は、両氏が米国内に持つ資産の凍結と、米国内の企業・個人が両氏と取引を行うことの禁止で、9月17日から発効する。ビザカード、マスターカードといった米企業が展開するクレジットカードの使用も困難になり、米銀行の利用もできなくなるのだろう。赤根所長には、相当に大変なダメージになるのは間違いない。
日本人の赤根所長が厳しい制裁の対象となったことには、日本人として複雑な感情を抱くのは当然のことだが、それでもこれをトランプ政権が異常だからだと単純に考えるのは、避けてもらいたいところだ。
ICCが設立されたのは2002年のことだが、それ以前の設立準備の段階から、米政府はICCのあり方に疑念を呈してきた歴史がある。米政府とICCの間には、長年の緊張関係があったと見ればいい。ICCの設立条約である「ローマ規程」について、当時の米大統領だったクリントン氏は、条約の「重大な欠陥」への懸念も明確に述べ、議会での批准手続きを求めなかった。ローマ規程を議会で批准してしまうと、ローマ規程にアメリカが完全に拘束されることになる。それは絶対に避けるべき話だった。その一方でクリントン大統領は、署名期限だった2000年12月31日にローマ規程に署名するという矛盾した動きを見せた。
こうした矛盾した対応を、なぜクリントン大統領は行ったのか。クリントン大統領は、署名することで米国が条約の運用ルール作りに関与し続けられ、「根拠のない訴追」から米国当局者を守る道を切り開こうとしたのである。実際、米国の交渉担当者は、アメリカ人に対する政治的な訴追の可能性を減らすため、ICCが扱う犯罪の定義をより厳密にする交渉に尽力していた。
クリントン大統領は「米国要員に対するICCの管轄権は、米国自身の批准によってのみ生じるべきである。米国は、自らその管轄下に入ることを選択する前に、時間をかけてこの裁判所の機能を観察し評価する機会を持つべきだ」との考えを示した。いつかは米国が懸念する必要がないICCになることを夢見つつ、それは当面はやってこないことを理解した上で、様子見を選ぶという現実的な対応を取っていたのだ。
その後、2001年に発足した(子)ブッシュ政権は、クリントン大統領が行った署名すら撤回し、政府機関や地方自治体がICCに対して協力することを禁止する米国軍人保護法を制定した。各国に米国人をICCへ引き渡さない二国間協定を求め、拒む国への軍事援助を制限する動きにも出た。ICCに対して部分的に協力する姿勢を見せることもあったが、オバマ政権でさえも米国人にICC管轄権を及ばせることには反対の姿勢を貫いた。このように米国はICCの創設から現在に至るまで、一貫してICCの非加盟国のまま続いてきた。
そしてトランプとイスラエルのスタンス
もっとも第一次政権期を含めて、ICCに対して最大級に厳しい対応をしているのは、トランプ政権だということは言える。第一次政権期の2020年には、米軍がアフガニスタンで戦争犯罪を行った疑いについて捜査する動きをICCが見せたことに対して、トランプ大統領はICCの検察官らに対し、米国内の資産を凍結するとともに、入国を禁止する大統領令を発動した。
イスラエルによるガザ地区への軍事攻撃に対して、ハマス側を味方する立場からICCがイスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相への逮捕状を発行したことを問題視し、第二次トランプ政権発足まもない2025年2月にもICCに対する制裁を行なっている。そしてこの逮捕状発行に大きな力を与えた国連特別報告者のフランチェスカ・アルバネーゼ氏を含む人権団体・人権活動家にも、ICCへの協力を理由に金融制裁を科してきた。
成熟した民主主義国である米国は、国内の司法制度の中で犯罪が処罰できる仕組みが整っているから、国内の制度だけで十分であり、国内の判断を超えた判断をICCに委ねる必要性はなく、そんなことをすれば国家主権を揺るがせることになると、トランプ政権は見ているのだろう。イスラエルも同様だ。
イスラエルとパレスチナを巡るメディア報道では、イスラエルを一方的に悪だと見る論調ばかりが目立つが、イスラエルからすれば、「イスラエルとの共存を否定して、イスラエルに武力攻撃を仕掛けてくる勢力がいることが問題なんだ」ということになる。
イスラエルとの共存は認められないというハマスやヒズボラなどとの戦いが続く中で、なんで平和共存を求める自分たちが一方的に悪だとされ、テロ攻撃されても反撃が許されないのか、反撃だけでは埒が明かないなら、テロ行為を行なってくる相手の武力を徹底的に潰しに行くしかないではないかと、イスラエルは感じている。
「国際正義」の名の下に、イスラエルの正義が否定され、反イスラエルが絶対に正しいとする政治的立場が優先されるようなあり方は、認めるわけにはいかないというのが、トランプ政権の考えなのだ。
なぜ「解体」なのか
ルビオ米国務長官は7月の声明でICCを「国家主権への看過できない脅威」と呼んで、その解体を目指す方針を明言した。なぜ「改革」ではなく、「解体」なのか。ICCは設立段階では、最も重大な犯罪を裁くための狭い範囲の『最後の砦』だとされた。しかし今やICCとその同調者たちは、ほぼ無制限の管轄権を持つ常設の世界法廷を目指すようになっている。
米国をはじめとした成熟した民主主義国家の裁判所や憲法をも上回る権限を持ち、国内の手続きでは無罪とされても、訴追・逮捕できる存在を、公然と目指すようになったからだ。当初の段階からよい方向に徐々にでも変わっていくのならともかく、当初の問題ある状態が逆に肥大化していくばかりになっていると、ルビオ長官は考えているのである。
ルビオ長官は、2020年のアフガニスタン戦争犯罪捜査を「米国の自治への攻撃の、あくまで最初の一手に過ぎなかった」と位置づけ、ICCは「左派系NGO、思い上がったグローバリストたち、そして米国への敵意で結ばれた第三世界の敵対的な政府群からなる強力なネットワーク」に支えられ運営されていると断じる。これはルビオ長官の妄想なのか。私はそうではないと思う。
イスラエルはパレスチナの土地を次々と奪っていると非難されるが、イスラエルが押さえたいのは、イスラエル攻撃の際に有利となる高台などだ。そこを使ってパレスチナ側が攻撃をしてくるから、攻撃地点として使えないようにするために占拠行動に出ているのに、攻撃地点として使えないようにするためというところが報道されることはない。この結果として、常にイスラエルは悪者扱いをされ、イスラエルに同調的な姿勢を示すアメリカも、おかしな国だと非難される。この背後に、反米・反資本主義こそが正しいとする左派的な党派性が隠れているのは、間違いない。
ICCは2020年に亡命ウイグル人が求めていた中国によるウイグル人弾圧に関する捜査要請を退けた。中国はICCに加盟していないので、中国国内で行われている行為についてICCには管轄権がないというのは、私には理解できる。この点で捜査要請が退けられたのは致し方ないところもあるのは認める。だが、ICC検察はそこからさらに踏み込んだ判断も実は示しているのだ。
ICC検察は、亡命ウイグル人が訴えた人口抑制を目的とした不妊手術や強制移住は、「国際人権法に抵触するおそれはあっても、(ICCの管轄である)人権に対する罪に当たらない」との判断も示したのである。民族浄化の手段として使われる強制不妊手術が、子供を持ちたいと願う女性たちに対する深刻な人権侵害とは言えないというのだ。ICCに対して、特定の政治的立場が強く影響していることは、この一件からしてもわかるだろう。
頭が痛い日本
こうしたICCの偏向性を問題視する立場からルビオ長官は、「暴力犯罪者を国外退去させようとする国境警備隊員、西半球の秩序回復のため命を懸ける海兵隊員、本土へのテロ攻撃を企てるネットワークの解体に取り組む連邦検察官―彼らは皆、『自国を守った罪』で絶えず訴追の危険にさらされることになる」と、具体的な職種を列挙しながら、その危険性を指摘した。
ルビオ長官は、ICCによる米軍・法執行機関への介入を「単なる権限の重大な逸脱ではなく、主権を持つ独立国家としての米国の終焉を意味する」とまで表現し、「我々の決定と国民が、ICCと『国際社会』を自称するその協力者たちの意のままになる。ICCを受け入れることは、国家の運命に対する統制権を放棄することに等しい」と結論づけている。
最後にルビオ長官は、トランプ政権の方針を「グローバリズムに対する主権国家の優位」という言葉で総括し、米国の安全保障の恩恵を受ける同盟国に対し、その提供者(米国)が標的にされている間、傍観者でいてはならないと訴える外交キャンペーンを展開すると宣言した。
こうなると、日本も傍観者でいるわけにはいかないが、これはなかなか厄介な話だ。
今回の制裁処置の発動に対して、日本外務省は「大変残念だ」とする報道官談話を出した。この談話において外務省は、「国際社会における最も重大な犯罪の処罰と撲滅、法の支配の徹底のため、常設の国際刑事法廷であるICCを一貫して支持してきている」との立場を表明している。このあり方はICCを解体しようとする米国の立場とは明らかに矛盾する。
今なお左翼的な考えばかりを垂れ流すメディアの情報空間に親しんできた日本国民には、トランプ政権の行動の意図がよく理解できないだろう。トランプ政権と良好な関係を維持していきたい高市政権にとっては、頭の痛い事態であるのは間違いないところだ。
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