だるまちゃんの生みの親、かこさとしが受け取った一通の不思議な絵葉書。国民的絵本作家、誕生の瞬間〉から続く

『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの作品で知られる国民的絵本作家、かこさとし。初展示が目白押しの企画展「生誕100年 かこさとし展 生きるということは、本当は、喜びです」が、横浜・山手の県立神奈川近代文学館で9月23日まで開催中だ。

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 先月7月24日に開かれた内覧会では、長女の鈴木万里さんがその生涯と展示作品についてギャラリートークを行った。

語り手・鈴木万里(かこさとし氏長女)
構成・文春文庫部


展示室入口前のスペースには、なにやら指さしているだるまちゃんの姿が。くまさかせんせいと、どろぼうたちがいる『どろぼうがっこう』の撮影コーナー。(撮影:杉山秀樹)

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“子どもの遊び”を収集した児童文学研究家

 父は、絵本作家の他に、児童文学研究家としての顔も持っていました。

 セツルメントでは、慈善事業ですから勉強を教えることは基本的に無料なのですが、そのことで初めは大人たちに何か良からぬものを植え付けられるんじゃないか、アカじゃないかと警戒されました。まだ「ボランティア」という言葉がない時代でした。

 大人たちは自分の子どもに、セツルメントの活動をしている小さな家に寄り付かないように、どうも言っていたらしい。そうすると、子どもはやっぱり警戒しますよね。でも、なんか面白そうなことをやっているし楽しそうだから興味はあって、行きたいけどどうしよう、と思ったのでしょう。直接家には入ってこないけれども、「ツルツルメント、ツルメント、ツルツルメントのハゲあたま……」とセツルメントへの悪口歌を歌い、はやしたてながら、ガラスや壁に絵を描いていました。

 勉強を教えに来る女子学生などは半泣き状態だったのですが、一方の父はおもしろいじゃないかと思って、「ちょっとその絵描き歌教えてよ」って子どもたちに言い始めたんです。「ツルツルメント、ツルメント」って歌いながら、おじさんの顔を子どもが描く。あるいは「山があって、里があって、大根畑に麦畑」と『春が来た』のような節で歌っていくうちに、だんだん可愛らしい金魚の絵ができ上がっていった。子どもたちは色々な絵をそうやって歌いながら描いていったのです。時間が経てば、また気分によって歌い方もどんどん変わっていく。やり方も十人十色です。

 父は子どもたちにも興味があったけど、彼らの描く絵や、絵描き歌のメロディーや調子、韻の踏み方に惹かれていった。

 それからというもの、50年間、集めに集めました。子どもたちに直接やり方を訊くこともあれば、講演先では「すみません、最後にアンケートの代わりに教えてください。皆さんはどういう“へのへのもへじ”や絵描き歌で遊んでいましたか?」と訊く。その調査研究の集大成は、『伝承遊び考』全4冊に結実しました。そして、この書籍刊行や長年の児童文学への貢献が評価されて、2008年に菊池寛賞を賜りました。

 そのときの父の受賞スピーチが、こうでした。「馬鹿ですよねー。子どものこと知りたくて50年間“伝承遊び”を調べました」って。でも、もしこの調査がなければ、もしかしたらどこにも記録が残らなかったんじゃないのかなと思います。

平和への思いは、言葉ではなく「無言の教え」として

 私が子どもの頃、父が日常の会話で平和について語ることは、あまりありませんでした。言葉で伝えるのではなく、自分で気が付いてほしいという考えだったのだと思います。

「……『誰かに言われたからそうする』のではなく、自分で考え、自分で判断できる、そういう賢さというのを持っていて欲しいのです。」

(かこさとし著『未来のだるまちゃんへ』より)

 ただ、父の周囲には自然とそういった空気が漂っていました。1980年ごろでしょうか、広島の原爆の様子を映したフィルムをアメリカから買い戻そうという草の根の運動「10フィート運動」に私ひとりで参加したことを覚えています。父が言葉で語ることはなくても、何かそういうものが伝わる雰囲気が家庭にはあったのだと、今は感じています。

没後に発見された原稿が伝えるもの――『秋』と『くらげのパポちゃん』

 父の没後に発見された遺稿から出版が叶った作品が、『秋』と『くらげのパポちゃん』です。

『秋』という絵本は、セツルメントの子どもたちのために1953年に文章を、57年に絵を付けた作品で、父はどこかで出版したいという思いをずっと持ち続けていました。絵と文章がきれいに清書され、絵本としてのレイアウト案まで残されていたことからも、本人の強い出版への意志があったことは確かです。私がコロナ禍、父の作品を整理していたときに発見し、実に半世紀以上もの時を超えて出版するに至りました。

 この絵本の表紙になっているこの場面の瞬間だけは、なぜか一切、父は今まで触れてきませんでした。これを見てしまったときの衝撃っていうのは、もし飛行機乗りになっていたら、この場面のようなことになってしまったかもしれない。父自身が飛行機乗りになろうと思っていたわけですから。あるいは死なないにしても、よその国に行って良くないことをしてしまったはずだ――ようやく、終戦前のこの凄惨な瞬間を見てしまったときに気が付くんですね。「軍人になろう」と中学生のとき思ったことがそもそも間違いだった。そのショックのほうが、もしかしたら大きかったかもしれない。それで家でも外でも、この出来事について一言も話しませんでした。

『くらげのパポちゃん』も平和への願いが強く込められた作品です。2023年に遺稿が発見されました。1950〜1955年に制作されたものですが、絵がありませんでしたので父の孫にあたる中島加名がバトンを引き継いで絵を描きました。2025年に創作からやはり半世紀以上もの時を隔てて絵本として出版されました。

次の世代へ「生きることの喜び」を手渡すために

 今回の展示を通じて、皆さんに感じていただきたいのはただ一つのことです。

 父が19歳で敗戦を経験し、暗闇の中からようやく見出した光。未来の子どもたちのためになることをしたいという願い。セツルメントの子どもたちとともに紙芝居を作り、笑い、遊んだ時間。それらすべてが「生きることは、本当は、喜びです」という言葉に集約されています。

 展示はまだ続きます。どうぞ一枚一枚の絵と言葉をゆっくりとお受け取りいただけますように。父の思いが、ここに来てくださった皆さんから、また次の誰かへと手渡されていくことを、私は心から願っています。

(「文春文庫」編集部/文春文庫)