発達障害の診療では「患者の力量」が切実に問われる……当事者が教える「医師との対話」「薬を飲む時」に心すべき大切なルール

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発達障害の“治療”にも、当然薬が使われることがある。果たして必ず効果が出るのか。副作用は大丈夫だろうか? 発達障害に関わる親や教師なら、おそらく誰もが気にするであろうこの問いを、3人が実体験をもとに語り尽くす。

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「薬は恐れ過ぎてもアカンし、過信し過ぎてもアカン」

【かなしろ】

ここでちょっと質問させてください。先ほども言ったように、我が家ではADHDの薬は結局使いませんでした。でも、やっぱり、お薬が必要な子っていると思うんです。小っちゃいときからずーっと使ってる子どももいたりするんですか?

【石橋】

もちろんいてます。

【かなしろ】

お薬って効かなくなるじゃないですか。

【石橋】

途中で効かなくなるというより、状況が変わることの方が多いですよ。たとえば、小学校を卒業したとか。卒業して中学生になったら環境が変わって、薬を飲まんでもよくなったとかね。あるいは中学校から高校に進学したら必要なくなった、とか。

ゆっくりかもしれませんが、子どもは必ず成長しますから。自分の行動や気持ちを言語化できるような年齢になってくると変わってくるんですよ。かなしろさんの息子さんのように、「いや、あのときはさ……」みたいなふうに話せるようになってくると薬がいらなくなる、というパターンが多いように思います。

僕が自助会でいつも言うのは、「薬は恐れ過ぎてもアカンし、過信し過ぎてもアカン」ということ。当たり前のことなんですけどね。“薬飲んだら治る”っちゅうのは絶対に過信ですし。飲んでどれくらい効果があるかをちゃんと言語化できないと、薬の効果って半減します。ここ、当事者が勘違いしているパターンがけっこう多いんですが、「精神科医は、薬飲んで私がどんな状況になってるか、説明せんでもわかる」と思ってる人がわりと多いんですよ。

そんなわけない。精神科医にはわかりません。精神科って特殊だと、よく言われるじゃないですか。もちろん、CTスキャンやら血液検査やらをして、そこから何か判明することもありますが、精神科では基本的に当事者、つまり薬を飲んでる本人が自己分析して、言語化した言葉から、精神科医が「ああ薬が効いてるな」とか「うーん、効いてないな」って判断していかなければいけない。

だから、患者側の力量がめっちゃ問われるんですよ。そこが曖昧なまま、とにかく薬をボーンと出す/もらうというのはアカンでしょ、って僕はよく言います。飲んでみての感想すら言えない人に、飲ませたって意味ありません。せっかくの薬効が半減します。だから病院に行く前、あるいは療育行く前に、同じ境遇にある他の家族などとおしゃべりをして、「発達障害の子を持つって、どういうことなんだろう」というのを、親にはわかっておいて欲しいなあと僕は思ってます。つまり、医療にかかる前段階として、当事者会とか家族会とかに参加してほしい、と思っているということなんですけどね。

薬は「対症療法」にすぎない

【編集者】

いつだったか、志岐さんは「薬はお守り程度だ」っておっしゃってましたね。

【志岐】

「薬がお守り程度」というのは、全員にあてはまるわけじゃないんです。効くも効かないも、その人には“たまたまそうだった”ということです。

なぜ薬を使うのか。薬はお医者さんが出しますよね。そのときの建前は、「この子の状態は悪い。だから治そうとして出す」ということだと思います。それは、診察に来たこの子は「悪い状態」と決めつけてることになります。

でも、ほんとに悪いかどうかはわからない。「熱が出たから、原因はわからないけど、つらそうだから下げる」というようなもので、あくまでも対症療法ですから、そんなことをずっと続けとっていいわけがない。

薬が必要な問題って「命に関わる問題」「生活に関わる問題」「人生に関わる問題」という3種類にわけられると、僕は思っているんですが、そのうち「命に関わる問題」やったら、どうのこうの言うてられへん。キュア(cure=治療)してもらわなアカン。それは正しいんやけど、日本はそのキュアが強くて、そればっかり優先されてきた。言い換えると、「医学モデル」の力が強いんです。

かなしろさんが仰っていたペアレント・トレーニングにも似たところがあります。ペアトレは要するに、子どもの行動をどうするか、ということ。上手に子どもに指導したり、アドバイスしたりする方法を教えるということであって、子どもをなんとかしようとしている。

僕ら自助会はそうじゃなくて、「社会モデル」です。本人が変わらなくてもいい、まわりが変わる。とくに子どもの場合はそうです。だから僕や石橋さんなんかがよく言うのは、「ペアトレの前にペアプロせなあかん」と。「子どもの行動を変えようとする前に、親の意識の変容をせなあかんやろ」と。

親の意識が変容してないのに、子どもの行動だけ変えようとしたら、それこそモンスターペアレントになりかねません。親がそうなるから、子どもたちが発達障害みたいになる。こんな特性があるとか、デコボコが大きいとか、関係ないんです。“できないこと”に着目されてるから、そうなる。実際、大人がよくやる「叱る」は、大人がその子の“できないところ”に着目してなされるじゃないですか。

子どもより先に親が自分を理解することが大事

【志岐】

そうじゃなしに、ペアプロでは“できるところ”に着目します。そうすれば、怒る必要ないわけですよ。 “怒っていいことは一つもない”という事実は、もうほぼ、エビデンスをもって実証されてるんですよ、精神医学も脳科学も日進月歩ですからね。

怒るとむしろ、事態は悪いほうに動きます。「怒られた人が見てるときだけ、しなくなる」とか、「怒られないように、したことを隠す」とかね。確かに怒った人の目の前からは現象が消えますが、それは“治ったように見えるだけにすぎない”というのが、もうハッキリしてるん。にもかかわらず、いまでも「ほら、怒ったら効果があった」と言う親がいる。

そういう親は、言い換えると「子どもが親の都合のいいようになった」ことを“治った”と言うんです。いやいや、治ってへんから! 発達特性やのに。治ったんじゃなしに、薬で抑えつけられて治ったように見えてるだけ。実は良くない方にどんどん、どんどん向かってるということがわかってない。

それで僕ら、つまり石橋さんや僕は、セミナーなんかでいつも、「まず、発達障害と発達特性の違いを理解してください」と訴えてます。また、「悪いところに着目して、どうにかしようとするよりも、いいとこに着目してください」とも伝えていますよ。いいとこを伸ばしていったら、悪いところが隠れてくるのでね。

「子どもに自己理解を促す」って、よく言われるじゃないですか。確かにそうなんだけれども、それだけじゃ全然です。まず、親が自己理解せなあかん。

【かなしろ】

ほんとそうですよね。すごくわかります。

【志岐】

1回で言うことを聞かそうと思って、子どもを叩いたり罵ったりするのではなく、かなしろさんがしたように、たとえば5回、親が声をかけることにする。それだと、変わったのは子どもじゃなしに、親御さんですよね。その違いや大切さを知ることができるのはどこかといったら、今のところ自助会ぐらいしかない。

セミナーもさせていただきますけど、セミナーに来る人は、もう、ある程度わかってる。全然わかってない人は来ないし、たまたま参加しても“そんなん聞いて、どうすんねん”ってなってしまいます。基本を押さえずに支援が始まってる、そんな状態です。

「あきらめる育児」について

【編集者】

勉強になる話でしたが、かなしろさんは、最初から息子さんの“できるところ”に着目できましたか?

【かなしろ】

いや、できなかったです。“できないところ”を、定型発達の子の“ちょっと下”ぐらいのレベルまで持って行こうって、頑張っちゃってました。でも、息子が発達障害と診断されたときに、夫と発達障害の本をクリニックで何冊も読んだんです。そうしたら、違うっていうことがやっとわかった。

つまり、「子育ての概念を全部変えなきゃいけない」って、そこで気がついたんです。いわゆる“普通のレベル”に持っていこうとして頑張れば頑張るほど、無理だし、できないし、イライラするし、母親もパニックになっちゃう。母親が不幸になっていく。だから、その方向性はあきらめたわけです。あきらめる育児ですね。

もちろん、私は良い意味で「あきらめる育児」って言ってるんですが、一回すべて、あきらめるんです。リセットというか、“こういう息子にしたかった”っていう理想を「えーい!」って、全部うっちゃるんですよ。そして、「もうこの子は、息吸って吐いて、生きてるだけでいいんだ」っていうところまで、1回落とすんです。落とすというか、考えを変える。それが大事です。

私も講演会に呼ばれることがありますが、よく「子育ての概念、1回変えましょう」っていう話をしますよ。「もういいじゃない、生きてるだけでいいじゃない」みたいな。そうしたら、「ああ、今日起きられた。よかったー」とか。「今日着替えられたの⁉」とか。「学校通ってくれるの⁉」みたいなふうに、些細だと思っていたこと一つ一つが喜びになってくるんです。授業で、廊下に寝っ転がって聞いてたとしても「え、授業聞いてるだけですごくない⁉」「テストで0点とらないだけスゴイじゃん!」となる。そういうふうに、考えを変えたんです。

【後編を読む】さあ、「諦める育児」を始めよう…「好きにさせたれ」の精神があれば “一言も叱らない育児”が実践できることに、私たちはいつ気がついたか

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