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老後の安心を求めて検討される老人ホームですが、十分な資金や高い評判を信じるだけでは防げない落とし穴が存在します。ある男性が直面した葛藤を通じ、条件面や口コミだけでは見抜けない「住み替えの落とし穴」を解き明かします。

評判の施設へ…退職金を投じた住み替え

市役所で長年勤め上げた鈴木和夫さん(72歳・仮名)は、数年前に妻を亡くしてから、郊外にある4LDKの持ち家で一人暮らしを続けていました。住宅ローンは現役時代に完済しています。元公務員としての退職金2,000万円と毎月の公的年金20万円があり、貯蓄は計3,200万円に上ります。経済的にはゆとりのある生活を送っていました。

しかし、70代を迎え足腰の衰えを感じ始めると、広い戸建ての維持管理が重荷になりました。庭の雑草抜きや屋根の修繕費用、年間12万円の固定資産税の支払いに加え、自宅で突然倒れた際の孤立への不安が日増しに募ります。遠方に住む一人息子に迷惑をかけたくない思いもあり、鈴木さんは早期の住み替えを決意しました。


鈴木さんが選んだのは、インターネットの口コミサイトで「スタッフの手厚いサポート」「自立から要介護まで快適」と評判だった介護付き有料老人ホームです。

内閣府『令和5年度高齢社会対策総合調査』によると、将来的に住み替えを考えている高齢者は全体の約3割。特に、鈴木さんのような単身世帯ではその割合が37.7%と高くなっています。住み替えを意識する契機は、「健康・体力面での不安(24.8%)」や「住宅の住みづらさ(18.9%)」が上位を占めます。また、現在持ち家に住む高齢者のうち12.8%が、住み替え先として「有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅」を検討しており、将来を見据えて早期に施設入居を選択するケースは決して珍しくありません。

入居一時金500万円、月額費用は食費を含めて22万円。毎月の年金20万円、手取りにして18万円に対して4万円の赤字が出ますが、貯蓄を取り崩せば問題ない計算です。

「これで将来介護が必要になっても安心だ」

そう確信した鈴木さんは期待を胸に入居しました。しかし、入居初日から理想は打ち砕かれます。戸建ての静けさに慣れていた鈴木さんにとって、施設内の環境は耐えがたいものだったのです。

建物特有の振動音や伝播音が自室内に響き渡ります。隣室の80代男性は耳が非常に遠く、早朝6時から深夜近くまでテレビの音量を極限まで上げて視聴していました。壁越しに響く爆音に、鈴木さんは生きた心地がしませんでした。

加えて、廊下を往復するスタッフの足音や車椅子の走行音、夜間のドアの開閉音が頻繁に響きます。食堂へ行けば、耳の遠い入居者同士が大声で怒鳴り合うような会話が続いていました。自立してまともに会話ができる相手がおらず、他の入居者からは「元気そうなのに、なんでここにいるの?」と不躾な視線を向けられることもありました。

不眠とストレスから鈴木さんは頭痛と食欲不振に見舞われ、体重は1カ月で3キロ減少しました。耐えかねて施設長に騒音対策を求めましたが、返ってきたのは淡々とした対応でした。

「高齢の入居者様が多く、耳が遠い方もいらっしゃいます。集団生活ですので仕方がない部分も多く……」

わずか1カ月で決断、100万円超の代償

限界を感じた鈴木さんは、入居からわずか1カ月で退去を決意しました。

しかし、入居一時金500万円のうち初期償却として20%(100万円)が控除され、さらに1カ月分の償却費や月額費用が引かれました。結果として、わずか30日間の滞在で約120万円もの資金を失うことになったのです。


退去後、鈴木さんは住み慣れた戸建ての自宅へ戻りました。静かな我が家に一人で戻った夜、鈴木さんは深く息を吐きました。金銭的な痛手は大きかったものの、あの騒音から解放されたことには安堵しました。

「ホームは、きちんと見学もして決めたんです。ただ、見学のときは気持ちも高揚していて、“音”の問題に気づけなかった。たとえ気づいたとしても、見学と実際に生活するのでは違う。結局、同じような結果になったと思う」

老人ホーム選びでは、費用や立地、設備、口コミだけでなく、「今の自分の状態や生活スタイルに合っているか」を考えることも大切です。特に自立している段階で入居する場合、介護を必要とする入居者が多い施設では、想像以上のギャップを感じることもあります。

また、見学だけでは、実際の生活音や時間帯による雰囲気の違いまでは分からないことがあります。可能なら時間帯を変えて見学したり、居室で音を確認したり、体験入居を利用したりするのもひとつの方法です。「評判がいいから安心」ではなく、そこで自分がどんな毎日を送るのか。そこまで考えて施設を選ぶことが、住み替え後の後悔を防ぐポイントといえそうです。