シベリア抑留を経験した台湾人元日本兵の呉正男さん(左)と、祖父の陳以文さんがシベリア抑留を経験した陳力航さん=©多面向影像工作室

写真拡大

(台北中央社)第2次世界大戦後のシベリアに抑留された台湾人元日本兵を題材にしたドキュメンタリー作品「零下五十度の抑留者」(原題:氷封的記憶)が9月5日、日本で公開される。台湾でもあまり知られていない、時代に翻弄(ほんろう)された彼らとその家族らを約3年にわたり追い続けた許明淳(コー・ビンスン)監督は、「日本での公開を通じて、こういうことがあったことを知ってほしい」と語っている。

第2次世界大戦では、当時日本領だった台湾から約20万人が従軍した。そのうちシベリア抑留を経験した人は少なくとも19人いたことが判明しているが、正確な人数は依然不明のままだ。戦後、シベリアから台湾に戻った元日本兵は、当時の中華民国政府から「潜在的な共産党のスパイ」と見なされ、警察から監視された他、その多くが自身の経験を語らず、沈黙を強いられたばかりか、共産党やソ連に批判的な教育を受けた子・孫世代との間に認識の隔たりが生じたとされる。

台湾史に関するドキュメンタリーを多く制作してきた許監督。だが、国民党政権が続く中で、小学校から大学まで、中国史や中国の地理を学んできた。転機になったのは2003年ごろに公共テレビ(公視、PTS)で台湾史に関する番組の制作に携わったことだ。多くの出来事を深く知らないことに気付き、仕事の傍ら、自分のために台湾史への理解を深めた。また仕事を通じて積極的に社会運動に向き合う人たちを見て、「彼らの考えを外国人を含む多くの人に伝えたいと思った」。

シベリアに抑留された台湾人元日本兵の存在を知った時は驚いた。戒厳令の解除後、台湾人元日本兵自体の研究は多くされているが、南洋に向かった人々と比べ、シベリアに抑留された人々の記録はほとんどなく、「どういった理由でシベリアに行ったのか」、「なぜその存在が知られていないのか」といった疑問が生まれ、調査を始めた。その後、事実が明らかになるにつれ、「台湾人元日本兵の中で空白の部分を、自身の力で補いたいと思った」。

撮影は台湾だけでなく、日本やロシアでも行い、写真や手紙、録音テープ、断片的な記憶を拾い集め、帰還までの道のりをたどった。作品に登場する呉正男さんは、シベリア抑留後、台湾に戻らず、日本にとどまることを選んだ。許監督と知り合った当時、すでに95歳。急いで記録に残す必要があった。また24年のロシアでの撮影ではウクライナ侵攻の影響を受け、トルコ経由での渡航を余儀なくされた。持ち物や現地での行動に細心の注意を払いながら、多くの不確定要素や制約がある中で作業をこなした。