シベリアの二宮和也、広島の宮沢りえ、フランス人監督が描く小野田少尉…平和への思いを新たにする「2000年代の戦争映画」5選
ラジオから流れた、「終戦の詔書」を読み上げる昭和天皇の音声――。毎年8月15日の「終戦の日」は、1945年にこの玉音放送が流れた日である。それから長い年月を経たいまも、戦争を描いた日本映画は継続的に制作され、時に涙を誘い、時に物議を醸す。映画解説者の稲森浩介氏が、いまこそ観るべき「2000年代の戦争映画」5本をセレクトした。
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ラーゲリで生きること
〇「ラーゲリより愛を込めて」(2022年)
シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に長く抑留されながらも、仲間たちを励まし続けた山本幡男氏の半生を、辺見じゅんのノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)を原作に、二宮和也主演で映画化された。

第二次世界大戦終結後、山本幡男(二宮)たちはソ連によってシベリアの強制収容所に収容されていた。零下40度の極寒の地で過酷な労働を強いられ、仲間たちは次々と斃(たお)れていく。山本はどんな環境でも人間らしく生きることを周囲に示す。そしてきっと帰国(ダモイ)できると皆を励まし続け、次第に尊敬を集める存在となっていった。
しかし、山本は喉頭がんとなり、余命いくばくもない状態となる。仲間たちから家族宛の遺書を書くようすすめられるが、やがて命の灯火は消えてしまう。収容所では日本語の文書を保持することは許されなかった。仲間たちは遺書を山本の家族へ届けるために、驚きの手段を選んだ。
二宮はどんな環境でも人間らしく生きたいという姿を、抑制された演技で好演している。公開当時には、帰還兵だった祖父が亡くなる数年前にようやく当時のことを語り始めたと明かしている(「キネマ旬報」2022年12月下旬号)。二宮の中には、戦争に対する特別な思いがあったのかもしれない。
興安丸によるシベリア抑留者の最後の引き上げは、山本さんの死の2年後、1956(昭和31)年。戦後すでに11年が経過していた。家族にとっても、夫や息子が帰国するまでは戦争は終わっていなかった。長い道のりを経て山本家に届けられた遺書を見てそう思った。
亡くなった父との会話
〇「父と暮せば」(2004年)
井上ひさしの戯曲を黒木和雄監督が映画化。原爆投下で亡くなり霊となった父と、自分だけが生き残ったことを苦しみながら生きる娘との交流を描いた。
1948年夏、広島。福吉美津江(宮沢りえ)は、原爆によって父・竹造(原田芳雄)を亡くし1人で生きていた。ある日、激しい雷にあい家に駆け込むと、父がいた。「おとったん、やっぱおってえですか」と美津江は驚くでもなく会話する。
父は娘に、知り合った木下(浅野忠信)ともっと親しくなるようすすめる。しかし美津江は「うちは、幸せになってはいけんのじゃ」と悲しげに言うのだった。原爆投下の日、父は家の下敷きになってしまう。美津江は助けようとするが火が回り始め、父は「最後の親孝行だと思って逃げてくれ」と言い亡くなってしまう。
黒木監督はこの物語は自分の体験が重なっているという。「瀕死の学友を助けようともせず、ひとりだけ逃げて生き残った私、(略)美津江はまさに私なのでした」(黒木和雄『私の戦争』岩波ジュニア新書、以下同)と。そして宮沢との会話を思い起こす。「(彼女は)広島で被爆した人々、被爆死した人々を語る時に涙ぐむのです」。黒木監督と宮沢は出会うべくして出会った2人なのかもしれない。
宮沢の演技は、父の言葉から希望を見つけようとする内省的で情感のこもったものだ。柔らかで温かい、そして少し寂しげな彼女の話す広島弁は、いつまでも聴いていたい音楽のよう。だからこそ、原爆の悲惨さが伝わってくるのだ。
「おとったん、ありがとありました」
その声がいつまでも心に残り続ける。
29年後の帰還
〇「ONODA 一万夜を越えて」(2021年)
太平洋戦争の敗戦後、小野田寛郎陸軍少尉は約29年間フィリピン・ルバング島に留まり続けた。この実話を元にフランスのアルチュール・アラリ監督が映画化。青年期を遠藤雄弥、壮年期を津田寛治が務めた。
特殊訓練を受けた小野田寛郎(遠藤)は、島でゲリラ戦を展開。上官からは「必ず迎えに行くから生き延びろ」と命令されていた。「小野田隊」のメンバーは4人だったが、最後は小野田だけが残る。ジャングルを移動しながら生きていく姿は圧巻だ。時には住民の畑に火をつけて食糧を奪い銃撃戦を行う。そして戦争が終わったという説得を全く信用しない頑なな姿が描かれる。
クライマックスは小野田を探しにきた青年・鈴木紀夫(仲野太賀)との邂逅だ。後に小野田さんはこの時のことを「よし、殺そう。それ以外方法はない」(『わが回想のルバング島 情報将校の遅すぎた帰還』朝日新聞出版)と記している。
終戦はアメリカの謀略であると固く信じていた小野田は、鈴木青年も敵だと思い込んでいた。この緊迫した場面は映画でも描かれている。仲野に詰め寄る津田の演技は、殺意を裡に忍ばせた真に迫ったものだ。小野田はその後、元上司から任務解除の命令を聞き初めて帰還を決意する。
あれから52年。長年上司の言葉だけを守り、島に留まり続けた小野田に、違和感を持つ人もいるだろう。しかし、そうした彼を作ったのは、日本と日本軍部、そして戦争であることは間違いないのだ。
女子高生と特攻隊員の恋
〇「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(2023年)
現代の女子高生が、戦時中の日本にタイムスリップし、そこで出会った特攻隊員の青年と恋をする。若い観客を動員し大ヒットした。
高校生の百合(福原遥)は、進路をめぐって母(中嶋朋子)と対立した後、近所の防空壕跡で眠ってしまう。目覚めるとそこは1945(昭和20)年6月14日、戦時中の日本だった。町を茫然とさまよう百合に、彰(水上恒司)や食堂を経営するツル(松坂慶子)が手をさしのべる。やがて百合は、彰たちが自ら操縦する飛行機で敵の船に体当たりする特攻隊員であることを知った。
百合と彰の間には、お互いを慕う感情が芽生える。なのに彰は「国のために死ぬこと」を決意していた。日本はもうすぐ負けて戦争は終わることを知る百合は、彰たちの命を救えるのか……。
3年前に公開され、興行収入45億円、観客動員数350万人を記録。観客層は主に10代、20代が中心で、SNSで「号泣した」などの投稿が広がり人気となった。「あの花」の略称で呼ばれ、リピート鑑賞を「追い花」というなど社会的現象となる。
戦争の実際の悲惨さが描かれていないという意見もあるが、意義ある作品だろう。なぜならタイムスリップという若い人に人気の題材を使い、自分と同世代の人間が戦争で死んでいったことを知るきっかけとなったからだ。
続編の「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」が現在公開中だ。百合(福原遥)が現代に戻ってから7年後、高校教師となっている設定だ。こちらは果たして「あの星」と呼ばれるだろうか。
戦場であったことを知る
〇「野火」(2015年)
それでは戦場の実際を描いた作品を紹介したい。大岡昇平の戦争文学を、塚本晋也監督が映画化した。塚本監督はベトナム戦争の体験と帰還後の葛藤を描いた「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」の公開(9月11日)を控えている。
日本の敗戦が色濃くなったフィリピン・レイテ島。田村一等兵(塚本晋也)は肺病となり、所属隊から野戦病院へと追い出される。しかし病院でも相手にされず戦場を彷徨うことに。そこで田村が経験したこととは……。
島の女性に見つかり騒がれたために射殺してしまうところから田村の運命は暗転する。そして、兵隊の安田(リリー・フランキー)や永松(森勇作)と出会い行動を共にするが、彼らが飢えのために人肉食をしていることを知る。タブーとされていたことにも果敢に踏み込む。
そして最も目に焼き付くシーンは、移動中に米軍の一斉射撃に遭い仲間が全滅してしまうところだ。人間の肉体がボロ切れのようになっていく様子がこれでもかと描かれる。この凄惨な場面については賛否両論があったが、塚本監督は「本当の戦場は、こんなもんじゃない、やはり描かないわけにはいかなかったんです」と語っている。こうした現実を自分たちが経験することのないよう「意思表明を込めた」と(「キネマ旬報」2015年7月下旬号)。
悲惨な場面だからといって目を背けてはならない。この夏、観るべき戦争映画の一本だろう。
稲森浩介(いなもり・こうすけ)
映画解説者。出版社勤務時代は映画雑誌などを編集
デイリー新潮編集部
