北へ向かう

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寺尾紗穂のエッセイ集『天使日記』が2021年の発売から5年ぶりに重版出来となりました。唯一無二の音楽家・文筆家による言葉の到達点。冒頭のエッセイを、今回特別に配信します。
二年前の父の葬式の日、私は焼場までいったものの焼き上がりを待たずに北陸新幹線に乗った。景色を眺めていると、歌が自然に出てきたのでノートに書き留める。

「おい、なめくじに塩かけよう」と父は言った。幼い日のことだ。じっと見ていると、ナメクジは輪郭をなくしてオレンジ色になって、じわと流れた。父は面白そうに、ほれほれ、と言っていたような気がする。私は、それまで動いていたものが、そんなことになってしまうのは好きではなかったが、父はいたずら小僧に戻ったような気持ちになるのか、後年も何かで話題にのぼると「あれは、面白いよな」と言っていた気がする。

 その父が死んだ。二年前のことだ。なめくじは私の住んでいる古い平屋の風呂場で今日も生きている。彼らはつくづく不思議な存在だ。この頃見かけないな、と思っているとたまに小さななめくじたちが生まれている。そして彼らは人々が想像する姿よりも、ずっと愛らしい。彼らがすごい勢いで増えたらさすがに困るのだが、そういうこともなく、昼間は一匹もいなかったり、夜になると数匹が戻っていたり、マイペースな感じで、彼らとの共存が続いてきた。

 実はなめくじが出始めて最初の頃は、塩をかけたりしたこともあったのだが、さすがに気分が滅入った。それをすることで、すぐにみんながいなくなってくれるわけでもない。三年前くらいの話で、その頃、長女は四月から三ヶ月ほど「天使」に会っていた時期がある。近くの公園で出会い、家にも遊びに来たり、学校から一緒に帰って来たりした。私も彼女に通訳してもらい、少し会話をしたことがある。この頃困っていたなめくじについてどうしたらいいか、天使に聞いた。答えは、

「増えてきたら、一匹ずつとって外に出してあげて」

 ということだった。天使としてなんと真っ当な回答だろう。

「そうよね」

 と、私はその日からなめくじと和平の道を歩むことにした。ちょっと増えてきたらはしにのせて、窓を開けて庭の土と雑草の上に落とした。それを三匹分くらいすればいい。これくらいの労力で実際共存はできるのだった。

 私はなめくじの無防備さに親近感を覚えていった。私も人を警戒したり、疑ったりすることが苦手だ。それは私が人がいいから、というよりは根っからの楽観主義がそうさせている。それにしても、なめくじはあまりに柔らかい体で、いつ塩をかけてくるかわからない人間のそばでじっとしている。これはもはや「あなたを敵とは思っていません」という意思表示ですらない。お風呂に入っている私の眼の先十センチくらいのところで、何かを食べるでもなく、食べ物を探すでもなく、まったく動かず静止しているなめくじを見て、私は思った。

「ああ、寝ているのだわ」

 ある意味最強ではないだろうか。最弱にして最強。核兵器を持てば平和が保証されるとうそぶく人間とは対極の思想を、そのぬめっとした小さな体で体現している。好感度大である。

 彼らが決して風呂場に一定以上増えないのは、常にそれぞれが出入りしているからだ。出入りの場所は決まっていて、入口わきの浴室の壁の隙間。暗くてよく見えないが、柱の裏に通じていると思われる。ここで暮らしているわけではないのだ。考えてみればもともとは湿り気の多い土のあるところにいたりするので、食べ物だってそちらで調達できるはずなのだ。しかし、浴室に入ってくる。これは、私たち人間でいったら、「真夏にクーラーのきいた百貨店に用もないのに入ってしまう」のに似てないだろうか。今は特に乾燥も寒さも厳しい冬だ。水分がありあたたかい浴室に、水分なしでは生きていけない彼らが引き寄せられてくるのも無理のない話だ。こう考えてみると、「生き返るなあ」とうつらうつらしているナメクジがいても、本当に「お疲れ様!」と声をかけたくなる。そんなことを考えているそばから二匹ほどまた壁の隙間に消えていく。こういうことすべてが本当に面白く、愛おしい。

 さて、アルバム『北へ向かう』、別に今回もコンセプトが先にあって、などという作り方はしていない。けれど、帯に毎回つける短詩を書いたり、インタビューに際してはいろいろなことを伝えなければいけないので、自然と生まれて並べられたと思われるものたちの間に何か面白いことが隠されていないか考えてみる。曲を並べてみると「いのち」が歌われているものが多いことに気がついた。

 表題曲の「北へ向かう」は父の葬式の日にできた。二〇一八年六月九日は金沢「もっきりや」でのライブだったため、私は焼場までいったものの焼き上がり(というのだろうか)を待たずに北陸新幹線に乗った。二〇〇九年頃作った「骨壺」の歌詞「あなたの骨壺持ちたかったな」「あなたを焼く煙浴びたかったな」がこのときは預言めいて思い返された。焼場から直行、今夜の衣装は喪服。新幹線から景色を眺めていると、歌が自然に出てきたのでノートに書き留める。もっきりやのピアノでリハの時間に、曲をまとめた。出来上がったが、今日はやっぱり歌えない、と思った。歌うには心が震えすぎていた。その一年後のもっきりやでようやくこの「北へ向かう」を歌うことができた。

 あの日あのとき、あの新幹線で私はどこへ向かっていたのだろう。不安がなかったと言えば噓のような気もするし、絶対に今夜やりきることができるという確信もあった。父が死んださみしさがなかったといえば噓になり、けれど父が死んで私が得られた安心感も心の中にはっきりとあった。ごたまぜの混乱した気持ちで、私は北へ向かっていた。もっきりやはソールドアウト。満席でライブの途中、貧血になる人が出たほど熱気があった。北陸中日新聞記者のMさん、オヨヨ書林のなつさん、イベンターのショムラさんが三人で企画してくれた金沢ライブは、混乱しながらも十分に気負っていた私をあたたかく迎えてくれた。

 北のイメージは、第一に「厳しさ」が挙げられると思う。熱を奪う冷気は、直感的に人間を警戒させる。酔っ払って寝てしまったら死んでしまうような土地は、やはりどこか身構える。「北へ向かう」ことは、だからある緊張と覚悟とともに、私の中にある。しかし、あの日私は同時に確信し、安心していた。背反する気持ちを抱えて訪れた金沢は、人々は、やっぱりあたたかかった。

 なめくじはかたつむりの進化形である。彼らは重荷を下ろしたのだ。そしてのびのびと無防備に生きることにした。そして私も北へ向かう北陸新幹線の中で確かに、父という重荷からの解放を感じていた。それは、父という存在、父の不在という過去に縛られる私自身との決別であり、魂になった父との新しい関係の始まりであった。

 もう少し「北へ向かう」という言葉についての連想を述べるとするならば、この社会がどこへ向かうのか、ということもやはり想起してしまう。二〇二〇年三月二十九日、第十回の「りんりんふぇす」を台東区山さん谷やの玉姫公園で開催するために、台東区とやり取りをしているけれども、感じることはいろいろある。台東区は昨秋の台風の際に、ホームレスの避難を拒否したことでニュースになった。相変わらず、目ざわりなもの、迷惑なもの、みなと違うものを排除することが是とされていくのか、それとは違う方向に向かうのか。未来が後者であることはわかりきっている。しかし、そこに至るまでに私たちは何度でも冬の厳しさを味わうことだろう。自らを振り返っても、私はいまや友人であるなめくじに塩をかけて殺していたのである。再び過ちを犯す可能性は、今も私の足元にある。

 罪滅ぼしとかそういう話ではないけれども、今回のアルバム『北へ向かう』のジャケットにはどうしてもなめくじの赤ちゃんに登場してもらいたかった。それは純粋に、彼らが本当に愛らしく一所懸命に生きていることを広く人々に伝えたかったのだ。「え……」としり込みする撮影編集クルーを乗り気にさせるまでは時間がかかったが、いざ撮影現場になめちゃん(我が家ではこの呼び名が定着している)を持ち込むと、みんなだんだん興味を持ち始めた。そして最終的に植本一子はなかなか素晴らしい写真を撮ってくれたのだ。私はアルバム裏側のちょうどなめくじの体が「九時」の形をした写真を表紙に持ってきたかったのだが、それは反対多数で否決された。それでも表紙でツーショットが叶ったことは、あたたかく嬉しい出来事だった。ついでに言えば、なめちゃんが北東を目指して歩み始めている写真であることも二重に嬉しいことである。

 三日前、キセルとツーマンライブがあった。今回のレコーディングで「北へ向かう」をアレンジしてくれたのがキセルだ。感情でいっぱいになるこの曲を、淡々と開けた場所に持っていってくれる気がしてお願いした。アンコールで一緒に、彼らの「くちなしの丘」と「北へ向かう」を演奏した。ライブが終わって二日間くらい私の中で「くちなしの丘」の歌い始めが鳴り続けた。

閉じた口は 何も言わず 心震わせて

 私と父との間には、何年も長い沈黙があった。歌は不思議だ。歌が起こす符合は不思議だ。昨日は矢倉岳へ登りに行ったが、登りながらふと父が死んだ六月六日はまだくちなしが綺麗に咲いていたことを思い出した。それは父の誕生日の目前でもあって、くちなしの季節に生まれた男は、くちなしが茶色く朽ちる前に死んでいった、ということである。そんなことにも今更気づいて、キセルと歌うことができた夜に心から感謝した。

書誌情報

『天使日記』
著=寺尾紗穂
価格:2700円+税
仕様:四六判上製/320ページ  

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書籍情報(太田出版Web)
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Credit:
文=寺尾紗穂