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81歳母の施設入居の夜、娘のスマホに響いた悲痛な留守電。年金だけでは賄えない介護費用と深まる罪悪感は、多くの家庭が直面する現実です。共倒れを防ぐために親を施設へ託す選択は正解なのか――ある親子の事例から考えます。

限界を迎えた同居介護

首都圏郊外に暮らす加藤由美子さん(57歳・仮名)。夜21時、スマートフォンが震えましたが、番号をみて、あえて出るのはやめました。発信者は、その日の午前に介護付有料老人ホームへ入居させたばかりの母・加藤静子さん(81歳・仮名)。

「私をここに捨てるつもりなの? こんな暗い部屋に一人で置いていくなんて、あんたは人間じゃない」

1分間の録音時間の最後まで、激しく責め立てる言葉が続いていました。

由美子さんは独身で、都内のメーカーで契約社員として働いています。月収は手取りで約22万円。一方、母の静子さんが支給されている公的年金は月額約12万円です。5年前、静子さんの認知症症状が進行したことをきっかけに、由美子さんは実家に同居するかたちで介護を始めました。

厚生労働省『2025年 国民生活基礎調査』によると、要介護者と同居している主な介護者の割合は46.1%で、そのうち「子」が介護を担う割合は18.2%を占めています。また、同居の主な介護者の年齢階級は60歳以上が78.8%に達しており、高齢の子が親を介護する負担の重さが浮き彫りとなっています。

さらに、介護が必要となった主な原因では、要介護者の23.6%が「認知症」を挙げて最も多くなっています。働きながら一人で介護を担う単身の子世代が、認知症の進行に伴い精神的・肉体的な限界を迎える背景には、こうした同居介護の厳しさがあります。

静子さんの認知症は徐々に悪化し、夜間徘徊や暴言が頻発するようになりました。由美子さんの睡眠時間は連日3時間を切り、精神的な限界を迎えていたのです。

「このままでは自分が倒れてしまう」

危機感を抱いた由美子さんは、施設入居の模索を始めました。しかし、ここで立ちはだかったのが「資金の壁」です。静子さんの年金は月12万円。入居を決めた介護付有料老人ホームの月額利用料は、食費や管理費を含めて約21万円でした。毎月9万円の赤字が発生する計算です。

静子さんには約600万円の預貯金がありました。年間約108万円の赤字をこの貯蓄から補填する場合、約5年半で底をつく試算になります。81歳という年齢を考えると、決して余裕のある資金計画ではありません。それでも、由美子さんの限界はすでに超えていました。不足分が出た場合は自分の給与から月3万円ずつ補填し、残りは母の貯蓄を取り崩す決断を下したのです。

入居当日の朝、静子さんは「美味しいものでも食べに行こう」という言葉に促され、車に乗り込みました。施設に到着し、自分の部屋へ案内された瞬間、静子さんは事態を把握します。

「騙したのね」

静子さんは職員の手を振り払い、廊下で激しく泣き叫びました。引き止める母の視線を振り切り、逃げるように施設をあとにした由美子さん。その夜に届いたのが、冒頭の留守番電話でした。

介護離職を避けた先の選択

罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、由美子さんは仕事を辞めなかった判断自体は間違っていなかったと考えています。仮に介護離職を選んでいれば自身は収入を失います。いつか介護から解放されたあとの生活を考えると、仕事を辞めるわけにはいきませんでした。しかし、施設に入居させればすべてが解決するわけではありませんでした。

入居から1ヵ月が経過した現在も、静子さんからの電話は頻繁にかかってきます。「早く迎えに来て」「お金を返して」という言葉が、由美子さんの精神を削り続けます。

施設のアドバイザーやケアマネジャーは、「最初は家族への執着が強く出る時期。徐々に環境に慣れていきます」と助言してくれます。専門家を交えた定期的な面談を設定し、少しずつ外部の支援に委ねる距離感を保つことが推奨されています。

「母を捨てたという感覚は、ゼロにはなりません」

由美子さんは言います。毎月、母の口座から21万円が引き落とされ、通帳の残高は確実に減っていきます。共倒れを防ぐための苦渋の選択であっても、血のつながった親を施設へ預けたという罪悪感と、いつか尽きるかもしれない資金への不安は消えないと語ります。

生命保険文化センター『2025年度 生活保障に関する調査』によると、将来親を介護する立場になった場合に「不安を感じる」割合は71.9%。その具体的な内容としては「自身の肉体的・精神的負担」(66.1%)や「経済的負担」(49.2%)が上位を占めています。

また同センター『2024年度 生命保険に関する全国実態調査』では、実際の施設介護に要する月々かかる費用の平均額は12.5万円(在宅介護は3.7万円)とされており、加藤さんのように公的年金だけで賄うことは困難です。子が抱く心理的な罪悪感や将来的な資金ショートへの不安は、いつまでもつきまとい続けます。

しかし、限界を迎える前に専門家や施設へ頼る決断は、共倒れを防ぎ、お互いの人生と尊厳を守るための正当で有効な選択肢です。一人で抱え込まずケアマネジャーなどの支援者と連携しながら、親子の適切な「距離感」を整える――それこそが、将来的な負担を軽減し、互いにとって最善の暮らしを支える一歩となります。