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「子どものため」と信じて突き進む中学受験。しかし過熱する課金競争や期待の重圧は、時に家計と親子の心を想像以上に追い詰めることも。ある母子の事例から、中学受験に臨む際の大切な視点を考えます。

過熱する中学受験と狂い始めた家計

東京都内のマンションで暮らす高橋美咲さん(45歳・仮名)。昨年の夏の出来事を教えてくれました。当時、小学6年だった長男・蓮くん(12歳・仮名)の中学受験をめぐり、家庭は完全に崩壊寸前まで追い詰められていたといいます。

大手メーカーの総合職として勤務する美咲さん。同い年の夫もIT企業で管理職を務めており、夫婦合算の世帯年収は1,280万円ほど。世間一般的に世帯年収としては上位に位置する高橋家ですが、その家計繰り回しは決して楽なものではありませんでした。都内に所有する築浅マンションの住宅ローン返済が月額18万円。さらに車の維持費や光熱費、食費などを差し引くと、毎月手元に残る資金にはそれほど余裕がなかったのです。

その家計を強く圧迫していたのが、蓮くんの塾費用でした。

「最初は軽い気持ちだったんです。周りのお友達がみんな大手進学塾に通い始めたので、うちも乗り遅れてはいけないと。でも、新6年生になってからの課金スピードが異常でした」

大手塾の月謝は約6万円ですが、それに加えて志望校別特訓や日曜特訓、頻繁に行われる模試の費用が発生します。さらに6年生の夏期講習費用だけで35万円が提示されました。

「夏休みの費用だけで100万円近くが吹き飛びました。年間でかかった教育費は200万円を超えています。住宅ローンと塾代を払うと、私のボーナスはすべて消えていきました」

美咲さんは、毎月の赤字を補填するために自分の投資信託を取り崩し始めていました。

文部科学省『令和5年度子供の学習費調査』によると、年間収入が1,200万円以上の世帯における学習費総額は、公立小学校で平均59.2万円、私立小学校で平均198.5万円に達しています。さらに、年間で学習塾費を支出している世帯のみに絞った場合、小学校での平均支出額は公立で19.3万円、私立で36.1万円にのぼります。特に、公立・私立を問わず学年別の学習塾費(全体の平均値)で最も高額なのは私立小学校第6学年の約44.3万円であり、中学受験期における塾代の負担の重さがうかがえます。

高橋家でも、膨らみ続ける出費に見合う「結果」が求められるようになっていきました。しかし、長男の成績は夏を前に急降下を始めます。

「なんで上がらないの? これだけお金をかけて、あなたのために夜遅くまで弁当を作っているのに」

美咲さんは毎日のように長男を詰問し、居間でテキストを開く背中に厳しい視線を浴びせ続けました。

7月に入ると、長男は朝起きられなくなりました。塾の宿題を開くだけで手の震えが止まらなくなり、トイレにこもって吐き気を訴えるようになります。自室の壁には、模試の成績表が破り捨てられて散らばっていました。

夫は「自分で決めたんだから最後までやらせろ。途中でやめたら挫折癖がつく」と突き放し、家庭内の会話は完全に途絶えてしまったそうです。

祖父の言葉と夏休みの決断

事態が動いたのは、8月のお盆休みでした。長男の体調不良を見かねた美咲さんは、数日間だけ長男を連れて地方にある実家へ帰省しました。痩せこけ、目の下にクマを作った孫の姿を見た父は、言葉を失います。そして夕食後、美咲さんを別室に呼び出しました。

「蓮、頑張りすぎなんじゃないか? 絶対に受験はしなきゃいけないのか?」

父の問いかけに、美咲さんはこう返します。

「東京じゃ、中学受験するのが当たり前なの。落ちこぼれにさせるわけにはいかないのよ」

その時、廊下の影で話を聞いていた長男が静かに部屋に入ってきました。正座をし、ぽろぽろと涙をこぼしながら訴えます。

「お母さん、ごめんなさい。僕、バカでごめんなさい。でも、もう塾に行きたくない。受験なんてしたくない……」

その瞬間、美咲さんはハッと息を飲みました。子どものためといいながら、意識していたのは自身の世間体やプライドだったのではないか――。

美咲さんは長男を抱きしめ、「ごめんね、お母さんが悪かった…」と泣き崩れました。そんな様子を見て父は、「XX君(美咲さんの夫)も美咲も、中学受験なんてしなかっただろう。でもちゃんと立派に大学に入って、立派に社会人をやっている。蓮くんだって大丈夫、2人の子なんだから」と優しく声をかけてくれたといいます。

東京に戻った美咲さんは夫とも話し合い、大手塾の退会手続きを行いました。夏期講習のキャンセル料は戻りませんでしたが、長男の表情は劇的に明るくなったとのこと。「小学生の間じゃないとできないことがあるから」と、残りの夏休みを存分に楽しんだそうです。

東京都教育委員会『令和7年度公立学校統計調査結果(小・中・義務教育学校卒業者の進路状況)』によると、都内小学校卒業者98,264人のうち、私立中学校等への進学者は19,572人で、全体の19.9%を占めています。約5人に1人が私立へ進学している計算になり、中学受験への関心の高さがうかがえますす(関連記事:『【ランキング】東京23区「私立中学進学率」…〈令和7年度 公立学校統計調査報告書〉』

一方で、公立中学校等への進学者は75,428人で、全体の76.8%と依然として圧倒的多数派です。都内であっても中学受験が「当たり前」というわけではなく、過半数は地元の公立へ進学しています。周囲の焦りに流されず、子どもの適性を見極める冷静な視点が大切です。