「東京スカイツリー(R)」「渋谷ヒカリエ」を手掛けた建築家「吉野繁氏」が明かす“都市のシンボル”を設計する苦労…「“変なものを作ったら孫の代まで笑われますよ”と言われましたね」
日本最大級の建築設計事務所「日建設計」に所属する吉野繁氏は、「東京スカイツリー(R)」をはじめ、「日本科学未来館」「渋谷ヒカリエ」など、都市の風景を彩る数々の建築の設計に関わった建築家である。
なかでも、スカイツリーは吉野氏の代表作であるだけでなく、国会議事堂などと並んで連日ニュース映像に映し出される、日本でもっとも有名な建築の一つではないだろうか。
そんな吉野氏だが、実現した建築の3倍以上も、実現しなかった建築――すなわち“アンビルト”に終わった計画が多いのだという。と同時に、アンビルトは名建築を生み出す源泉であると説く。いくつものシンボリックな建築を生み出してきた創造の原動力は、どこにあるのか。インタビューで明らかにした。【取材・文=山内貴範】(全2回のうち第1回)
【写真】吉野氏が手がけた日本科学未来館と、いつか設計してみたい山小屋のイメージ
シンボルになる建築を設計するということ
――今や、スカイツリーがない東京の風景は想像できなくなりました。これほど人から見られる建築の設計者に決まったときは、かなり緊張したのではありませんか。

吉野:それはもう、すごく緊張しましたよ。周りの人たちからも、「変なものを作ったら孫の代まで笑われますよ」と言われましたから。デザインが公表になるまで、自分が設計者であることは、家族にも言いませんでしたね。
――スカイツリーのようなタワーは、オフィスビルや公共施設とはまた性質が違う建築だと思います。鉄骨が組み合わされたデザインも独特で、描いたスケッチも、作った模型も、かなりの量になったとか。
吉野:そうですね。スカイツリーは鉄骨を編んだような構造になっているのですが、スケッチが難しいですし、何より模型にするのが大変でした。一個一個の部材を組むわけにはいきませんから、透明なアクリル板に罫書(けが)き線をいっぱい入れて、ペコペコと折ったりして作りました。
何度も試行錯誤を重ねるうち、クライアントからアクリル板のペラペラしたものじゃない、しっかりした模型を作ってほしいと言われたんですね。ちょうどこの頃、3Dプリンターが建築模型の業界に入ってきました。細かい鉄骨の感じは3Dプリンターで出せるので、かなり助けられた思い出があります。
秋葉原にタワーが建つ計画があった!
――そもそも吉野さんが設計者に決まった理由は、何だったのでしょうか。
吉野:スカイツリーを担当することは、2005年頃から決まっていました。なぜかというと、その前に、私が秋葉原に建つタワーのデザインをやっていた時期があったためです。
――秋葉原にタワーですか。そんな計画があったのですね。
吉野:2001年に「未来館」が竣工した後なので、2003年ぐらいの話かな。私のほうで10個ぐらいデザインを作って提案したのち、最終的に5案ぐらいに絞り、たびたび模型を作っては打ち合わせに行きました。
そして、最終案を決めるために2案の模型を作り、箱から出そうとしたら、「計画がなくなってしまった」と言われて(笑)。ここまでやったのにと残念に思いましたが、このプロジェクトに関わったことは、スカイツリーをデザインするうえで大きな糧になったと思っています。
――“アンビルト”になったプロジェクトも、たくさんあるのですか。
吉野:私、実現したものの3倍ぐらい、アンビルトの建築がありますよ(笑)。あ、3倍じゃきかないくらいかもしれないな。会社(日建設計)も、あまりにアンビルトになってかわいそうだから、次は押上でタワーの計画があるんだけど……ということで、担当にしてくれたのだと思います。
――とはいえ、タワーの設計をしたことがある建築家は、そうそういないと思います。当時、日建設計のなかには吉野さんのほかに詳しい方はいたのでしょうか。
吉野:日建設計はオフィスをたくさん設計していますし、病院や空港などの大規模な施設をいくつも手掛けています。それでも、タワーは相当に特殊な仕事です。「東京タワー」や「神戸ポートタワー」なども日建設計の先人たちの仕事ですが、言うまでもなく、滅多に来る仕事ではありませんから、専門的に得意としている人がいるわけではないんですよね。
私はどちらかといえば、会社の中では変わった仕事ばかり任されるポジションでした(笑)。そういう意味で、ちょうどよかったのかもしれませんね。
タワーの設計のため、富士山に登る
――日建設計は伝統的に、個々の建築家の皆さんの癖が強いといいますか……、海外だとアトリエ系建築家になるような、個性的な方が多い印象です。
吉野:そうですね。同期の山梨知彦(注:「ホキ美術館」などを設計した、日建設計所属の建築家)なんか、本当に個性が強いからね(笑)。
――吉野さんは、自身の作風をどのように捉えていますか。
吉野:周りからの感想はあまり聞いたことがないので、自分では何とも言えません。ただ、プールの仕事が来たら自らすすんでいろんなプールに泳ぎに行きますし、ホテルの仕事が来ればいろんなホテルに泊まるなど、体験したうえでいろいろなものを作っていくタイプの建築家だと思っています。
――スカイツリーの設計時も、高い景色を見てみようと、富士山に登ったという話を聞きました。
吉野:富士山から順番に、日本の高い山を登りましたよ。北岳、奥穂高岳、御嶽山……一通り登りましたね。でも、剱岳でやめちゃったんですよ。案内人がいないと危ない、と言われたので。
――登山愛好家だったわけではないんですか。
吉野:全然違いますよ。でも、富士山に登ったときは本当に気持ちよかったですし、だいぶハマってしまいましたね。日常生活で命が危険に晒されることはあまりないですが、山だと、足をこっちの岩に置いて、もし岩が崩れたら死ぬ……という、スリリングな環境なのです。山はすべてが非日常だなと思いました。
――山から見た時の眺望が、設計の参考になったことはあるのでしょうか。
吉野:もちろんです。そして、眺望以上に印象的だったのは、御嶽山に行った時に出会った担ぎ手(注:強力と呼ばれる)の方です。荷物のほか、体が不自由な方や高齢者を背負って登る仕事をしているのですが、偶然、担がれていたおじいさんが、最後の頂上への階段を自力で登っていく様子を見ました。
その姿を見て、スカイツリーも最後、一番高いところまでは歩いて向かうような造りにしたら、達成感が増すんじゃないかなと思ったのです。普通のタワーはもっとも高いところまでエレベーターで上がりますよね。スカイツリーは緩やかなスロープで上がっていく。これが「天望回廊」の特徴になっていますね。
スロープがスカイツリーに生きる
――さきに設計された未来館にもオーバルブリッジというスロープがあります。これもまた、天望回廊に活かされているのでしょうか。
吉野:そうです。あのオーバルブリッジがあったので、天望回廊のアイディアをクライアントに提案できましたし、実際に未来館で歩いて体験してもらいました。「なるほど、これだったら年配の人でもベビーカーを押す人でも歩きやすいね」と、認めてもらえた。実は、スカイツリーの天望回廊は、未来館とまったく同じ勾配と幅で造られているのです。
――ジオ・コスモスという地球の展示の周りを、ゆっくりと上っていくときの上昇感は最高ですね。
吉野:でも、ジオ・コスモスありきでデザインしていないんですよ。はじめは、背の高い展示物が来るかもしれない、という感覚で設計しているのです。H2ロケットがあそこに立つようにしよう、とかね。
――そうなんですね。とはいえ、スロープと地球は見事に調和していますし、独特の浮遊感もあります。
吉野:スロープが浮いていますからね。あれを実現させるまでにも、様々なエピソードがあります。未来館のクライアント側担当者の一人で、後に副館長になる竹内さんが、予算がオーバーするなか、「いろいろなものをこれから削るけれど、若手一人一人がどうしてもやりたいものがあったら、それはこちらも頑張るよ」と言ってくれたのです。
私は、スロープをどうしても残したいとお願いしました。そうしたら、わがままが通ったんですよ。現実問題、吹き抜け空間の屋根と、支持する柱に使う鉄骨が細長すぎるので、その柱を梁で繋ぐ必要があった。スロープは柱を繋ぐ役割も果たしているのです。そういう機能もあったので、予算の都合でやめようとならずに残った、という事情があるのかもしれませんが。
スカイツリーの天望回廊も、計画中には必要性が議論されることもありました。しかし、未来館を体験したクライアントのみなさんが、「残しましょう」と言ってくれた。これは、建築家として感無量でしたね。
風景になじんでいるのを見て、ほっとしている
――スカイツリーは、現在のデザインに行きつくまでに様々な試行錯誤がありました。浮世絵の「見返り美人」のような袖がついたアイディアもあったんですよね。これは、相当評価が高かったのではないでしょうか。
吉野:はい。クライアントからの評価は本当に高かったですね。ただ、袖のひだの部分が機能面を考えると、無駄な構造になってしまうのです。特定の方向からかかった力に対しては、まったく効かないですからね。現在のスカイツリーの部材は、どの方向から来た力に対しても有効な、最小限の部材でできているんですよ。
――削りに削った形なのですね。
吉野:スカイツリーは足元の平面が三角形なのですが、これも四角形に比べれば、少ない部材で効率的に強度を確保できる形です。
――スカイツリーが竣工して14年が経ちましたが、改めてどのように思いますか。すっかり東京の風景として、馴染んでいますよね。
吉野:あんまり悪口を言われないのが、ほっとしているところですね(笑)。パリの「エッフェル塔」は、できたときにものすごい反対運動が起きたそうです。そうなったら嫌だなと思っていたのですが。幸いにも東京の景色に溶け込んで、あって当たり前になってきている。ありがたいことだと思っています。
第2回【「いつかは“山小屋”と“こたつ”を設計したい」 東京スカイツリー(R)を手掛けた建築家「吉野繁氏」アイディアはあるけれど「まだ誰も発注してくれません(笑)」】では、東京スカイツリー(R)を手がけた建築家「吉野繁氏」に、将来設計したいものが「山小屋」「コタツ」であることについて、その理由を詳しく伺っています。
ライター・山内貴範
デイリー新潮編集部
