広島テレビ放送

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 8月6日の原爆の日、広島で開かれた平和記念式典。同じく8月6日、遠く離れたアメリカでも祈りが捧げられていました。原爆の犠牲になったアメリカ兵を弔う慰霊式です。

■慰霊式
「広島への原爆投下の日であり、 私たち家族にとっては伯父ジョセフ・ダビンスキーが命を落とした日です。」

 ジョセフ・ダビンスキーさん。アメリカのB24爆撃機タロア号の機長でした。1945年7月、旧日本軍に撃墜され機体は墜落。
 ダビンスキーさんは捕虜として、広島に連行され被爆死しました。しかし、当時遺族に伝えられていたのは「広島上空で行方不明になり、戦死した」ということだけ。
 遺族に原爆で亡くなったという真実を伝えたのが、自らも被爆者の森重昭さんでした。

■森 重昭 さん
「自分の全人生をかけて、この人たちの運命を遺族にだけは知らせたい」

 平和を訴え続け、2026年3月、88歳で他界しました。
 その3か月後、森さんの妻・佳代子さんのもとをダビンスキーさんのおいが訪れました。
 爆撃機が墜落した現場にも案内。長年保管していた機体の一部を手渡しました。

■ダビンスキーさんの甥(おい)ロバート・タタロヴィッチ さん「実際にその機体の一部に触ることができるなんて、この出来事を忘れられないようにしてきた努力のおかげで、その一部を感じることができました」

 持ち帰った機体とともに。家族や軍の関係者が集い、森さんへの感謝と平和への祈りが捧げられました。

■ダビンスキーさんの甥(おい)ロバート・タタロヴィッチ さん
「私たち家族にとって80年以上前に始まった旅が、ようやく終着点を迎えます。きょう、私たちはタロア号を故郷へ迎えます」

 ダビンスキーさんのふるさとに、81年の時を経て帰すことができました。

■ダビンスキーさんの甥(おい)ロバート・タタロヴィッチ さん「伯父に、あなたは忘れられていませんと伝えます。 広島でも忘れられていません。森さんのメッセージ、和解と愛、そして互いに寄ることの大切さを強く感じました」

 広島にもアメリカ兵たちを弔う場所があります。平和公園から約500メートルほど離れた路地裏。ビルの1階に、ここで被爆したアメリカ兵たちのための銘板が掲げられています。28年前に森さんが作りました。
 森さんが亡くなって初めて迎えた原爆の日、妻・佳代子さんと長男の佳昭さんが祈りを捧げました。

■森重昭さんの妻 佳代子 さん
「佳昭と一緒に継承していきますから、しっかり見守っていてくださいねってお祈りしました」

■森重昭さんの長男 佳昭 さん
「この銘板を自費で作った、その思いに対しては尊敬の念はありますし、途絶えさせちゃいけないなっていう思いは、きょうに限らず持っています」

 この日、2人は、ある人と会う約束をしていました。

■森重昭さんの妻 佳代子 さん
「おはようございます。お世話になります。森佳代子です」

 駐日オランダ大使館のロブ・アンダーソン全権公使です。

■駐日オランダ大使館 アンダーソン 全権公使
「来てくれてありがとうございます。会うことができて光栄です」

 広島で被爆死したアメリカ兵12人全員を特定した森さん。やり残していることがありました。長崎で被爆死したオランダ兵7人のうち、2人の遺族が調査を尽くしても見つからなかったのです。

 森さんが亡くなる3か月前の2025年12月。
 広島テレビは森さんと連名で、オランダ大使館に遺族の捜索を求める書簡を送りました。

■森 重昭 さん
「遺族としたら何としてでも知りたいんじゃないかと。光を当ててあげたい。そこなんですよね」

 そして6日、大使館側の要望を受け面会が実現しました。

■森重昭さんの妻 佳代子 さん
「あと2名がどうしても。どんな手づるををお願いしてもわからない。それが彼のずーっと最近の念願でした。だから私は亡くなった瞬間に、私に宿題を残したなって感じました。」

■駐日オランダ大使館 アンダーソン 全権公使
「森さんはアメリカに何度も電話かけるなどの調査を重ねて、多くの遺族にたどりつきました。私は深く感銘を受けています。私たちのネットワークや人脈を生かし、残る2人のご家族を見つけるため最善を尽くします」

 アンダーソン氏は、調査への協力を約束しました。

■森重昭さんの長男 佳昭 さん
「オランダの方、しかも全権公使と直接パイプを持てたというのは大きい」

■森重昭さんの妻 佳代子 さん
「心強いなって。見てくれているよ。あきらめたらいけないんだ、あの粘り強さは自分に言い聞かせて」

【2026年8月7日 放送】