水谷豊が語る『映画監督の覚悟』と『趣里への想い』――「天国と地獄の差が大きい芸能界には来ないで」
〈俳優としてのキャリアは60年を誇る一方、映画監督としての歩みも10年を超える水谷豊(74)。企画・監督・脚本・プロデュース・主演という一人5役を担った監督第4作『Piccola felicità(ピッコラ・フェリチタ)〜小さな幸せ〜』が全国で順次公開される中、監督業の魅力について熱い想いを語った〉
「俳優」から「映画監督」になる覚悟
“やると決めたら一生続ける”
水谷が映画監督としての覚悟を決めたのは約10年前。初めて監督を務めることになった時だ。実は、それ以前にも映画監督のオファーを受けたことはあったが、すべて断ってきたのだという。
「その時オファーしてくださった方々はたぶん、(僕が)俳優として名が知られているからしてくださったんだと思うんです。でも、そんな理由で監督をしたら、ずっと監督をやってきた方にも、監督を目指して頑張っている方にも失礼じゃないですか。僕にとって“監督”はそれだけ尊敬に値する人。だからやるなら一生その肩書を背負っていく覚悟が必要だと思っていました」
監督デビュー作となった『TAP−THE LAST SHOW−』(’17年)も、はじめからメガホンを取ろうとしていたわけではない。ただ、タップダンスを題材とした作品の構想自体は20代の頃から持ち続けていたものだった。
「23歳の時でしょうか、天才的なタップダンスの才能を持つ若者の物語を思い付いたんです。何とかカタチにできないかと思って、市川崑監督や長谷川和彦監督に話したこともあります。でも、なかなか実現には至りませんでした」
それでも諦めず、何度も企画を練り直してはその魅力を訴え続けた。そして、40年の月日を経てついに映像化が実現することになったのだ。
「もう僕自身は若者を演じる年ではありませんから(笑)、挫折した元タップダンサーへと設定を変えることにしました。その打ち合わせの中でプロデューサーに『監督は水谷さんしかいない』と言われたんです。実は、僕も自分で監督をすることになるかもしれないと思っていました。だって、僕が誰よりもこの作品のことを知っているのですから。監督としてやっていく決意が固まった瞬間でした」
「企画を映像化するならテレビではなく、映画と決めていました」と話す。その理由は自身の経験によるもの。小学2年の時に北海道から移り住んだ東京・立川には米軍基地があり、アメリカ文化が身近な環境で育った水谷は、とくにアメリカの映画に強く影響を受けたという。
「俳優として映画に出始めた高校生の頃、立川の映画館でアメリカン・ニューシネマの『俺たちに明日はない』を観たのがきっかけ。破滅に向かうカップルがとてもかっこよくて魅了されたんです。僕にも何かを壊したいという気持ちがあったからかもしれません」
映画館に通うようになった水谷は、『真夜中のカーボーイ』でダスティン・ホフマンの演技に注目し、『明日に向って撃て!』でポール・ニューマンに憧れた。
「映画を観ている間は、悩みも疲れもすべて忘れてその世界に没入することができます。もちろんテレビドラマも同じですが、テレビは家で観るもの。映画館に行くということ自体が僕にとって特別な嬉しいことでした。だから、観てくださる方にも特別な世界を体感してほしいと思ったのです」
それを象徴するのが、クライマックスの24分にも及ぶタップダンスショウだ。これもまた、20代の時にアメリカの西海岸で観た舞台『ピーター・パン』に起因する。
「主演のサンディ・ダンカンのダンスに涙が止まらないほど圧倒されたんです。あの感動を味わってもらえるようなショウを見せたかった。自分で自分の作品を評価するのは難しいですが、僕のすべての力を使ってつくり上げたことだけは間違いありません。40年の思いをかたちにできたことで前に進めると思いました」
トレーニング場所は「撮影現場」
その後、『轢き逃げ―最高の最悪な日―』(’19年)、『太陽とボレロ』(’22年)を手掛け、今年公開の『Piccola felicità(ピッコラ・フェリチタ)〜小さな幸せ〜』では、企画・監督・脚本・プロデュース・主演の一人5役を務めた。さらに、本作では娘である趣里(35)との初めての“父娘共演”も話題になっている。
「脚本を書いている時に『読んでいい?』と聞かれたので見せてはいたんです。当初はキャスティングしようなんてまったく考えていなかったんですよ。ところが、撮影することを知った趣里が自ら『私、出てもいいよ』と言ってくれて。本人には一切話していませんが、趣里が演じる30代女性の役は彼女を思い浮かべながら書いたものだったので嬉しかったですね」
趣里は’23年の連続テレビ小説『ブギウギ』(NHK)で視聴者を惹き込む圧倒的な表現力が評価され、’24年放送のドラマ『モンスター』(フジテレビ系)、現在放送中の7月期ドラマ『大空港〜GATE24〜』(テレビ朝日系)など、数々の作品で主演を務めるほどの実力派俳優へと成長した。そんな彼女の活躍を父として、先輩としてどう見ているのか。
「趣里には子供の頃から『こっちの世界には来ないで』と言い続けていました。天国と地獄の差が大きい世界なのでつらい目に遭(あ)ってほしくなかったんです。だから、芝居の道に進む時も(妻の)蘭さんには相談していたようですが、僕にはなかなか言わなかった。でも今は、彼女の演技を観るたびにこっちに来てくれて良かったなぁと思っています」
一方の水谷自身も10年足らずで4作品と精力的だが、「監督としてはまだまだ若手ですから」と意気込む。すでに次の作品の構想も見え始めているという。
’23年には『帰ってきたマイ・ブラザー』で23年ぶりに舞台にも立った。さらに、今年26周年を迎えたテレビドラマ『相棒』の撮影は1年のうち7ヵ月を要するハードスケジュールだ。多忙を極めるなかで健康を維持する秘訣はあるのかと尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「もう何十年も身体を鍛えることはしていないんです」
20代の頃、痛めた肩を若さにかまけて放っておいたら古傷のように残ってしまい、激しいトレーニングをするとかえって痛みが生じるようになった。どうすればよいかと模索していた時に、あるトレーナーから言われた言葉が水谷の考え方を変えたという。
「そのトレーナーの方に『普通に生活できる体力や筋力があれば十分に健康なんですから、それ以上身体をいじめなくていいと思いますよ』と言われて、すごく腑に落ちたんです。だから特別なことはしていないんですが、足の筋力は衰えやすいので気を付けています。とはいえ、いつも撮影現場で歩き回っているので自然と鍛えられているんじゃないかな」
そう言って笑う水谷は、颯爽と次の現場に歩いていく。その背中には、監督としての確かな自信が滲んでいたのだった――。
取材・文:中川明紀
