人間で言えば間もなく還暦!! 初代トヨタカローラは絶対に失敗できないプレッシャーに打ち勝った!!

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第100回目に取り上げるのは1966年に登場した初代カローラだ。

初代カローラは同じ学年

2024年2月に始まった本連載。昭和40年代生まれの現役おっさん編集部員が20世紀のクルマを振り返る、というものなのだが、今回めでたく連載100回目。特別感を出すためにどんな車種にするか悩んだ結果、1966年10月に開催された東京モーターショーで発表され、11月5日に発売を開始した初代カローラとすることにした。

その心は、1966年といえば筆者が生まれた年で、人間的に言えば同じ学年だからだ。2026年7月現在筆者はすでに還暦を迎えたが、”カローラ君”はあと4カ月程度で還暦ということになる。日本車もいろいろ様変わりし、昭和時代のビッグネームが続々消滅するなか、カローラは60周年を迎える。そのカローラの歴史を超えるのは、同じトヨタのランドクルーザーシリーズを筆頭にごく少数となっているだけにめでたさも際立つ。

あと、初代カローラは後述するが『プラス100ccの余裕』というフレーズがあり、100という数字にこじつけるにはピッタリだ。

60年前の1966年11月から販売を開始した初代カローラ

トヨタは大衆車の開発に苦戦

1955年に通商産業省(現経済産業省)は『国民車構想』を発表。それに対し各メーカーはそれに合致させるクルマを開発し、トヨタは紆余曲折を経て1961年6月に大衆車のパブリカ(UP10型)を登場させた。国民車構想の発表から実に6年も要したのは、エンジンは350~500ccc、乗車定員4名、最高速度100km/h以上、価格は25万円以下という当時として厳しい基準に合致させるためにトライ&エラーを繰り返したためだ。

パブリカの車名は、『PUBLIC(大衆)』と『CAR』を組み合わせた造語で、一般公募によって誕生した。しかし、パブリカは販売面で苦戦を強いられ、トヨタとしては期待したほどの成功は収められなかった。

筆者個人的にはパブリカは味があって好きだが、トヨタが思ったほど売れなかった

クルマは時代を映す鏡

国民車構想によって誕生したクルマたちは、国民に乗用車というものを広めるために『いいものを安く』というのが根底にありパブリカについては実用的で、大衆車として評価は高い。しかし、1966年といえば高度経済成長期の真っただ中で、神武景気(1955~1957年)、岩戸景気(1958~1961年)、オリンピック景気(1963~1964年)に続くいざなぎ景気の始まった年(1970年まで継続)でもあり、贅沢したい、見栄えのいいモノが欲しいという風潮となっていて、クルマについてもマイカーを持つだけではなく、高級感のあるものに対するニーズが高まっていたという。それこそパブリカが苦戦した理由だ。クルマが時代を映す鏡であるゆえんだ。

初代カローラのカタログの中面

伝説のエンジニアが主査を担当

パブリカが販売で苦戦するなか、初代カローラの開発は創業者の豊田喜一郎氏からエンジニアの長谷川龍男氏への提言がきっかけだったという。長谷川氏は立川飛行機を経てトヨタに入社後、初代トヨエース、前述のパブリカ、トヨタスポーツ800(ヨタハチ)の開発主査を歴任。その後は初代セリカ、初代カリーナを手掛けたトヨタの伝説のエンジニアだ。長谷川氏は2004年に自動車殿堂入りした後、2004年に永眠されている。筆者は自動車雑誌『ベストカー』の取材で一度だけお会いしたことがある。

長谷川氏にとってはパブリカでできなかったことを初代カローラに多く盛り込んだ

初代カローラでリベンジ

長谷川氏が初代カローラの開発にあたり導入したのが、『80点主義+α』で、これは特定のものだけが突出しているのではなくトータルバランスに優れ、90点以上の性能を目指すというもの。初代カローラの立ち位置は700ccクラスのパブリカと1500ccクラスのトヨペットコロナの間だ。

パブリカでは実現できなかった新たな大衆車となる初代カローラはパブリカのデビューから2年後の1963年に開発がスタートした。初代カローラは1966年デビューだから、開発期間は約3年で当時としては異例に早いと言える。当然ながら、トヨタはパブリカでが苦戦した経緯を理解し、当時のトヨタが持つ技術などが惜しげもなく投入された。

ここで面白い話がある。初代カローラは幅広い層にニーズを合わせるべく開発されたと言われていたものの、実は『短大卒の女性』を本命ターゲットとしていたという。これは非常に面白いエピソードでデビュー時には触れられていなかったが、『トヨタイズム』の動画内で豊田章男会長が明かしていた。いつの時代もマーケットのイニシアチブを握るのは女性で、当時は短大卒の女性がハイカラだったということだろう。

思いっきり高級でなくても安っぽく見えなければユーザーは喜んだ

プラス100ccの余裕

初代カローラのボディサイズは、全長3845×全幅1485×全高1380mmでホイールベースは2285mm。現在の基準では軽自動車をちょっと大きくしたようなボディに、5人がゆったりと寛げるパーソナルスペースを確保したことが凄い。

エンジンは1077ccの直列4気筒OHVを搭載。当時のコンパクトカーの主流派1000ccで、ライバルの初代日産サニーも1000ccだった。1077ccがいわゆる『プラス100ccの余裕』というわけだ。最大のライバルの日産が初代サニーを1000ccで開発しているという情報を入手して、+100ccの1077ccにしたという逸話も残っている。駆動方式はFR(後輪駆動)だ。

高性能を安心・安全にというのがカローラの基本

当時のエンジンスペックはグロス表記で、最高出力60ps/6000rpm、最大トルク8.5kgm/3800rpmをマーク。エンジンを右側に20度傾けて搭載することにより重心を低くすると同時に吸気効率を高めていた。

最高速は140km/hで、トヨタでは欧州の同クラスの水準を破った高速性能と大々的にアピールしていた。

+100ccの余裕は走りに明らかに出た

高級感とスポーティさの融合

初代カローラは安くいいものを追求した実用一辺倒のパブリカでの失敗を受けて、高級感を大々的にアピール。パブリカが愛らしいが平坦なデザインだったのに対し、初代カローラは曲線を多用。パブリカよりも明らかに高そうに見える丸2灯ヘッドライト、緩やかなふくらみが与えられたボンネット、それと対照的にシャープな流れを見せるセミファストバックスタイルは適度な高級感とスポーティさがミックスされていた。

2ドアセダンはセミファストバックスタイルを採用

満足度の高いインテリア

インテリアも当時の小型大衆車で一番の高級感が与えられていた。2本スポークのグリップの細い大径のステアリングはいかにも1960年代のクルマと言った風情だが、ステアリングスポーク、インパネ上部、サンバイザー、フロントシートバックの裏側などには分厚い安全パッドで覆ってあるのは当時の小型車としては画期的。計器類を覆うカバーには無反射ガラスが使われるなど、視認性も大きく進化させていた。

デザインだけでなく色遣いにもこだわりを見せた

さらに当時の小型車の室内は鉄板むき出しが一般的だったが、初代カローラは鉄板の露出がほとんどなかった。これは高級感を演出するには必須だった。

筆者が意識して初代カローラを見たのは編集者になってからだから実感したわけではないが、聞いたところでは当時初代カローラのインテリアに対する満足度は高かったという。

初代から輸出を開始。こちらは左ハンドルの輸出仕様のインテリアでオシャレな色遣い

初代カローラは初物尽くし

初代カローラはいろいろな初物が投入されていた。まずはサスペンション。乗用車のスタンダードとなっているマクファーソン・ストラットを日本の量産車として初採用。エンジンでは5ベアリング支持方式を日本車初採用することで静粛性と耐久性を両立。当時はステアリング下に位置するコラムシフトが主流のなか、日本車で初めて4速のフロアトを搭載している。

エクステリアではサイドウィンドウなどに曲面ガラスをトヨタ車として初採用し、高級感のあるエクステリアの実現に大きく貢献。そのほかでは、バックランプ(ギアをリバースに入れた時点灯)を大衆車クラスで採用したのは日本車初。合計30にも及ぶ新技術の投入、しかも初物尽くし。初代カローラに対するヨタに対するトヨタの意気込みが伝わってくる。

サイドに曲面ガラスを採用したのはトヨタ車では初

大卒初任給の20カ月分!!

デビュー時は2ドアセダンのみ(後に4ドアセダン、2ドアクーペ、3ドアバン、3ドアステーションワゴンを追加)。グレードは下からスタンダード、スぺシアル(リリースの表記のまま)、デラックスの3タイプ。エンジンは3グレードとも同じで、違いは装備だ。いかにも1960年代というグレード名がいい。最も高いデラックスが49万5000円だった。1966年の大卒初任給が約2万4900円だったため、20カ月分ということになる。2026年の大卒初任給が約26万5000円で1966年比では約10倍。20カ月分といえば500万円を超える。大卒初任給だけで単純比較はできないが、初代カローラを購入するハードルは決して低くなかったのは確かで、それが飛ぶように売れたのはクルマが夢のあるもので、それ対する憧れの強さを証明している。

追加した2ドアクーペは若者に大人気。駆動方式はFRで運転も楽しかった

カローラとサニーのバチバチの関係

カローラと言えば最大のライバルはサニー。当時トヨタと日産は熾烈な販売合戦を展開。ブルーバードとコロナのBC戦争が有名だが、奇しくも初代カローラと初代サニーは同じ1966年に登場している。デビュー時期はサニーのほうが半年ほど早い。

カローラより約半年先にデビューした初代日産サニー。走りの楽しさでは評価が高かった

前述の『プラス100ccの余裕』のキャッチフレーズで日産を挑発したが、その効果は絶大。車両価格はカローラのほうが2万円強高かった。たかが2万円、されど2万円。大卒初任給の1カ月弱に匹敵する金額だったがネガな材料にはならなかった。両モデルとも1966~1970年まで約4年間販売されたが、初代カローラは初代サニーの約45万台に対し約77万台と圧倒した。

ちなみに、日産は2代目サニーを登場させた時に1200ccに排気量アップし、「隣のクルマが小さく見えます!!」とやり返すなど、バチバチだった。カローラ対サニーは歴代やり合っていたのだが、そのサニーが今は存在しないのが残念だ(日本では2026年に消滅)。

フォーマルな服装とも不釣り合いでなかった初代カローラ

還暦を迎えられるのはカローラだけ!?

1966年には初代カローラのほか前述の初代日産サニー、ホンダS800、三菱コルト1000&1100、マツダルーチェ、スバル1000、いすゞベレット1600GTファストバック、フェロースーパーDXといったニューカーが登場したが、ブランドとして残っているのはカローラのみ(コルトは欧州のみ存続)と孤軍奮闘。

ホンダS800は1966~1970年に販売された

電動化時代になってもカローラは健在

カローラというブランドは初代の大成功もありあっという間に定着し、トヨタだけでなく日本を代表する小型車に君臨。20026年10月には60周年を迎えるため、今後60周年記念車などがいろいろ設定されることは間違いない。

その一方でこれはあくまでも推測だが、ジャパンモビリティショー(JMS)2025で次期カローラのコンセプトカーが公開されたが、60周年を機に市販モデルが公開される可能性はゼロではないと思う。次期モデルは、トヨタの新世代直列4気筒エンジンのHEVとPHEV、さらにはBEVも用意される。何よりもショーモデルとあまり変わらない斬新なエクステリアを纏って登場するというから楽しみだ。

「ユーザーの期待のちょっと上を行くのがカローラ」(豊田章男会長談)だが、次期型カローラの突き抜け具合はちょっとどころじゃなさそう。電動化時代になってもビッグネームのカローラは健在だ。

これがカローラかと見紛う斬新なエクステリアデザイン。市販車の登場が待ち遠しい

【初代トヨタカローラデラックス(2ドアセダン)主要諸元】

全長:3845mm

全幅:1485mm

全高:1380mm

ホイールベース:2285mm

車両重量:710kg

エンジン:1077cc、直列4気筒OHV

最高出力:60ps/6000rpm

最大トルク:8.5kgm/3800rpm

価格:49万5000円(東京)

※1966年11月販売開始時のスペック

ボンネットの緩やかなふくらみなどにこだわりを感じる

【豆知識】初代日産サニー

カローラのライバルだが、カローラよりも約半年早くデビュー。2ドアセダンのみのラインナップだったが、4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアライトバン/トラックと追加し、5車種のラインナップとなった。エンジンは988cc、直4OHVで、トップスペックは60ps/7.7kgm。駆動方式はカローラ同様にFR。このモデル以降、カローラとの熾烈な販売合戦を展開していくことになる。

カローラとは長きにわたりライバル関係にあったサニーは2006年に日本で消滅

市原信幸

1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、NISSAN、HONDA

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