石造技術は極めて精巧で、地震の多い地域ながら、現在まで崩れずに残っている(撮影:富井義夫)

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133の国と地域を旅して、625ヵ所もの世界遺産を訪れている写真家・富井義夫さん。40年以上にわたって世界中を巡ってきた富井さんによる、『婦人公論』での新連載「世界遺産を旅する」。第15回は、「マチュ・ピチュ」をご紹介します

【写真】インカ帝国時代から続く太陽祭、「インティ・ライミ」

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謎に包まれた空中都市


ペルー

ペルー南部、アンデス山脈の尾根に築かれたマチュ・ピチュは、標高約2400mに位置するインカ帝国の遺跡です。建設目的は、宗教施設、離宮、天体観測所など諸説あり、いまだ未解明。手がかりの多くが、16世紀にスペインに滅ぼされ植民地となった時代に失われてしまったからです。

帝国の滅亡とともに人々が離れたマチュ・ピチュは、発見されることなく山に埋もれていきましたが、1911年、アメリカ人探検家ハイラム・ビンガムによって世界に紹介され、広く知られるようになりました。

一帯は雲が発生しやすく、山全体が深い霧に包まれることも少なくありません。ゲートシティであるクスコの街から高山列車に揺られて4時間弱。そこからバスに30分ほど乗り、やっとの思いで訪れた初日は、数m先さえ見えないほどの濃霧で、6時間近く待っても遺跡は姿を現しませんでした。翌日、ようやく霧が晴れ、空中都市の全景が目の前に広がったのです。

マチュ・ピチュ村の初代村長は日本人

インカの人々は急峻な地形に段々畑を築き、街に水路を巡らせて、都市機能を維持してきました。厳しい自然環境のなかで、いかに物資を調達したのか、古代の高度な技術力には驚かされます。遺跡の保護のため、現在は入場制限が設けられました。観光に多少不便であっても、この地の存続を願ってやみません。

日本のほぼ真裏に位置するペルー。かつて日本人が移民として渡り、今も日系の方が多く暮らしています。じつは、マチュ・ピチュ村の初代村長も日本人。繋がりを嬉しく感じます。

世界遺産登録名/マチュ・ピチュの歴史保護区