え、また日本で五輪やるの? 共同通信が報じた。

【画像】「反五輪」デモ隊、ブルーインパルス、フェンスのスキマから撮影を試みる女性…2021年の東京五輪を写真で振り返る

『IOC「日本で再び冬季五輪を」 分散容認、札幌、長野で招致動き』(6月28日)

地元紙はどう報じているか

 IOCが「日本で再び冬季五輪を」と期待感を示した。国内では札幌や長野で招致の動きがあり、既存施設を生かした分散開催も選択肢として認めるという。2038年、あるいは2042年大会が日本開催のチャンスとみられている。


2021年に開催された東京オリンピック ©️JMPA

 では地元紙はどう報じているか。信濃毎日新聞は、その1週間前にスクープとして報じていた。

『【独自】2度目の長野五輪、招致の動き 長野市の若手経営者ら、38年か42年を目標に構想』

 長野市の若手経営者らが、2038年か2042年の冬季五輪招致を目指す構想を進めている。分散開催や既存施設の活用でコストを抑えながら、地域活性化につなげようという構想で、「草の根」的に招致機運を高め、市側に働きかけていくという。

 なるほど、魅力的なキーワードが並ぶ。若い世代が中心となって五輪を招く。分散開催で既存施設を活用する。巨大な箱物を次々と造る時代ではない。「草の根」から機運を高めようという姿勢もわかりやすい。

 実際、冬季五輪は気候変動や開催費の高騰で開催都市が限られつつある。IOCが日本に期待を寄せる背景には、そうした事情もあるのだろう。

 しかしだ。

長野で五輪を語るなら、もう一つ思い出すことが…

 東京五輪(2021年)では招致をめぐる疑惑、開催費の膨張、コロナ禍での開催、そして大会後には汚職や談合事件まで発覚した。その余波で2030年大会を目指していた札幌市は招致を断念した。市民の反対もあった。だから、「もう五輪はいいよ」という空気が日本社会にはしばらく続くものだと思っていた。

 それだけに今回の長野の動きは驚いた。

 ただ、長野で五輪を語るなら、もう一つ思い出すことがある。「五輪とメディア」である。

 今回、招致の動きを報じた信濃毎日新聞は、東京五輪では開催そのものに厳しい視線を向けた新聞でもあった。大手紙の多くはスポンサーという立場にもなり、東京五輪の神輿を担ぐ側にまわっていた。だから問題が起きるたびにどこかよそよそしかった。

 そんななか、信濃毎日新聞は2021年5月に「東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ」という社説を掲載し、大きな反響を呼んだ。開催中止を訴えたからよかったということではない。新聞社として堂々と「論」を述べたことがよかったと思ったのだ(それが本来の新聞だと思うのだが)。

 だが、その信濃毎日新聞にも忘れられない「過去」があった。

 1998年の長野五輪では、招致委員会の会計帳簿が焼却されるという、とんでもないスキャンダルがあった。地元紙には招致活動を十分検証できなかったという苦い経験があった。

 筆者は当時、「こうした過去があったからこそ、信濃毎日新聞は東京五輪に厳しい視線を向けられたのかもしれない。自分にとっても耳の痛いことを書く道を選んだのだろう。過去と向き合うことは、人間も新聞も必要だ」と書いたことがある。

 すると後日、信毎の論説主幹が雑誌『Journalism』に寄稿し、自らこう振り返っていた。

《私たちは長野五輪の「影」を県民に十分伝えられたのか、今でも忸怩たる思いを引きずっている。》

《招致段階でのIOC委員らへの接待疑惑は、招致委員会の帳簿書類が焼却される隠蔽もあって追及し切れず、検証できなかった。》

 そのうえで、東京五輪を担当した論説委員は「県民、市民の視線にこだわろうと覚悟して書いた」と振り返っている。このコラムを書いた論説主幹は、メディアは公権力や巨大イベントの主催者など報道対象との距離を失い、一体化する危うさを常に抱えていると問題提起したうえで、最後にこう結んでいる。

《めくらましのように放たれる「光」に惑わされることなく、「影」を見つめ、そこに生きる人々のまなざしから報道し、論評しなければならない。私たちにとって未完の課題である。》

五輪を地域活性化の「起爆剤」として使うのはもう古くないのか

 だから今回の長野招致の記事を読んで考えたのは次のことだ。もし本当に長野が再び五輪を目指すなら、信濃毎日新聞は今回も「影」を書き続けられるだろうか。

 逆に、「地域活性化」「経済効果」「夢」といった言葉だけが先行し、「影」が見えなくなるようなら、東京五輪から何を学んだのか分からない。

 そもそも、いくら若手経営者の夢だからといって、五輪を地域活性化の「起爆剤」として使うのはもう古くないのか。

 その信濃毎日新聞は招致の動きをスクープした3日後、『「夢のある話」「やるべきなのか」』という見出しで再び特集を組んでいた。

 歓迎する競技関係者や自治体の声だけでなく、「市民は物価高でぎりぎりの生活を送っている。そういう状況で五輪をやるべきなのか」という市民の声も紹介していた。そして、1998年長野五輪で招致委員会の会計帳簿が焼却された問題や、東京五輪で明らかになった汚職・談合にも触れている。

 本当に招致へ動くのか、そして実現するのかは、まだ先の話だ。なので今後注目したいのは、招致活動そのものがきちんと監視され、その光も影も報じられ続けるかどうかである。この問いは地元紙だけに向けたものではない。五輪を報じる全国のメディアにも向けられている。

(プチ鹿島)