柄本明さんが『A-Studio+』に出演。その芝居哲学に迫る「中村勘三郎さんは俺に一度も怒らなかったし、待っててくれた。きょうだい喧嘩の場面に立ち合い、こんな場所にいられて嬉しいなぁと」
2026年6月26日放送の『A-Studio+』に柄本明さんが登場。映画監督・李相日さんや俳優・藤原竜也が語る柄本さんの素顔とは?また、愛犬・ウタくんや、これまでの歩みについて語ります。そこで今回は柄本さんが俳優人生の3つの転機について語った、『婦人公論』2023年4月号の記事を再配信します。*****演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続けるスターたち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第15回は俳優の柄本明さん。中村勘三郎さんとの出会いが第二の転機と話す柄本さん。勘三郎さんとの共演の思い出や、渥美清さんとの交流を語ります――。(撮影:岡本隆史)
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<前編よりつづく>
本物の名優の子女二人にはさまれて
勘三郎さんは柄本さんのことが大好きだったと思う。いつか勘三郎さんが柄本さんと二人で何か芝居を観に行ってきて、「こんなくだらない芝居に両手を上げて拍手してる。あの手を鎌で刈り取ってやりたいね、って(笑)」と、後日私に柄本さんのことを嬉しそうに話していた。それで、『石松』のときは何の役を?
――「どんな役をやりたいですか?」と制作から訊かれたんですよ。そしたら俺、馬鹿でしたね、「『三十石船』に乗り合わせた江戸っ子が、石松と『寿司食いねぇ』『神田の生まれよ』ってやりとりする、あれをやりたい」って言ったんですよ。
あとで出来上がったのを見たら、それ、(出演者の古今亭)志ん朝さんがやってた。みっともないことを言ったな、と思いましたよ(笑)。それで結局、小松村の七五郎という、石松が殺される時に匿う、すごくいい役。で、女房の役が勘三郎さんの姉さん、波乃久里子さんでした。
撮影で京都に初めて行った時に、勘三郎さんが「これからご飯に行くけど」って誘ってくれたんです。久里子さんも一緒でした。そしたらものの5分も経たないうちに二人できょうだい喧嘩を始めた。
その時俺、こんな場所にいられて嬉しいなぁ、と思いましたね。俺、役者になるのかなぁ、なんか、幸せだなぁ、みたいなね。
柄本さんと勘三郎さんのコンビは新橋演舞場での「浅草パラダイス」シリーズ、映画『やじきた道中 てれすこ』など、息の合った共演が続く。
――そう、『浅草パラダイス』、爆発しましたね。ここで僕は本物の名優の子女二人にはさまれて。片や17代目勘三郎の息子、片や藤山寛美さんの娘の直美さんですからね。これが噂に聞くプロの役者というものかと、目が飛び出ましたからね。
直美さんは稽古場に何日か遅れて入ってきて、いきなり勘三郎さんと喧嘩する場面をやったんですよ。二人とも脚本なんか見ないしね。アドリブも入ったりして、まるで本番みたいなんですよ。怖くなっちゃってね。
それで直美さん、初対面の挨拶だけは丁寧だったけど、次からはもう、俺を見る目がこう、斜めですよ。こんな感じで、怖い怖い(笑)。
やっぱりありがたかったのは勘三郎さんが、僕に対してダメ出しなんかまったくしなかったですからね。それで楽屋も一緒にしてくれて、女方のベテランのお弟子さんを僕に付けてくれて。またそのお弟子さんが、怖い怖い。(笑)
『浅草パラダイス』は、97年から2001年まで毎年上演された。演舞場の勘三郎さんの広い楽屋の片隅に、所在なげに上眼遣いで正座している柄本さんを私は何度かお見かけした。
――そうそう、上眼遣い(笑)。僕は台詞覚えるのが遅いんですよ。でもプロのお二人は台詞を一字一句間違えない、とかじゃなくて、まず書かれていることを身体に入れて、すぐに二次元から三次元へ立ち上がらせるんですよね。これ、恐ろしいですよ。
でも勘三郎さんはプロでありながらアマチュアの部分も持っていて、面白いものに対するアンテナの張り方がほかの役者とは違うんです。誰も気がつかないような隅っこにうずくまってるようなのを、「ちょっとあんたおいでよ」と呼んでくれた、みたいなことじゃないのかな。
ありがたいことに彼は俺に一度も怒らなかったし、待っててくれたんですね。それで褒めてくれたのが、「柄本さんは僕の目ぇ見て芝居してくれるからいいよ」って。
柄本さんは渥美清さん、三木のり平さんなどとも交流がありました。
――渥美さんは晩年に近かったけど、年に一、二回「なんか面白いことある?」って電話してきて、僕や笹野高史が出てる芝居を観に来てくれたり、渥美さんと笹野と僕の三人でジャン・ポール・ベルモンドの『シラノ・ド・ベルジュラック』を観に行ったりしましたね。
あのときは一幕終わったら渥美さんがスッと立ち上がったから、僕たちは金魚のフンみたいについて行ったの。そしたらそのまま外へ出ちゃって、「フランス語はわかんないからね」。まぁ、それだけ観てもう、全部わかっちゃったんでしょうね。
それと、別役実さんの『はるなつあきふゆ』って芝居に三木のり平さんが出たのも一緒に観に行って。のり平先生はホームレスみたいな役でゴミ拾いながらブツブツ言って、それがおかしくってたまらなかったけど、渥美さんはひと言、「残酷だね」って。さぁ、どういう意味か。
渥美さんはよくわれわれに「見巧者(みごうしゃ)でなくちゃダメだよ」とおっしゃってましたね。
のり平先生とは一度、テレビで親子役をやらせていただきました。先生は因業親父の役で、ただ黙々と自分だけうまい物を食ってる。
そこへ息子役の僕が何か告げ口に行くんだけど、ふっと見たら老剣豪の塚原卜伝(ぼくでん)みたいな、どっからでもかかって来い、みたいな威厳を感じて、完全に殺されました。怖くなりましたね。
まぁ、怖いって感じないやつも、たっくさん、いますけどね。(笑)

妻の角替和枝さん(左)と(写真提供:柄本さん)
こうして生きていく
第三の転機は、奥様の角替和枝さんが亡くなったこと? 2019年の1月末、私は下北沢の北沢タウンホールで行われたお別れ会に行った。その時の柄本さんの挨拶。
「ベンガルや綾田俊樹が、『暫』という劇団に可愛い子がいると言うので見に行ったら、本当に可愛かった。多分僕が一番可愛いと思ったので、結婚したのだと思う。とてもいい人間でした」
――毎年人間ドックに行ってたのに、原発不明がんで亡くなりました。毎朝必ず喫茶店に行って二時間もおしゃべりして。夫婦喧嘩してても喫茶店へは行きましたからね。
亡くなった当初はちょっとそこ、行きにくかったりしましたね。「もうだいぶ馴れましたか」とか「立ち直れましたか」って訊かれるけど、ぽっかりあいた穴はそのまんまですね。
このところ、毎日ではありませんがうちの稽古場で朗読会をやってます。朝の9時から30分間。劇団員がそれぞれ本を持ち寄って。僕も毎回出ています。入場無料なんで、ご近所の常連さんもおられます。まぁ、チェーホフの台詞じゃないけど、こうして生きていくんですね。
『ワーニャ伯父さん』。明日も生きていきましょうよ、って。
――そうだね、ソーニャ、って(笑)。こういう話ができて、嬉しかった。

