錦織圭という奇跡【第32回】
中尾公一の視点(2)

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◆中尾公一の視点(1)>>「体が後傾していた」ひざの痛みを解消して全米OP準優勝

 2014年、ニューヨーク──。

 錦織圭が全米オープン準決勝で世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破ったニュースは、遠く離れた日本も震撼させた。急遽メディアが大挙してニューヨークに赴き、錦織が宿泊するホテル前に三脚を立ててカメラの列を作る。

 日本人初のグランドスラム決勝進出。

 ただその歴史的快挙も、錦織を支えるチームスタッフたちがいなければ、実現への挑戦すら潰えていただろう。というのも、あの時の錦織は直前に足裏の『のう胞』摘出手術を受けたため、大会出場すらあきらめていたからだ。


ジョコビッチを破って全米OP決勝進出を果たした錦織圭 photo by AFLO photo by AFLO

 当時、トレーナーとしてほぼすべての大会に同行していた中尾公一氏が、12年前の暑い夏を振り返る。

「圭が右足の親指の付け根あたりに違和感があると言ったのは、2014年のはじめのころでした。たしか、1月末に日本で行なわれたデビスカップだったと思います。その時は痛みもなく、『普段はできない場所にマメができた』くらいの感じでした。

 それが6月くらいから、違和感が大きくなってきた。いろんなドクターに診てもらい、MRI画像も何回も撮ったんですが、原因がわからない。そこで『全米オープン前に足の専門医に診てもらおう』ということで、8月上旬に急遽ノースカロライナに行ったんです。そこでの診断結果が、『うみの袋のようなものができているので、取り除いたほうがいい』でした。

 その時点で、全米オープンまで3週間と数日。基本的にオペの傷は、3週間程度で塞がるんです。ぎりぎり間に合うタイミングだったので、切除してもらいました」

 診断の日に足裏を1cmほど切開し、のう胞を除去したうえで、2針ほど縫った。

「手術のあとはフロリダのIMGアカデミーに戻り、リハビリと練習。次の日には椅子に座ってテニスをやったりと、出場に向けて準備はしていたんです。

 2週間後には普通にテニスもできていたし、3週間で治るはずなので、自分とマイケル(・チャン・コーチ)は『とりあえずニューヨークには行こう』と圭を説得し続けました。でも圭は、『痛いから無理』ってずっと言っていたんです。

 痛みを感じる『閾値(いきち)』は人それぞれで、圭は相当に敏感なほうなんですね。これはトレーナーにとっては、ありがたいことなんです。早めにサインを出してもらえるので、予防や対処もできますから。

 ただ、この時の足裏の痛みの原因はケガではなく、治療行為で切った傷です。こちらとしては、大丈夫だという確信がある。実際にケアで足裏をマッサージしている時には、傷口をグリグリ押しても、圭はグーグー寝ていましたから」

 当時を思い返し、中尾さんが優しく目じりを下げる。

【余ったゼリーは必ず持ち帰って】

 今では笑い話ではあるが、過去最高のシーズンを送っていた錦織の落胆ぶりは想像に難くない。一方で中尾氏をはじめとする陣営は、こんなことでチャンスを不意にするわけにはいかないと必死だ。

「全米オープンが始まる前には、ご両親もいる場で『絶対に大丈夫です』と断言しました。もしこれで圭に何かあったら、辞めるくらいの覚悟でいました。それくらい自信はあったんです」

 中尾さんの自信と覚悟は、大会前のルーティンをいつもと変わらず淡々とこなす姿にも現れていただろう。

 そのことを象徴するエピソードがある。

「圭はいつも試合の時、栄養補給用のゼリーをコートに持っていくんです。そこで大会が始まる前には、いつも自分が必要な数のゼリーを揃えていました」と中尾氏が明かす。

 グランドスラムは、3セット先取の5セットマッチ。決勝までいくと7試合なので、最多で35個のゼリーが必要になる。ただ、この全米オープンの時は日本からの補充が少し遅れ、30個あまりしかゼリーが手もとになかった。

「だから圭に、『決勝まで行くと足りなくなるから、余ったゼリーを必ず持ち帰ってね』って言ったんです」

 錦織は、試合開始時に5個のゼリーをコートに持ち込み、それをクーラーボックスに入れておく。そしてセット終了時に、ひとつずつ消費する。となれば、仮に3セットで試合が終わると、ふたつのゼリーがクーラーボックスに残る。中尾氏が念を押したのは、それら余ったゼリーを回収することだった。

 その中尾氏の言葉に、錦織は「決勝まで行くはずないじゃないですか」と、生返事を返すのみ。ところがいざ大会が始まると、1回戦で錦織はストレート(3セット)で快勝。さらに2回戦では、対戦相手が第2セット終了時に棄権した。

 そしてその都度、錦織は余ったゼリーをきちんとクーラーボックスから回収し、バッグに入れて持ち帰る。かくして3回戦に進んだ時点で、残りすべての試合がフルセットになったとしても、間に合う数のゼリーが手もとに残ったのだった。

 ゼリーが足りて安心したわけでは、もちろんない。ただ偶然か必然か、4回戦以降の錦織は、ロングマッチの連戦へと突入していった。

【ラオニッチに勝てたのが大きかった】

 4回戦でのミロシュ・ラオニッチ(カナダ)戦は、4-6、7-6、6-7、7-5、6-4、4時間19分に及ぶ深夜の死闘。続くスタン・ワウリンカ(スイス)との準々決勝も、3-6、7-5、7-6、6-7、6-4の激闘だ。

 初のベスト4進出を成し遂げたが、この時点で錦織の体は限界ではないかと思われていた。ところが準決勝で錦織は、エネルギッシュにコートを駆け、世界1位のジョコビッチを6-4、1-6、7-6、6-3で破ったのだ。

 なぜ、それが可能だったのか? そして当時のチーム内は、どのような雰囲気だったのか? 

「たしかにタフな試合でしたが、結局フルセットをやったのは、あの2試合だけだったんですね。また、グランドスラムは連戦ではなく、試合の間に一日休みがあるのが大きいんです。

 とはいえフルセットの試合が3試合続いていたら、やっぱり厳しかったと思います。あの時は、3回戦まで体力を温存できたのが大きかった。それでも疲れはあったと思いますが、こちらもすでに圭と一年以上一緒にやっていたので、対処療法もしっかりできるようになっていました。

 大会全体を振り返った時、大きかったのは4回戦のラオニッチ戦だと思います。ラオニッチは同世代で、この先もずっと対戦していくだろう相手。その意味でも、勝たないといけない選手という感覚はあったと思います。

 そこを乗り越えたことで、それまではボコボコにやられることも多かったワウリンカに勝てた。フルセットの接戦をふたつ勝ったことで、気分が高揚した状態でジョコビッチに挑めたことも、勝因のひとつだったと思います。

 むしろこちらが気を遣ったのは、体のことより、急に集まってきたメディア対応でしたね。当時はあまりYouTubeやソーシャルメディアも今より少なかったので、日本が圭の話題でお祭り状態になっているなんて、誰も思ってもみなかった。

 それがベスト4に勝ち上がった頃から、マンハッタンのホテルの前に、三脚を立てたテレビカメラがずらっと並んでいる。ただ、ホテルには裏口があるので、我々はそこからこっそり出入りして、メディアのみなさんはがっかり、みたいな。ウチらからしたら、過剰に反応するのではなく、いつも通りでいることを心がけていました」

【決勝の圭は、全然悪くなかった】

 はたして、周囲の喧騒をよそに、錦織たちは淡々とグランドスラム決勝の舞台へと向かっていく。その頂上決戦で錦織が対戦したのは、第14シードのマリン・チリッチ(クロアチア)だった。

 過去の戦績では錦織がリードしているだけに、優勝のチャンスかと思われた大一番。しかし結果は、チリッチのストレート勝利。重圧と疲労が錦織を襲ったかに思われたが、中尾氏は「あれはチリッチがよすぎた」と純粋に相手を称えた。

「決勝の圭は、全然悪くなかったんです。ただ、あの時のチリッチは準決勝でロジャー・フェデラー(スイス)にストレートで圧勝していました。それがすべてを物語っていたと思います。全然ミスがないし、サーブも絶好調。正直、あの試合はどうしようもなかったと思います」

 試合が終わり、表彰式が始まると、垂れこめていた重い雲の切れ間から満月の光が差し込んだ。

「支えてくれたチームのみんな、ありがとう」

 準優勝者スピーチで、錦織が自陣のボックスに笑みを送る。

 日本人として初めて立った、グランドスラムの表彰台。それは、3週間前に中尾氏やチャンらが「絶対に大丈夫だ」と背を押さなければ、決してたどり着くことのない舞台だった。

(つづく)

◆中尾公一の視点(3)>>錦織圭を襲った手首のケガ「いつかこのような事態が......」


【profile】
中尾公一(なかお・こういち)
湘南工科大学を卒業後、フリーのシステムエンジニアを経てスポーツの世界へ転身。鍼灸マッサージ師の資格を取得し、バスケットボールや卓球の実業団チームでトレーナーを歴任する。2005年からテニス男子ナショナルチームのトレーナーを務め、ロンドン五輪にも帯同。2013年より6年間にわたって錦織圭の専属トレーナーとして全米オープン準優勝やリオ五輪銅メダル獲得の快挙を陰で支え続けた。現在はテニスのジュニア育成や大宮のコンディショニングスタジオで一般の方の健康を支えている。株式会社ABM代表。