抗がん剤の苦しみに耐え「入院役」で『不良番長』を撮影…梅宮アンナ(53)が明かす、末期がんだった父・梅宮辰夫の壮絶現場〉から続く

 モデル、タレントとして華やかなキャリアを築く一方で、恋愛や結婚、離婚、シングルマザーとしての子育て、そして乳がんとの闘いまで、その人生を包み隠さず語ってきた梅宮アンナ。なぜ彼女は、数々の苦難や世間の批判にさらされながらも、自分らしく生き続けることができたのか。そして、梅宮アンナがたどり着いた人生観とは何だったのか。

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 梅宮アンナが自身の半生を赤裸々につづった著書『フルコース』(文藝春秋)から、父・辰夫さんとのエピソードを抜粋してお届けする。


 

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新興宗教に入信したおばあちゃん

 おばあちゃんは躾には厳しくて、パパが悪戯でもしようものなら、雪がしんしんと降りしきる極寒の屋外に3時間くらい裸足で立たせたそうだ。ビシッとして、チャキチャキ。そんな昔ながらの気骨ある女性だったらしい。

 でも、パパが肺がんになると新興宗教に入信してしまった。

 やっぱり不安に耐え切れなかったんだと思う。

 私が小学生のころに、おばあちゃんは亡くなっちゃったけど、最期まで宗教にハマっていて「辰夫が助かったのは、宗教のおかげだ」と言っていた。私は小さいながらに「いやいや、病院のおかげでしょ」って思っていたけど。

 お盆やお正月に、おじいちゃんおばあちゃんの家に親戚一同が集まると、おばあちゃんは全員を正座させて、いかに宗教に入ってよかったかを得々と語り始める。そんな光景を今でも覚えている。

 みんな、おばあちゃんのことは大好きだったけど、このときばかりは私も嫌だった。みんなも一様に「う〜ん……」と困った表情を浮かべていた。

 パパが医療を信頼していた背景には、当然、おじいちゃんが医者だったことが大きい。それと同じくらい新興宗教に入信したおばちゃんに対する反発もあったのかもしれない。

梅宮家のハワイ旅行

 パパは「太陽」と「海」が大好きだった。

 旅行といえば絶対にハワイ。パパとママが結婚式を挙げたのもハワイ。

 90年代、正月になると芸能人はよくハワイに行った。私が「梅宮家は芸能一家だな」と感じるのも、ハワイで過ごすときだったかもしれない。

 海を眺望できるワイキキのコンドミニアム「ディスカバリーベイ」や「カンタベリープレイス」に部屋を持っていて、旅行のときはそこで過ごした。

 パパはハワイでも梅宮家の「お料理隊長」だ。スーツケースを開けると、家から持ってきた炊飯器と料理道具が入っている。荷物はそれだけ。他はなんの準備もしていない。

 パパが腕によりをかけた料理を食べながら、窓の外に広がる悠然としたダイヤモンドヘッドや光輝くワイキキ・ビーチを眺める。それが小さいころからの梅宮家の恒例行事。今思うとすごい体験だ。「ちょっと芸能人っぽいな」とも思う。

 芸能人っぽいで言うと、パパはハワイで一番格式が高いゴルフクラブ「ワイアラエ・カントリークラブ」の会員だった。

 名門中の名門。お金をいくら積んでも会員になれないらしい。芸能人でさえ当時の会員はパパともう一人だけって聞いた。もう一人が誰かは言えないけど。

 私のゴルフ仲間にワイアラエの会員だって話をすると、みんなが「エー!」と声を出して驚く。

 私がワイアラエで、はじめてゴルフクラブを握ったのは中学生のころだった。

「アンナ、ここはすごいところなんだぞ」

 ホールを回りながら、そう教えられたけど、当時の私には「きれいなとこだな」「広いなあ」くらいの感想しかなかった。

 小さいころから娘に特別なものを見せ、体験させることで、ごく自然に芸能人としての価値観を身につけさせる。それがパパなりの教育だったんだと思う。

イボ治療の棒

 ハワイでいうと、もう一つ忘れられない思い出がある。

 あれは私が25歳のとき。イボになってしまった。

 ものすごい痛みに襲われて座ることも歩くこともできない。ほうほうの体でパパもお世話になっていた赤坂にある前田外科病院にたどり着き、緊急手術を受けた。

 運悪く、その月には家族でハワイ旅行に行く予定があったが、とても行くのは無理……。

「パパとママだけで行ってきて」

「いや、それは困る」

「困るもなにも、私、無理だから。これじゃあ、水着にもなれないし、ハワイどころじゃないよ」

 それでもパパは聞く耳を持たない。

 ここに書くのも恥ずかしいけど、私は術後も病院に通い、手術した傷口が癒着しないようにステンレス製の棒を肛門に突っ込む治療を受けていた。

 先生が言うには「将来、お産のときに大変だから、今ちゃんと処置しておいた方がいい」ということらしい。これが本当にキツかった。棒の先端が細くなっていて、突っ込むと猛烈に痛いのだ。

 なんとパパはその治療にも付いてきた。そしてその場で直談判したのだ。

「先生、どうしてもアンナをハワイに連れていきたいから、棒の入れ方を教えてくれ!」

 ハワイに棒を持っていくだけでなく、旅行の合間にパパが私の肛門に突っ込むというのだ。ありえない! 私も25歳の立派な大人だ。そんな恥ずかしいことできるか!

 思わず叫んだ。

「何言ってるの⁉ 冗談じゃない!」

「先生、どうやってやればいいんですか!」

 パパは譲らない。

 そうまでして一緒に行きたいのか。

 だいたい空港の手荷物検査で問いただされでもしたら、どうするのか。恥ずかしくてしょうがない。

 絶対に嫌だった。あまりに嫌すぎたのか、驚くべきことに、私は自力で術後の傷口を治してしまったのだ。先生もさぞビックリしただろう。そして、家族のハワイ旅行にも間に合ってしまった。

 あのときのパパの嬉しそうな顔は忘れられない。旅行中、の患者さんがよく使う、真ん中に穴の開いたドーナツ型クッションまで買ってくれた。

 “梅宮辰夫ワールド”全開の話だけど、あのとき、パパのハワイ好きの一面を思い知るのと同時に、なぜか私に対する深い愛情も感じた。

写真=平松市聖/文藝春秋

 梅宮さんの著書『フルコース』では、「勃たないのは、嫌なんだ」と語った梅宮辰夫さんの最期の様子や、ずっと一緒に生活してきた母・クラウディアさんへの本音、娘へのネグレクト報道の裏側など、赤裸々に書かれています。

〈「すけこましがオムツ替えてんじゃねえ!」ポルノ監督が梅宮辰夫に向かって大激怒…梅宮アンナ(53)が語る、昭和の撮影所のスゴすぎる裏側〉へ続く

(平田 裕介/Webオリジナル(外部転載))