32歳でトヨタを辞め、「日本のAmazon」を目指して起業した黒田武志さん。二度の挫折を経て、たどり着いたのは“都市鉱山リサイクル”だった。なぜ夢は形を変えたのか。年商117億円企業へと成長した逆転の軌跡を、ライターの宮まきこさんが追う――。(前編)
撮影=プレジデントオンライン編集部
リネットジャパンの黒田武志社長。1989年にトヨタ入社。バンパーのリサイクル事業などを担い、98年に退社。ブックオフのフランチャイズとして独立・企業。2000年に現在のリネットジャパンを設立し、古本のネット販売などを手がける。14年に「都市鉱山」事業をスタート。16年東京証券取引所グロース市場上場 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「日本のAmazon」を目指した男

1998年、32歳でトヨタを辞めた。父親からは泣いて止められたが、黒田武志さんには「日本のAmazonになる」というビジネスアイデアがあった。

「当時日本に参入していなかったAmazonを、日本の古本事業で展開しようと思っていたんです」

60歳になった黒田さんは現在、「日本のAmazon」ではなく、リネットジャパンという宅配リサイクル業を経営している。

使用済みの小型家電から採掘できる希少な金属を「都市鉱山」と称し、各家庭から回収して解体し、リサイクルする。当初収益化は難しいといわれていた事業だったが、現在は全国758の市区町村と連携し、売り上げ117億円規模のビジネスに成長している。

トヨタ自動車という大企業を若くして辞してまでグローバルなIT企業を目指した青年は、27年後都市鉱山リサイクル業に至った。果たしてその勝負の結末は、「失敗」か、「成功」か――。

■ITバブルに乗り損ねた

2000年、「日本のAmazon」を目指した黒田さんは、愛知県名古屋市で日本最大級のオンライン中古書店「イーブックオフ」を設立する。

ときはインターネット黎明期。ギラギラと輝くミラーボールのような時代だった。オン・ザ・エッジ(のちのライブドア)の堀江貴文氏、楽天の三木谷浩史氏、サイバーエージェントの藤田晋氏など、現在でも有名起業家として名をはせる面々が、次々に会社を上場させた時期でもある。

2000年2月2日には、六本木のディスコ「ヴェルファーレ」に2000人以上のネット起業家や投資家が集結。孫正義氏がプライベートジェットで乗りつけ、ネット時代の幕開けを宣言する現場に、名古屋から駆け付けた黒田さんの姿があった。起業家たちを照らす人工的な光が、黒田さんの体を通り過ぎていく。

赤字でも成長投資で上場は可能、黒田さんの会社にもチャンスはあった。堀江氏、三木谷氏らと肩を並べる可能性だって、あったはずだ。

次は自分だと信じていた。しかし、東証の鐘に手が届く寸前に、ITバブルは弾けた。この後、黒田さんの会社が上場を果たすまで、16年もの年月が流れることとなる。

■トヨタで働きながら「ブックオフ」でアルバイト

トヨタに入社したときには、定年まで勤めあげるつもりだったと、黒田さんは言う。しかし、社内でアフターメンテナンス事業の立ち上げを経験し、自分で采配をもって物事を進めていく楽しさを、若くして知ってしまった。

「生意気ですが、早く自分の裁量で物事を動かせるようになりたいと思っていたんです」

だが、大企業でそれを実現するには、20年以上の月日と熾烈な出世競争をクリアする必要がある。

一方1990年代後半、起業を夢見る若者の注目を集めていたのは、インターネットを活用した事業だった。黒田さんが注目していたのは、その中でも当時まだ日本に未上陸だったオンライン書店「Amazon」だ。

そして偶然手に取った1冊の雑誌によって、黒田さんは32歳という若さで終身雇用制度の枠から飛び出していくことになる。

転機となったのは、1997年2月。リクルートが創刊した雑誌『アントレ』を偶然手に取ったことだった。そこで見たのは、ブックオフコーポレーション社長、坂本孝さんのインタビュー記事。そのとき黒田さんの頭の中で、アメリカのAmazonと日本の古本事業が一本の糸でつながった。

一度信じたら一直線、思い立ったら即行動。周囲があきれるほど粘り強いのは、起業家としての素質なのかもしれない。そこから黒田さんは、坂本社長の講演という講演に足を運ぶようになる。そしてその手法を学ぶべく、トヨタに在籍しながら土日は三重県四日市市にできたブックオフに通い、時給700円のアルバイトに明け暮れた。

日本のAmazonになる――。インターネットによる物販の可能性を確信していた。日本でその仕組みを構築するのは自分しかいない。

黒田さんが保管しているテレフォンカード。ブックオフウェーブ時代の集合写真には、後押しした豊田章男氏(現トヨタ自動車会長、前列左から2人目)、ブックオフ創業者の坂本孝氏(前列中央)の姿も(撮影=プレジデントオンライン編集部)

入社10年目、黒田さんは父親の制止を振り切りトヨタを退社した。

1998年にはブックオフの起業家支援制度第1号として株式会社ブックオフウェーブ設立。2000年には中古書等宅配買取・EC販売の「株式会社イーブックオフ(のちにネットオフ株式会社に社名変更)」を立ち上げ、起業家としての第一歩を踏み出した。

直後に、ITバブルの崩壊が来るとも知らずに。

■「スモールカンパニーの社長では終わりたくない」

バブルの崩壊により、一瞬にしてソフトバンクグループはマイナス98.7%、楽天はマイナス94.8%まで株価が暴落。高まり続けた上場への熱は、一瞬で冷や水を浴びせられた。

黒田さんの会社にとっても、大きな打撃だった。実店舗を構えないネットビジネスとはいえ、在庫を保管する場所は必要だ。ITバブル崩壊直前に融資を受けて大きなリユースセンターを構えたばかりだった。売り上げは伸びていくものの、借金は一向に減っていく気配はない。

ベンチャーキャピタルから大胆な融資を受け上場した企業からも、上場廃止が多数発生。このことを教訓としてルールは厳しくなり、赤字のままでは上場の橋を渡れないようになっていた。

なんとか黒字化しなければ、上場はできない。黒田さんは再び上場に向け、まずは黒字化のために動き出した。

しかし、自分の裁量で仕事をするという当初の目的は、起業したことで叶ったはず。黒田さんはなぜここまで上場にこだわったのか。

「トヨタを若くして辞めて起業したのに、スモールカンパニーの社長では終わりたくない。もっともっと、大きな夢を見たかったんです」

黒田さんの瞼の裏には、トヨタ退社を泣いて止めた父の姿があったのだろうか。もしくは、すでに手の届かない高みまで昇り詰めてしまった同時代の「起業戦士」たちの亡霊か。

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堀江貴文氏、三木谷浩史氏、藤田晋氏が次々と上場を果たす中、「次は自分たち」と思っていた矢先のバブル崩壊だった - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■トヨタ流「カイゼン」で再起を図る

2003年、東京では六本木ヒルズが完成し、勝ち組の象徴として「ヒルズ族」という言葉が生まれていた。

しかし黒田さんはもう、彼らの影を追うことはなかった。華やかな東京から遠く離れ、会社の赤字解消のために修行僧のように向き合った。距離を置くことで、ようやく自分の立場に気づいたのだという。

黒田さんが選んだ手段は、古巣で学んだ「トヨタ生産方式」による経営の見直しだった。

古本販売は、粗利率は高いが単価が安い、薄利多売のビジネスだ。利益100円、200円をフル回転で回すために最も大切なのは、余剰在庫を抱えないこと。そのためにはローコストオペレーションを実現しなければならない。

まずは無駄な在庫や工程を徹底的に見直した。必要なものを、必要なときに、必要なだけ作る「ジャスト・イン・タイム」と、異常発生時にラインを自動的に停止して不良品を未然に防ぐ「自働化」を柱とするトヨタ生産方式を導入。商品のピッキング、検品、出荷のオペレーションを見直しては、トライ&エラーを繰り返していった。

その結果、小売業の営業利益率は2~5%程度が目安とされているところ、15%を達成するまでに至った。

煌びやかなIT起業を目指していた黒田さんを救ったのは、トヨタ時代に培った、泥臭いほどの「カイゼン」だったのだ。そして2007年、会社設立7年目にしてようやく黒字転換に成功、黒田さんは再び上場を目指す――。

しかし、またしても目前でハシゴを外された。

2008年9月15日、アメリカの証券会社「リーマン・ブラザーズ」の破綻により、世界的な株価大暴落が始まったのだ。

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「起業から10年はうまくいかず、苦しかった」という黒田さん。しかし、その間に経営者としての価値観や理念が固まっていったと振り返る - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■二度目の挫折と「上場」という呪縛

しぶとい男も、二度目の挫折でさすがに心が折れた。

「会社を設立して以来、インターネットベンチャーとして上場を目指してきたのですが、2回目の上場失敗によって少し立ち止まって考えたんです。『ヒルズ族』や『IT長者』といった行き過ぎた資本主義の中で、違和感を覚え始めた時期でもありました」

迷いと落胆のなか、黒田さんの耳に甘いささやき声が届いたのもその頃だった。あるネット系企業から、会社の売却を持ちかけられたのだ。正直、心が動いた。相次ぐ上場計画の失敗から、事業へのモチベーションが切れかけていたころだった。

会社を売却すれば、莫大な資金と安定した地位が手に入る。しかし、本当にここまででいいのか……。自問自答は、売却期限直前まで続いた。

「これまで、上場を目指して頑張ってきました。しかし走り続けるうちに、だんだん上場が『目的』や『ゴール』となっていき、事業の中身や生み出す価値に目が向かなくなっていたことに気がついたんです」

だったらまだ、やり残したことがあるはず――。売却期限直前で、黒田さんはなんとか踏みとどまった。

しかし、社長の迷いは確実に社員の士気を下げる。気がつけば一連の売却話で、社員のモチベーションは一気に下がっていた。

再び団結するためには、何か新たな目標が必要だった。大きくて困難で、誰もが「無理だ」というような、新規事業が。

■理念への回帰――「都市鉱山」との出会い

「偶然読んだ書籍で、『都市鉱山』というものの存在を知りました。都市で大量に廃棄される使用済み工業製品には、金、銀、銅やレアメタルなど貴重な金属資源が多く眠っているのだと」

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解体したPCから取り出されたチップ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

そこで再び黒田さんの行動力が発揮される。すぐに本の著者である学者の原田幸明氏に連絡を取り、当時在籍していたつくばの研究所まで押しかけて話を聞いたのだ。

日本の都市鉱山には、資源国並みの希少金属が眠っているにもかかわらず、発掘されることなく廃棄されている。自分たちが培った本の宅配回収業で廃棄家電を回収してリサイクルすれば、資源不足の日本に貢献し、循環型社会を実現できるのではないか。

利益だけを追求する資本主義の鎖から、解き放たれた瞬間だった。

しかし、実現するのは簡単ではない。パソコンや携帯電話の中には、たしかにリサイクル可能な金属がある。だが、ノートパソコン1台あたりに含有されているのは、金なら約0.02~0.05グラム、銅は200~400グラム程度にすぎない。銀、鉄、リチウム、コバルトなど、すべての金属を取り出せたとしても、わずかな利益にしかならないはずだ。

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PCを解体して金属を取り出す作業場の様子 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「100人に聞けば、99人は絶対無理だという事業でしょう」

さらに不燃物・プラスチック・有害物質(鉛、フロン)が混在し、分別プロセスが複雑なうえ、手解体工程が省けない部分が多く、自動化も難しい。

ビジネスとして成り立たせるのは難しいと思われた。

「100人に聞けば、99人は絶対無理だという事業でしょう。でもそのときは実現できると思い込んでいました。今だったら、新規事業を立ち上げる際には、戦略やマーケティングなどを考えるでしょうね。でもそのときは、会社の売却騒動からもう一度社員一同心をひとつにして立ち上がる方が大切で、みんなで一丸となって目指すための目標が必要だったんです」

黒田さんの突然の新規事業宣言に、社内はぽかんとしていた。古本ネット販売の会社が、なんのノウハウもないまま「都市鉱山のリサイクル」と言われても、何をどうしてよいのやら。窮地に陥った社長が、またおかしなことを言い出したと。

撮影=プレジデントオンライン編集部
パーツごとに仕分けられていた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「社員がみんな信じないので、私も本気を見せなければと思いました。覚悟を見せるため、先に新聞一面にでかでかと、広告を出してしまったんです」

2010年10月28日、日本経済新聞の朝刊に、ネットオフ新規事業の広告が大きく掲載された。そこには、段ボール箱を抱えた黒田さんの写真とともに、こんな一言が添えられている。

「宅配回収から、世界を変える会社」

画像提供=リネットジャパン
2010年10月28日に出した新聞広告。「上場」や「成長」という目的ではなく、社会課題を解決する新事業に活路を見出した - 画像提供=リネットジャパン

■「待っているだけではだめだ」

誰も信じなかった事業が、実現に向けて動き始めた。黒田さんは本やCDを買い取る宅配の物流を応用し、小型家電の回収を開始。どう転ぶかわからないため、既存の古本事業は残したまま、古参の社員数名で、ネットオフの子会社として「リネットジャパン」を立ち上げた。

そして、ここでようやく風向きが変わり始める。2013年4月、使用済み小型家電に含まれる資源をリサイクルし、廃棄物の適正処理と資源の有効利用を図ることを目的とする、「小型家電リサイクル法」が施行されたのだ。

「そのころは、私たちのように家電を宅配回収する業態は想定されていませんでした。ほとんどの業者が、リサイクルボックスを設置して、顧客が自ら製品を持参する方法をとっていたんです」

しかし、回収ボックスに頼っていては、リサイクルは進まない。客が自ら持ってくるのを待っているだけではだめだ。黒田さんは自宅からインターネットと宅配で家電を回収するリネットジャパンの事業を提案、1年かけてようやくリサイクル業者として認可を受けた。これまで黒田さんの事業に吹き荒れていた逆風が、初めて静まった瞬間だった。

■1年続いた無風状態

しかし、許認可を受けリサイクル業の看板を掲げても、すぐに追い風は吹かなかった。ピタリと止まったまま、無風状態が約1年続く。

「送料980円での宅配回収をスタートしたものの、1日の申込数は10件程度の日が続きました。自治体の回収ボックスに自分で持参すれば無料ですからね」

各家庭内に散らばる小型家電を回収する事業は、ただでさえコストがかかる。しかし顧客は不要な物にお金を払いたくはない。CMを打って認知を拡大しようと試みたものの、大きな変化はなかった。

「やはり回収費を無料にしなければダメだと、1年かかって決断しました。しかし、回収費を無料にするなら、キャッシュポイントを別に設けなければなりません。そこで考えたのが、有料オプションサービスの導入でした」

黒田さんは、ここで大きくビジネスモデルを転換。回収費を無料にする一方、パソコンやスマートフォンのデータ消去や新しいハードディスクへの移行など、いくつかの有料オプションを用意し、キャッシュポイントとした。

このプランが顧客に刺さり、申し込みはこれまでの20倍に跳ね上がった。

「1日100件を超えたときには、みんなで拍手喝采しましたね」

黒田さんの乗った重い船は、ゆるく吹き始めた追い風によって、ようやくゆっくりと動き始めたのだ。

撮影=プレジデントオンライン編集部
無料回収とデータ消去などのオプションサービスを導入し、回収件数は大幅に増えたという - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■小型家電から作った東京五輪のメダル

ブレイク・スルーとなったのは、自治体と連携できたことだった。黒田さんは、回収事業に興味を持ってくれる自治体に出向いては説明し、1箇所ずつ協定を結んでいった。そしてその輪が爆発的に広がったのが、『東京オリンピック・メダルプロジェクト』だった。

東京2020オリンピック・パラリンピックの金・銀・銅メダルを、全国から集めた使用済み小型家電からリサイクルされた金属で作成するという壮大なプロジェクト。この前例のない取り組みは200以上の自治体を巻き込む巨大なムーブメントとなり、都市鉱山や小型家電リサイクルの認知度拡大に貢献した。

「古本のネット販売事業のときも、都市鉱山事業のときも、オリンピック・メダルプロジェクトのときも、誰もがみんな無理だと言いましたし、当然赤字からのスタートでした。でも、諦めずに挑戦を続ければ、誰かがどこかで見ていてくれる。情熱は、波及するんですよ。そして不可能の壁を乗り越えた後ろには、他社の追随を阻む障壁ができるんです」

2016年12月20日、リネットジャパンは東京証券取引所マザーズ市場(現・グロース市場)に上場を果たす。2000年のITバブル崩壊から16年、2回の上場断念を経て、黒田さんはついに上場の鐘を鳴らした。

撮影=プレジデントオンライン編集部
最終的には、面識のなかったSBIホールディングスの北尾吉孝会長に直談判。主幹事証券会社を引き受けてもらい、上場に漕ぎ着けたという。「ブックオフの坂本さんを追っかけした時と同じですね」と黒田さんはほほえんだ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「あの時、起業していれば」と後悔したくなかった

リネットジャパンの社内に掲示された、スペインの建築家、アントニ・ガウディの未完の傑作「サグラダファミリア」の写真。そこには「ビジネスを通じて『偉大な作品』を創る」という言葉が添えられている。

行き過ぎた資本主義のなかで見失っていた自分を取り戻し、会社売却騒動で離れた社員の心をひとつにまとめるために打ち出した、壮大な目標だった。

ガウディのサグラダファミリアのように、自分がいなくなった後も残り続ける事業の図面を描きたい――。

黒田さんは2025年、60歳を迎えた。

「トヨタを辞めると伝えたとき、父には泣いて止められました。『辞めなくても、自分のやりたいことはできる』と」

黒田さんの父は、高校を卒業後すぐに就職し、定年までひとつの会社に勤めた。裕福ではない暮らしの中で必死に家族を養ってきた父親にとって、息子がトヨタに入社したことは、ささやかな自慢の種だったのかもしれない。

「もちろんトヨタでもやりたいことはできたかもしれません。しかし、仮に取締役になっていたとしても、『あのとき自分が起業していたらどうだったんだろう』と振り返ること自体が、私にとっては人生における『失敗』だと思うんです」

■挫折があったから、今がある

2000年、あの煌びやかな時代に目がくらんだ。中小企業のオヤジじゃ終われない。その思いが、上場へのこだわりにつながった。しかし、時代の主役を照らすスポットライトは、黒田さんの足元をすり抜けていった。

動き出すのがあと数カ月早かったら、時代の寵児になっていたかもしれない。

「もしあのときに上場していたら、60歳になった今も、こんなに燃えてはいないでしょうね」

黒田さんは現在、家電リサイクル事業による障がい者雇用の拡大を目指している。大量消費型から循環型のビジネスモデルへ。ガウディのように、よりよい未来への図面を描いている。

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宮 まきこ(みやざき・まきこ)
フリーライター
立命館大学法学部卒業。2008年より13年間法律事務所勤務後、フリーライターとして独立。静岡県在住。
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(フリーライター 宮 まきこ)