【福田淳の対談闊歩】辻元清美(第2回)土井たか子から突然の出馬要請 筑紫哲也の一言で立候補を決心
大学生時代にNGO「ピースボート」を立ち上げた辻元氏。持ち前の交渉力でクルーズ船のレンタル料をおよそ1億円値切って、なんとか初出航にこぎつけた。プロジェクトは参加ゲストにも恵まれ好調だったが、ある日、社民党より衆院選の出馬要請が突如くる。投開票日までは3週間を切っていた。
【福田淳の対談闊歩】辻元清美(第1回)早稲田大学生時代に立ち上げたピースボート クルーズ船レンタル料を1億円値切って初出航 から続く
辻元 初回は赤字やんか。手塚治虫さんの旅費も講演料も払えない。結局、手塚さんは「旅費とかは全部自分で負担して行きますから」と言ってくださって、船に乗ると時間がかかるから、上海までは飛行機で来てくれたの。それまでは「ピースボートの辻元です」って言っても、ボートピープルの人ですかみたいに言われたりしていたけど、手塚さんが参加してくれたことで「手塚治虫さんが来られる旅なんですね」に変わったんですよ。次の年は満員になって、そこから動き出しました。
福田 手塚さんのおかげですね。そういう義侠心を持った方は最近少なくなったような気がします。清美さんもすごいですね。そこまで若くしてやり遂げたら、万能感からもうできないことはないってなるのでは?
辻元 いや、そんなことは思えへんかったけど、やっぱり、ちょっと怖いもん知らずっていうのかな。
福田 今の話で思い出した。僕は映画監督になりたくて、企画を書いて映画監督に見てもらおうと思ったんです。昔は個人情報とかないから、映画監督の住所が載ってる監督協会の本が普通に売ってたんですよ。それで片っ端から監督に会いに行ったんです。ピンポン押したり、家の前で待ってたりしてた。
辻元 そうでしょ。似てるやん。
福田 実際に何人か会ってくれたんですよ。もう亡くなられたんですけど、「本陣殺人事件」で有名な高林陽一監督は、高校1年生くらいの僕に映画の制作費を出してくれたの。突然、ピンポンして自宅を訪ねて来た少年にですよ。
撮影・内外タイムス 辻元 だからね、福田さんもやらずに後悔するよりも、失敗してもやって後悔する方がいいっていうタイプやろ。
福田 絶対にそうです。だから、「あの時、あれをやっておけば良かった」という後悔がないですね。
辻元 福田さんも私も夢みたいなことばっかり言うてる人間なわけ。でも、夢を言い続けるのもエネルギーが要るのよ。
福田 要りますよね。でもね、言い続けていると何かが近寄ってくるんですよ。
辻元 夢っていうのはまず自分がなんとなく描くものでしょ。それから、夢を具体的に言葉に出してしゃべるやん。「こんなんしたいんだけど、どう思う」って。
福田 関係ない人にも言いますよね。
辻元 言うやろ、隣でご飯食べてる人にも。言葉になったら今度は意志になるのよ。意志になったら次は行動が生まれて、行動から連帯が生まれる。「お金がない。時間がない」とか、やらない理由なんていくらでもある。だから、やるためにはどうすればいいのかを考える。私はピースボートをやっているとき、「アホは国境を越える」っていうサブタイトルが自分の中にあった。みんなから「アホや」って言われるようなことを実現していくの。
福田 夢を見て、言葉にして、意志にして、行動して、仲間が増えて連帯になる。めちゃめちゃいい話ですね。ピースボートの話から変わりますけど、政治家になられようと思ったきっかけがあったわけですよね。
辻元 一つはやっぱり阪神淡路大震災。土井たか子さんが兵庫県出身で、土井さんとはピースボートをやってる過程で知り合っていた。今からちょうど30年前の総選挙(1996年10月20日投開票)で、社民党が分裂状態になって、土井さんや村山(富市)さんたちは残ったけど、社民党の一部の議員と新党さきがけが中心となって民主党が誕生した。
選挙の直前、今でもはっきり覚えているんだけど、その年の10月1日に土井さんの秘書から電話があったの。「清美さん、ちょっとお願いがあるんだけど来てくれる」って言われて、国会議事堂の裏の第二議員会館に行ったの。そうしたら「もうすぐ選挙だから手伝ってほしい」って。選挙活動のウグイス嬢かボランティアのお願いだと思って、「いいですよ。土井さんにはピースボートでもいろいろアドバイスもらって、尊敬すべき女性ですから」って返事したら、「候補者やって」という話だった。
福田 すごい急ですね。いきなりそんなこと言われても困ってしまいますよ。
社民党から衆院選の出馬要請、回答期限は明日まで
撮影・内外タイムス 辻元 「ピースボートやってるし無理です」って断ったんだけど、その秘書も「候補者がいないの。とにかくやってくれるだけでいいから」と折れない。「じゃあ考えますけど、お返事いつまでにすればいい」って聞いたら、「明日まで」だって。
福田 誘いから決断までの時間がいくらなんでも短すぎですね。
辻元 でもね、なんか切羽詰まってる感じだったんですよ。それで、私で役に立つんやったらと思ったの。とりあえず誰か相談しようと思って、政治に詳しくて、すぐ会える人っていったら、筑紫さん。
福田 「ニュース23」のキャスターをやっていた筑紫哲也さん?
辻元 はい。ご家族でもピースボートに乗ってくださって、家族ぐるみのご縁だったの。生放送してたからオンエアが終わる夜12時ごろにTBSに行って、局の前の公衆電話から電話して、つなげてもらったの。筑紫さんに「ちょっと一身上の相談があって」って言ったら、「清美、結婚するのか」って仲人を頼みに来たと思ったみたいで。私が「ちゃうねん、選挙やねん」って言ったら、今度は筑紫さん「俺は絶対に立候補せえへんからな」って言って。「ちゃうねん、私やねん」って言ったら、ようやく「入って来い」ってTBSの自分の控室で話を聞いてくれた。
筑紫さんは開口一番、「土井たか子さんみたいな立派な方のお願いを断ったらいかん。人が困っている時に頼まれたことは、絶対に断ったらいかん。やれ」って言われた。あと、親にも言うとかなあかん。うちの父親と母親は当時名古屋でうどん屋を夜遅くまでやっていてね。夜中に電話したら両親ともびっくりしてました。父親は「うちらの家にそんな土井さんみたいな人が。清美、棚からぼた餅や。ぼた餅も落ちる所におらんと落ちてけえへん。清美はそのぼた餅が落ちてくる所におったんやから、ぼた餅持って走らなあかん」って言うの。
福田 それで決心がついた?
辻元 翌日に秘書の方に「やります」って。10月1日に要請されて、2日に引き受ける返事をして、8日が公示日で選挙戦が始まった。それで20日に当選。だから、当選した時、「1カ月前には、まさか自分が国会にいるとは思っていなかった」って言っているの。
福田 普通は議員になりたくて、事前にしっかりと準備して臨むのにね。
辻元 よくチャンスの神様がいるって言うやん。チャンスの神様の前髪をつかめって。だから、私はね、迷った時にはやることやと思う。人間って「これやってみたい」と思っても、だいたい1日たったら半分ぐらい止める気持ちになったり、できないことを考えるから。1週間考えたら大体もう盛り下がっていくものなのよ。だから、私は3時間考えて、決めたら動き出す。
福田 早いですね。決めたら早い。でも、それを決められない人が多い。
辻元 そうね。そういう人は一生決められへん。STARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテインメント)の話が出てきたとき、私、これは福田さんしかおれへんのちゃうかってちょっと思っていたの。CEOを引き受けて発表になる1週間くらい前、福田さんの家でご飯食べてなかったっけ。
福田 そうかもしれない。
辻元 そうやろ。あのとき、悩んでたときやろ。
福田 確かにね。「やるって言ったら、やる」はあるんですけど、すごい先まで見通さなくてもいいと僕は思っているんですよ。やりたいことや好奇心は最後まで貫けってよく言うけど、貫かないでも消えないものはふわふわといっぱいある。さっきの前髪の話じゃないけど、たまたま残っていたものをつかんで、やるっていう感じなんですよね。
【福田淳の対談闊歩】辻元清美(第3回)「アップデートできなかったから大敗した」 高市反対派の受け皿になれなかった衆院選 に続く
撮影・内外タイムス 《プロフィール》
辻元清美(つじもと・きよみ)1960年奈良県生まれ、大阪府育ち。早稲田大学教育学部卒。学生時代にNGOピースボートを創設。1996年衆議院選挙で初当選。2009年国土交通副大臣、2011年災害ボランティア担当の内閣総理大臣補佐官などを歴任。2017年立憲民主党を立ち上げ、女性初の国対委員長を務める。衆議院議員は7期。2022年から参議院議員(比例代表)。著書に「女の子でも総理大臣になれる? 国会への道」(偕成社)など。
