竹中半兵衛の美濃「菩提山城」遺構と廓群(写真:kumayosi/PIXTA)


 2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第9話「竹中半兵衛という男」では、秀吉と秀長は美濃国主・斎藤龍興の家臣・竹中半兵衛を味方に引き入れようとするが……。今回放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]

「白昼のクーデター」は実話か? 史料が語る稲葉山城乗っ取りの記録

 タイトル「竹中半兵衛という男」の通り、半兵衛を説明するナレーションから今回の放送はスタートした。

「竹中半兵衛──主君・斎藤龍興(たつおき)との不仲から亀裂が生じ、蟄居を命じられ、今は美濃の山奥に身を置いていた」

 一体、何があったのか。岐阜県郡上市の長滝寺(ちょうりゅうじ)が所蔵する「荘厳講記録(そうごんこうきろく)」には、次のようにある。

〈永禄七年二月六日、井口再乱に及び候〉

 永禄7(1564)年2月6日に井口、つまり岐阜で反乱が起きたらしい。〈尾形始め……城々取り立て候〉と続くように、尾形、つまり龍興らは稲葉山城から退去させられたのだという。

 戦国時代末期の臨済宗妙心寺派の僧、明叔慶浚(みんしゅくけいしゅん)を中心とした法語や語録をまとめた「明叔慶浚等諸僧法語雑録(みんしゅくけいしゅんとう しょそうほうござつろく)」。そのなかの快川紹喜(かいせんじょうき)書状写(2月21日付)には、さらに詳しく説明されている。

〈金華山城、菩提城主竹中遠州(重元)子半兵衛(重治)、去る六日白昼奪い取り、伊賀守(安藤守就)と両人して一国をこれ領す〉

 金華山城、つまり稲葉山城を、菩提山城(ぼだいさんじょう)の城主である竹中重元の子・半兵衛が6日の白昼に安藤守就(あんどう もりなり)と2人で奪取してしまったというのだ。半兵衛がそんなクーデターを起こしたきっかけについては、こんな逸話が流布されている。

 ある日、半兵衛が登城する際に、龍興の取り巻きの家臣から小便を頭からひっかけられた。側近がこれほど増長しているのは、主君に責任があるとして、半兵衛は稲葉山城から龍興を追い出すことにしたらしい。

 だが、半兵衛の目的は、主君に反省を促すことだったので、わずか半年で稲葉山城を龍興に返還。そのまま出奔して行方をくらませたとされている。

 この稲葉山城の乗っ取り事件については史料が少なく、『信長公記』にも全く触れられていないので、どこまで実際にあった話なのかは分からない。信ぴょう性が疑わしいとされている『武功夜話』には〈稲葉御城に隙あるを憂い、小人数をもって乗っ取り、耳目を驚かす事あり〉とあるように、「少人数で乗っ取った」という点が後世では流布されることになる。

 ドラマでどう扱うのかに注目していたが、前回の墨俣城伝説と同様に、今回も「どこまで本当か分からない」という点も含めて、うまく視聴者に説明している。蜂須賀正勝(通称・小六/はちすか ころく)がこんなことを言っている。

「ハハハハハッ! あり得ぬわ。あの稲葉山城をたった数人で落としたなどと。ただの噂話であろう」

 その一方で、龍興が「3年前あやつがわしに何をしたかは覚えておろう」と半兵衛の過去の所業について、守就に問いかける場面があった。この龍興のセリフを聞くと、半兵衛による「稲葉山城乗っ取り事件」は実際にあった話ということになりそうだが、ドラマは後半、この逸話に独自の説明を与える。後ほど解説しよう。

 龍興のもとに置いておくには、あまりにもったいない名軍師・竹中半兵衛。秀長や秀吉が、半兵衛をいかにして織田側に取り込むのかが、今回の放送の見どころとなった。

「半兵衛の“半”は、半端者の“半”」自らを卑下する“引きこもり軍師”が求めていたもの

 ドラマでは、竹中半兵衛を味方にするべく奮闘する秀吉、秀長、蜂須賀小六の姿が描かれた。だが、小屋を訪ねてもなかなか出てこずに「たれか」(「誰か?」の意)、「何用たるや」などと紙を差し出す半兵衛。

 前回の放送を受けてSNSでは「引きこもりの陰キャ軍師」という反応も見られただけあって、やはりコミュニケーションが不得手なのか……と思いきや、いざ対面を果たせば饒舌で、頭の回転が速いことがありありと伝わってくる。

 小屋の中には、兵法書が何冊も積み上げられ、小牧山城を再現した模型まで作られていた。自身のことはこんなふうに説明している。

「幼き頃より病弱で戦場にでることはかなわず、こうして考えることしかできなかったゆえ。侍としては使い物にならぬ半端者です。半兵衛の“半”は、半端者の“半”じゃ」

 秀長が「お味方になってくだされば、どこでも好きな城を差し上げると仰せられました」と説得にかかるも、半兵衛は「城ならもう持っております。この山の上にある菩提山城は代々竹中家が継いでまいりました。今はもはや無人の廃城と化しておりますが」と返答している。

 半兵衛は天文13(1544)年、美濃斎藤氏の家臣で大御堂城主・竹中重元の子として生まれた。17歳で家督を相続。菩提山城主となったとされている。ドラマでは、秀長が「その城を修復するための金銀を所望されてはどうじゃ?」と持ちかけるが、誘いに乗ってこない。

 断れば信長から殺すように命じられていることさえも、半兵衛は見抜いており、それでも動じることはない。思わず筆者の頭には、西郷隆盛が残した『西郷南洲遺訓』にあるフレーズがよぎった。

「命もいらず 名もいらず 官位も金もいらぬ人は 始末に困るものなり」

 命もいらず金銭や地位にも心動かされない人を、自分に従わせるのは困難だ。半兵衛の説得はもはや難しいようにも思えた。

「己が恐ろしい」戦を楽しむ自分に怯える半兵衛が抱いた“軍師の孤独”

 だが、二度目の訪問でやや流れが変わる。秀長らが菩提山城で半兵衛と対峙すると、半兵衛はこんなことを語りだした。

「私は戦が好きなのじゃ。戦場に出ることもないくせに策を練り、そのとおりに事が運び、戦に勝つ。それが何事にも代えがたい喜びなのです」

 理想的な軍師といえそうだが、戦とは、たくさんの人の命が奪われるもの。それを楽しむ自分への罪悪感があるようだ。こう続けている。

「戦に勝つためなら、いかなる策も講じる。何か間違っているような気がして……。でも自分の衝動を抑えることができない。私は己が恐ろしい。だからこの山の中にいるくらいが、私にはふさわしいのです」

 そんな半兵衛が憧れたのが、「三国志」の知将・諸葛亮(諸葛孔明)だということも明かされた。

 半兵衛は中国三国時代について書かれた歴史書『三國志抄』(諸葛亮伝)を手にして「その知将は、三度礼をつくして初めて誘いを受け入れまする」と、逸話を紹介。「三顧の礼」(さんこのれい:目上の者が目下の有能な人物を、礼を尽くして幾度も訪ねて招き入れること)という故事成語を生み出したことでも知られるエピソードだ。

 半兵衛の口からは「いま一度よく考えて、それでもわたしのような者をお望みならまた来てくだされ」という言葉も飛び出した。

 もう一度、訪問すれば何とかなりそうだ。秀長らがそんな手応えを感じていると、山中で安藤守就の家来に捕まってしまう。

 ところが、美濃三人衆は織田方につくというではないか。前回の放送で、秀長が放った「信長様なら、新たな面白き世を必ずおつくりになると。斎藤龍興様にはそれができまするか」という言葉が、守就の心に深く響いたのだという。史実においても、この三人衆は斎藤方から織田方に寝返っている。

 これで万事うまくいくはず。美濃三人衆がこちらにつけば、半兵衛も織田方に仕えるだろうと、秀長らは再び菩提山城に向かった。だが、すでに半兵衛の姿はそこにはなかった。

 永禄10(1567)年の秋、信長は斎藤氏の本拠・稲葉山城を包囲する。龍興ももはやこれまでかと思われたが、そこに半兵衛が登場。龍興の命を救うと言いだしたのである。

菩提山城は実物大模型だった? ドラマが描いた鮮やかすぎる攻略のロジック

 パニック状態だった龍興に半兵衛は「朝倉と六角に援軍を出すよう書状を送っております。どちらも織田を強敵と思っておりますれば、必ずや力を貸してくれると存じます」と伝えて、その手回しの良さを発揮した。

 優勢だった織田軍だったが、天才軍師・半兵衛の差配によって、斎藤龍興軍が巻き返す。

 だが、龍興は勝利を信じられず、抜け道から一人で逃げ出そうとする。すると、抜け道の逆側から、秀長らが到着する。驚く半兵衛だったが、抜け穴を見抜いたのは、3人の知恵の結晶だった。

 まずは、半兵衛と三度目の対面を果たすべく、菩提山城に向かったときに、秀吉が抜け道を見つけたこと。次に、菩提山城の構造が稲葉山城に似ていると守就が気づいたこと。そして、それらの状況から秀長が、こう推理したことだ。

 菩提山城は稲葉山城攻略のために実物を模して造ったのではないか――。

 つまり、竹中半兵衛は以前に稲葉山城を乗っ取るに当たって、自身の城である菩提山城をそっくりに似せて研究を重ねた。その結果、抜け道を使い、稲葉山城を襲撃。乗っ取りに成功したのだった。そうであるならば、この稲葉山城にも、斎藤龍興軍と同じような抜け道があるはず……。

 見つけた抜け道を使い、稲葉山城にやってきた秀吉と秀長。2人の次のやりとりに、半兵衛の「稲葉山城乗っ取り事件」の新解釈が凝縮されている。

秀吉「なるほどのう。こうやってわずか数人でこの城を落としたのか」
秀長「まさか本当の話だったとはな」

 秀吉が「竹中半兵衛殿、これが三度目じゃ」というと、半兵衛も脱帽するほかなかった。それにしても、なぜ最後まで龍興に味方したのか。これまで半兵衛の戦好きが強調されてきただけに、この一言には説得力があった。

「まことに強いと思える相手とは、お味方になるよりも戦ってみたかった」

 半兵衛は「これよりは、織田家のために尽くしまする」と約束。これほど才気走った軍師が味方につけば、織田軍も安泰。これからの快進撃を予感させる展開となった。

亡き婚約者が遺した「500文の賭け」、平和な世を信じた彼女の言葉が秀長を動かす

 だが、肝心の秀長の精神状態は大丈夫なのか、と心配になった視聴者も多いはず。

 前回放送では、秀長は結婚を考えていた直(なお)が農民同士のいさかいに巻き込まれて、帰らぬ人となった。気丈に振る舞い、竹中半兵衛の調略に力を尽くした秀長だったが、プロジェクトの成功とともに襲ってきたのは、強烈な無力感だった。直の墓の前でこうつぶやいた。

「手柄を挙げて褒美ももらったけれど。それがなんじゃ。まったく嬉しいとは思わん」

 すっかり気力も失われてしまった秀長の前に、直の父が現れる。生前に直が秀長について、こんな言葉を言っていたと知らされる。

「争いごとはなくせなくても、無駄な殺し合いはなくすことができる。とことん話し合って、考え抜けば道はあると考える人だ」

 父が「バカバカしい。そんな世など来るわけがなかろう」と呆れると、直は「できるほうに500文! わたしのへそくりすべてじゃ」と賭けを提案。「もしかしたら本当にそんな世ができるのでは? と、だまされたくなるのが私の旦那さまじゃ」と笑顔で父に言ったという。

「お主が諦めたらすぐに銭を取りに来るぞ」という直の父に、秀長は涙を流す。そして信長が手に入れた美濃の町を見下ろしながら、心の中でこう誓った。

「もっと強くなって、直の見たかった世をつくってみせる」

 これまでは、兄・秀吉にひたすら振り回されながら、目まぐるしく変わる状況に対応してきた秀長。ここで自身も、大きな野心を持つこととなった。

 次回の第10話「信長上洛」では、のちに室町幕府の第15代将軍となる足利義昭の使者として、明智光秀が信長を訪ねてくる。

【参考文献】
『斎藤氏四代 人天を守護し、仏想を伝えず』(木下聡著、ミネルヴァ書房)
『現代語訳 信長公記』(太田牛一著、中川太古訳、新人物文庫)
『多聞院日記索引』(杉山博編、角川書店)
『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(竹内理三編、臨川書店)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長 シリーズ・織豊大名の研究』(柴裕之編、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)

筆者:真山 知幸