SHIBUKIさん(写真右)と、夫のひーくん

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大事件ばかりがニュースではない、身近な小さな事件の方が人生を左右することも。注目のテーマを取り上げ大反響を呼んだ仰天ニュースから特別セレクション!(初公開2025年8月22日 記事は取材時の状況) *  *  *

大切なものを失って「もう昔には戻れない」と知ったとき、どう生きていけばいいのか。

SHIBUKIさん(26歳)は14歳で脳幹部の海綿上血管腫を患い、 左の顔面と右半身に麻痺が残ることになった。思春期に病とともに生きなければならない現実を、どう受け入れたのか。

現在、SHIBUKIさんは結婚し、二児の母に。小学生時代からの夢だったモデル活動にも挑戦している。その壮絶ながらも前向きな人生について、話を聞いた。

◆中学3年生で突然倒れて「私の人生、終わったと思った」

――病気を発症したのは、いつだったのでしょうか。

SHIBUKIさん(以下・同):中学3年の終わり、15歳になる1か月前のことでした。突然倒れて、そのまま入院。しばらく寝たきりで、目が覚めたら、自分の体がまったく動かなくて。

医師からは「脳幹部にあった血管奇形の一種である海綿状血管腫によるもの。もう昔のようには戻れない」と説明されました。

――どんな感情を抱きましたか。

頭が真っ白になって、何も考えられなかった。私の人生、終わった……と思いました。

両親もつらかったと思います。でも「一番つらいのはしぶきだから、しぶきの前では泣かない」って決めてくれていたみたいで、こらえながら伝えてくれたのを覚えています。

3歳年下の妹も「お姉ちゃんの前では泣くな」と言われていたみたいで、私の隣では一度も泣きませんでした。あとで聞いたら、待合室ではずっと泣いてたって。

――全く動かないところから、どうやって今の「左顔面麻痺・右半身麻痺」まで回復されたのですか?

呼吸器がついていたので、まずはそれを外すところから。昼間だけ外して、次は夜も……と段階を踏んでいきました。少しでも体を動かすとむせてしまって、大変でした。

次に「まずは水を一滴飲み込んでみよう」などのリハビリをスタート。でも、うまく飲み込めなくて、母と一緒に病室で大号泣したのを覚えています。

リハビリはつらかったけど、食べることが大好きだったので、 「もう一度、ごはんを食べたい」というモチベーションで頑張りました。

あとは妹の存在も大きかったです。障がいを持っても、私には変わらず接してくれて、ひたすら笑わせてくれました。友達にも特に隠したりすることはなかったみたいです。

――原因ははっきりしているのでしょうか?

詳しくは不明なんですけど、中2の夏に事故に遭っていて。自転車に乗っていたとき、十字路で車とぶつかって上に飛ばされて、頭を強く打ちました。CTも撮ったんですけど、「怪我はあるけど大丈夫だろう」で終わっていたんです。

でも、トラウマにはなっていないですね。私はかなりスピードを出していたので「自転車で爆走しない」という教訓になりました(笑)。

◆「普通に戻りたい」と思って普通の高校へ行くも……

――高校は、どんな学校を選ばれたのでしょうか。

普通の高校に、1年遅れて進学しました。「女子高生になりたい」っていう気持ちが強かったのと、まだ障がいを受け入れきれていなくて、障がい者向けの学校に通うのは“自分じゃない”気がしたから。私なら、難なくいける……そう思っていました。

もう話せるようにはなっていたけど、歩くのは難しかったので、歩行器を使って通ってました。

でも、通学を始めてすぐ、「私ってこんなにできないことが多いんだな」って思い知ったんです。

――どんなときにそう思いましたか?

授業の準備とか移動とか、みんなが普通にできることが、自分には何倍もの時間がかかる。みんなと話していても、声の大きさも、会話のテンポも、ついていけない。