相当なストレスがあった?

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 夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが俳優、歌手、タレント、芸人ら、第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第54回は今年の元旦になくなったアナウンサーの久米宏さんについて、峯田さんが長く抱いてきた「想い」を綴ります。

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仕事のストレスはどうするか?

「仕事のストレスは仕事で解消するしかないんです」 

 今年の元旦に亡くなった「ニュースステーション(Nステ)」(テレビ朝日)の元キャスター、久米宏(享年81)のこの言葉が忘れられない。久米にとっては精神的な支えになっていた言葉かもしれないし、筆者にとっても刺さった言葉だった。

相当なストレスがあった?

 Nステ内で発したものだが、「当意即妙」とか「調子にのり過ぎ」と評され、時におどけたり笑い飛ばしたりするひょうきんな面がある久米でも、ストレスを感じることがあるのかと意外な気がして、筆者はこのコメントをすぐにメモしたのを覚えている。おかげで強く記憶に刻まれた。

 一方で、仕事で悪戦苦闘していた筆者には「そうだよな」と、ストンと腑に落ちる言葉でもあった。ストレス解消のために遊ぶ、飲む……そんなことで物事は何も解決しないし、あっちにフラフラ、こっちにフラフラするしかなくなる。仕事の借りは逃げずに仕事で返し、結果を出す――といったところか。

 その後も、仕事に行き詰まった時などに反芻したが、それは今も変わらず。いわば座右の銘の一つである。

 訃報では様々な人がコメントを寄せた。その中で、久米を「反権力の人」といったニュアンスでとらえるコメントも多かったように思う。久米は著書『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(朝日新聞出版)でこう書いている。

〈ニュース番組である限りキャスターのコメントには一つの方向性が必要だ。どこに軸を置くか。ひと言でいえば、それは『反権力』だ〉

 だから「反権力の人」という言い方は当たっている。だが、これはキャスターとしてのスタンスであって、久米そのものではないと思う。

 確かに、戦中生まれの久米は平和主義者で、「自分なりの青臭い目標」の一つとして「自分が生きているうちに日本が再び戦争をしないようにすること」と常々語っていた。これは追悼番組で何度も流れた。

 こだわりという意味では、「平和の祭典」と言われる五輪に反対していた。日刊ゲンダイのインタビューで、21年に開催された東京五輪について語り、東日本大震災の復興途上にある日本は五輪よりやることがあると考えていた。その思いは強く、11年の震災直後、新聞社系の事業団に2億円を寄付している。

芯がある人

 筆者は久米のことを「信念の人」ではなく、「芯がある人」と思っている。

 反権力とか平和主義というと、そういう信念がある人と思われがちだが、それは思想信条で行動する人の考え方であって、久米の場合、「青臭い目標」がその前にもう一つある。〈僕たちは自由に発言し行動していいという生き方を伝えること〉(前掲書)で、優先していたのはむしろこちらの方だと思う。

「再び戦争をしない」という「芯」は何があってもブレない。しかし、「あの久米でさえこれだけ言うのだから、自分ももっと発言していいはずだ」と他者への寛容を大事にしていた。「反権力」だけでは言葉が足りない。

 余談だが、久米は普段から遊び心が満載だった。TBSラジオ「永六輔の土曜ワイドラジオTOKYO」時代にはリポーターとして、かまきりの姿揚げやマムシのぶつ切り、芋虫を食べたこともある。隠しマイク作戦ではピンサロ潜入ルポ、ホームレスに扮しての中継も経験した。高視聴率の「ぴったしカン・カン」や「ザ・ベストテン」はユニークなクイズ番組であり音楽番組だった。いわば自由人。

 だが、そんな久米がどうしようもなくストレスを抱え込んだのがNステだった。ニュースをショーとして見せるための工夫などは久米にはお手のもの。だが、負荷がかかったのはやはり政治絡みだろう。軌道に乗ってからは視聴率が20%を超えるお化け報道番組だから、当時は馬に食わせるほどNステ関連の原稿を書いた。

 とくに93年の椿事件(テレビ朝日の椿貞良・報道局長が、総選挙中に非自民党政権誕生を意図する報道を行ったと自ら発言して問題に)と、99年の所沢ダイオキシン問題(所沢市産の葉物野菜から、高いダイオキシン濃度が検出されたと誤報)。

 椿事件は細川政権時代の出来事だった。椿報道局長は「細川政権は久米宏と田原総一朗が作った政権だ」などと語ったのだが、自民党から反発は強く、「非自民政権の誕生を促すように現場に指示した」と問題視し、椿局長が国会で証人喚問される前代未聞の事態に発展した。

 もっとも、この時、矢面に立たされたのは椿局長であり、久米のストレスはそれほどでもなかったかもしれない。だが、ダイオキシン問題は「僕と番組に落ち度があり、テレビ朝日も番組も大きな打撃を受けた」(同書)と語った。「農家に大変なご迷惑をかけました。おわびします」と番組で謝罪することになった。

 この時ばかりはさすがに失態で落ち込んだに違いない。そんな時に、いい仕事をしてストレスを解消するしかないと思ったのかもしれない。

番組が終わるとまっすぐ帰宅

 キャスター時代の久米はストイックな生活を送ったことで知られる。前掲書によれば、

〈番組が終わると、スタッフたちとお酒を飲んだりせずにまっすぐ帰宅する。1週間に一度は自分が話したことをチェックするため番組の録画を見た。資料に目を通すため、朝の3時、4時までは起きているが、7時間以上の睡眠をとるようにした〉

 キャスターの筑紫哲也は、本番前にパーティーに顔を出したり、舞台を見たりしてから局入りすることがよくあったが(実際に何度か見かけた)、久米は自ら運転して局入りし、自宅と局の往復だった。趣味といえるのはゴルフくらい。飲み歩くこともせず、酒は寝酒にウイスキーをたしなむ程度だったそうだ。

 ちなみに、筆者は放送批評懇談会の会員で、同会が主催するギャラシー賞贈賞式でナマ久米宏を遠目に2回、目にすることができた。Nステを辞めて古巣のTBSで始めたラジオ番組が評価された07年のDJパーソナリティ賞受賞と、18年にNステの初代パートナー、小宮悦子と贈賞式で司会を務めた時だった。

 インタビューする機会がなかったのは残念で仕方がない。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部