『ファイナル・デッドブラッド』なぜシリーズ最大のヒットに? “死の描写”のリアリティ
予知によって大惨事から逃れた人々が、“死の運命”に襲われ次々と連鎖的な事故で命を狙われるホラー、『ファイナル・デスティネーション』シリーズ。日常の罠を創造的なゴア表現で描いたエクストリームなシーンの数々が、とくに若年層を中心に支持され、ヒットを続けてきた。
参考:『ファイナル・デッドブラッド』緊急劇場公開決定 R18+指定で10月10日より
2000年より始まったシリーズは、コンスタントに続編が作られていたが、5作目『ファイナル・デッドブリッジ』(2011年)で、その製作はストップしていた。今回公開された6作目の『ファイナル・デッドブラッド』は、およそ14年ぶりの新作である。だが、その条件が需要を高めたといえよう。近年のホラーブーム、インターネットを効果的に利用した宣伝の成功もあり、予想を超えた爆発的な支持を受け、シリーズ最大のヒットとなったのだ。
本作『ファイナル・デッドブラッド』は当初、日本では公開が見送られるはずだった。しかし世界的な大ヒットの状況と、日本公開を待望していたファンの声を受け、一部劇場での緊急公開に至ったのは、足を運べる環境にある映画ファン、ホラーファンにとっては喜ばしいことだ。日本でもホラーブームの最中とはいえ、近年は過激なゴア描写のあるホラージャンルの配給は、観客を選ぶとして敬遠されたり、ジャンルを限定しない宣伝がおこなわれることも少なくない。この度、R18+指定として本作が公開されたことで、一部劇場に観客が殺到している状況が生まれているのも興味深い。
ここでは、そんな本作『ファイナル・デッドブラッド』の内容を追いながら、なぜ本作がシリーズ中でも高い完成度へと到達し、多くの観客の心に響くことになったのかを考えていきたい。
これまでも、大きな事故などによる大量死を防いだことで、遅れて発動する“死の運命”から逃れようとする人々の奮闘が、シリーズでは描かれてきた。それは惨殺者が具体的なかたちで襲いかかる『悪魔のいけにえ』(1974年)や『13日の金曜日』シリーズなどに代表される、次々に若者たちが殺されていくスリルや流血を描くジャンルの変奏であり、一種の発明だったといえよう。
本作の物語の起点となるのは、「スカイビュー」と呼ばれる、劇中の世界にだけ登場する架空の細長い高層タワー。シアトルの「スペースニードル」を想起させる形状で、同様に円形の展望台がレストランとして利用される。1960年代の終わりに開業した当日、そのタワーは炎上、崩壊し、大勢の利用客が落下するなどして死亡する運命が劇中で描かれる。恋人とともにタワーを訪れたアイリス(ブレック・バッシンジャー)は、死から逃れようと奔走する。
舞台は、現代に移る。ステファニー(ケイトリン・サンタ・フアナ)は、そんな「スカイビュー」での惨劇の情景を、アイリスの視点から頻繁に夢に見ることで、大学生活もままならない状況に陥っている。彼女が見た光景は現実に起こったものではなかったが、じつはこの運命は、母方の祖母アイリスによって“回避された”ものだったと、彼女は知ることになるのだ。そして“死の運命”が、血筋を辿って自分や家族、親族に迫ってきている状況を理解し、命を奪われないよう尽力するのだった。
今回も、日常に潜む“死の恐怖”が次々に襲いかかってくる。親戚たちが集まったホームパーティーでは、ドリンクの氷にガラスが混入したり、トランポリンの下に鍬が投げ出されていたり、芝刈り機が無防備な状態で置かれているなど、危険な要素に満ちている。本作を鑑賞して、「家の中が恐ろしくなった」という声も聞かれるように、その描写には優れたリアリティがある。
このリアリティを下支えしているのが、可能な限り実写を使用した特殊効果だ。『ファイナル・デスティネーション』シリーズの魅力は、やはり死の瞬間の光景にこそある。映画界のトレンドとして、アナログやヴィンテージの“本物感”が重視されるようになった現在、本作はその意味で“アップデート”された最新型にチューンナップされていることになる。だからこそ、本作を鑑賞した直後は、エレベーターに乗ることすら躊躇してしまうくらいに恐怖心を植え付けられてしまうのだ。
さまざまなバリエーションの脅威に、ユーモアがふんだんに盛り込まれているところも見どころだ。リチャード・ハーモン演じる、タトゥースタジオの男性が、鼻ピアスが天井のシーリングファンに引っかかって引き込まれていく、一人相撲の過程は、大きなスケールに対する個人的な恐怖として楽しめるシーンとして機能する。
一方、「スカイビュー」のシークエンスは、もはや芸術的だといえるほど、圧倒的に完成度が高く、これだけでも本作を観る理由となり得るだろう。スカイビューレストランのセットは耐火仕様として造られ、消防の要員が待機する環境で、CGではない本物の火を使用しているのだ。一方、スカイビューと街の風景をリアルに表現するために、ドローン撮影によって街の広い範囲のデジタルデータを取得したスタッフは、CGによってさまざまな構図やカメラワーク、時間経過に対応する背景をデザインし、縦横無尽の大スケール撮影を可能にしている。このようなアナログ、デジタルの両面によるアプローチが、本作の価値を飛躍的に持ち上げているといえるのだ。
そして本作では、シリーズでお馴染みのキャラクター、ウィリアム・ジョン・ブラッドワースが、印象的な場面で登場する。演じているトニー・トッドは、『キャンディマン』シリーズでも有名な俳優。本作の撮影当時は闘病中で余命宣告を受けている状況にあったといい、実際、この出演が彼の最後の映画出演となってしまった。無理をして本作に挑んだことは、現場でも明らかだったことから、監督はトニー・トッドに、自身のメッセージをそのまま喋らせたのだという。
“死”は誰にでもやってくるものであり、病気や事故など、突然にそれが訪れることも珍しいことではない。本作のような“死の運命”という概念は映画だけのものだろうが、全ての人々が死から逃れられない運命にあることは事実である。そういった現実を直視することを、ラテン語では「メメント・モリ(死を忘れるな)」と言い、修道士が身のまわりに骸骨を置いて常に死を意識するなどの風習につながっている。そういった意味では、本作『ファイナル・デッドブラッド』は、われわれ映画の観客にとっての「メメント・モリ」であり、“死を思い出す”ための骸骨といえるのではないだろうか。(文=小野寺系(k.onodera))

