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特ダネを狙う記者と情報操作を考える官僚――国民に情報が届くまでに水面下で行われている攻防とは。元外務省主任分析官の佐藤優氏、そして元朝日新聞編集局長の西村陽一氏が、お互いの手の内を明かした『記者と官僚』より、一部抜粋してご紹介します。取材されるにあたり、やりやすい記者とやりにくい記者がおり、特に正義感の強い記者は重要な存在だったそうで――

【書影】33年の攻防を経て、互いの手の内を明かした前代未聞の「答え合わせ」『記者と官僚――特ダネの極意、情報操作の流儀』

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「国益」と「国民の益」

西村 正義感の強い記者を搦め捕る――いや、説得するにあたっては、どんな方便を使うんですか?

佐藤 記者は「国益」という言葉に弱いという実感がありますね。

西村 なるほど。国の益は政府だけではなく、国民の益でもある。だから、知る権利への貢献をとことん貫くことと「国民の益」は一致することもあるのだけれど、官僚に言われて、両方を天秤にかけ、官僚側のレトリックに傾いてしまうという傾向もままあるのかもしれない。

佐藤 自分としては意外だったけど。というのもキリスト教では、教会は国家と緊張状態にあるものと教えられているし、私は高校生時代に社青同(日本社会主義青年同盟)で活動をしていて、国家なんてろくでもないものだと思っていたから。

西村 私個人の経験では、国益を盾にされてすんなり引き下がったことはない。むしろ政府が国益を振りかざすことがいかに危険なことかという思いがある。

メディアが政府と一体になって国益を合唱する場合は特に。それは戦前、戦中の例、私がいた朝日の当時の報道も含めて。報道が国益に沿うものでなければならないとか、愛国的報道がどうあるべきとか、政府が決めるものではないですよね。

記者が個人として、メディアが組織として、自分の頭で考えて考え抜いて、読者と国民に説得力ある言葉で「国益」と「公益」について伝えられるかどうか、その判断が後世の審判に耐えられるかどうか、ということだと思います。

記者と官僚の同質性

佐藤 西村さんはそうだよね。でも大新聞社の記者ほど、国益という言葉に弱いイメージがあるよ。それもエリート的な同質性なんだろうけれど。

そういう意味では週刊誌やフリーランスの記者のほうが、大新聞の多くの記者よりも手強(てごわ)かった。なんせ、国益なんか知ったこっちゃねえ、日本の外交がどうなろうと俺が飯を食うために取材してるんだ、っていう生活者の論理が強い。軸が強固にある。彼らにとって関心があるのは真実かどうかだけ。ガセネタを記事にしたら次から仕事が来なくなるから。

ただこちらとしては本当に差し支えがあると困るから、そういうタイプはとても面倒だった。

西村 週刊誌やフリーランスにはない、記者と官僚の同質性、特にここでは「エリート体質の同質性」ってやつが顔を出してくるんだね。佐藤さんが国益を盾にして記者を説得した例ってある?

佐藤 たくさんあるよ。たとえば、情報公開の一端で、外務省のある職員が某新聞社の記者に間違えて機密書類を渡しちゃったときに、大事にならないよう手を打ってもらったとか。

情報が漏れた時の対応方法

西村 ここで話せる?

佐藤 話せる。新聞社と記者の名前は伏せるけど。

何せ漏れてはいけない情報が漏れたわけで、報道課では手に負えず、総務課に話が行ったんだ。それを聞いて当時総務課の首席事務官だった秋葉剛男さん(のちの国家安全保障局長)は真っ青。当時私は秋葉さんとあまり面識はなかったんだけど、私がその記者と面識があるということで呼ばれていった。

その記者は酒癖がよくなくて、いくつか個人的なトラブルを起こしていた。そこで私は秋葉さんに「脅しますか?」と率直に聞いた。「脅すネタならいくつかあります」と。でも秋葉さんは立派だからさ。「佐藤さん、脅すという手段はやめよう。情報を漏らしてしまったこちら側が悪いんだから」と言ったんだよね。

西村 ずいぶんと紳士的だね。

佐藤 それからペンタゴン・ペーパーズの件(1945年から1967年までのアメリカのベトナムへの政治的、軍事的関与を記した文書。極秘文書だったが1971年に文書を書いた一人のダニエル・エルズバーグがニューヨーク・タイムズ紙にコピーを渡し、同紙が一面に掲載、ベトナム戦争の舞台裏を暴く一大スキャンダルとなった)を例に出して、「記者としては、情報を知ったら書かないといけない。それが仕事だから。

しかし、この情報が一面に出たら、この先仕事がしにくくなるのは現場の佐藤さんたちだ。だからそこは脅すという方向ではなく、誠実に話し合い、お願いベースで扱いについて配慮してもらえるようになんとかならないか」と。

西村 外務省からジャーナリズムの金字塔のペンタゴン・ペーパーズを持ち出してくるとは驚いた。しかし、だんだん「ロジック」がわかってきたぞ(笑)。

善人のふりをして国益を盾にする

佐藤 そこで私が「つまり、善人のふりをしろ、ということですね」と確認したら「まあ、そういう言い方もあるかもしれないけれども」と。

西村 なるほどね(笑)。それでお願いベースで話し合いをしたんだ? でもその記者としてはそれほどの特ダネは惜しいに決まっているでしょうね、いくら公にしたくない行状を佐藤さんに握られているとは言っても。

佐藤 そこで国益を盾に誠実な交渉をするんだよ。まず小さな部屋に呼び出して、二人きりで静かにコーヒーを飲みながら仕事上の苦労の話をする。そして少し経ったところでおもむろに切り出すわけ。

実は、あなたたちに間違えて内密の文書を渡してしまったと聞いている。記者として、情報を得た以上は書かなければいけない使命があることもよくわかる。

しかしそれがそのまま大きく扱われると、日本外交において本当に実害がある、って、事実を淡々と話した。

「国益」の認識を徹底する

西村 それで記者は納得した?

佐藤 おっしゃることはよくわかりました、って納得してくれたよ。ただし記者として知った以上は全く書かないわけにはいかないと。結局翌々日に出た記事は三面の社会面で、記事としても扱いが小さかった。秋葉さんに、よくここまで抑えることができたねって言われたな。

西村 なるほど、その「善人のふりをした説得」において「国益」という考えを利用したわけだね。でも、もし私が説得される側で「国益を損なうからやめてくれ」と言われたとしても、すぐに「そうですか」とはならないなあ。

本当に国益を損なうのか、それはどのような「益」なのか、それが国民にどういう影響を与えるのか、まずはその確認を徹底して求めると思うよ。

佐藤 それはそうだよね。

西村 その記者も当然検証はしたとは思うけれど。やはり佐藤さんがいろいろ脅せるネタを持っていたことも暗に効いたということだろうか?

佐藤 そこはよくわからない。

※本稿は、『記者と官僚――特ダネの極意、情報操作の流儀』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。