Tシャツ1枚とショートパンツ姿の「最高の彼女」から、元恋人と関係を続けてしまう「大人の女性」に…男たちが奪い合っている、長澤まさみの“本当の姿”
「我こそはこの女優を一番輝かせることができる」というような創作意欲を燃やす対象に成り得ることが、女優の魅力のひとつである(あえて女優と表記する)。
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長澤まさみはいま、多くの監督や演出家や作家が「我こそは長澤まさみを最も輝かすことができる」と、世界の秘宝のごとく奪い合っている存在なのではないだろうか。長澤まさみ主演、三谷幸喜監督の映画『スオミの話をしよう』に登場する5人の男たちを見ていると、彼らを映画監督や演出家に置き換えてみることが可能であるような気がするのだ。
長澤まさみ ©時事通信社
男たちの前でまるで違う姿を見せるミステリアスな女性
『スオミの話をしよう』で長澤まさみが演じるスオミは名前からして謎で、さらに変幻自在のミステリアスな女性である。5人もの夫と、結婚と離婚と再婚を繰り返し、現在は詩人の大家(坂東彌十郎)の妻に収まっている。あるとき彼女が行方不明になり、捜査に来た刑事のひとり(西島秀俊)が彼女の元夫。その上司(小林隆)も元夫。詩人の屋敷で働いている庭師(遠藤憲一)も元夫。身代金を出してくれるYouTuber(松坂桃李)も元夫であった。
タイプのまったく違う5人の元&現夫たち、各自が抱くスオミの印象はまるで違うものだった。刑事との結婚生活ではスオミは料理を夫任せにしていたが、詩人との結婚生活ではスオミはまめまめしく料理を作っている。刑事の上司は彼女を中国人と思い込んでいて、会話を中国語で行っていた。庭師はスオミの学生時代の教師で、その頃の彼女は年下だけれどものすごくドSであった。いったいどれが本当のスオミなのか。そしてスオミが最も愛した男性は誰なのかーー。5人の男たちはときどきマウントをとりあいながら一致団結してスオミを探す。
ひとりの人間が相対する相手によってまるで別人のようになるというテーマは珍しいものではない。古くは芥川龍之介の『藪の中』にはじまり、多面性を駆使する女性の魔性を描いたものとしては有吉佐和子の『悪女について』が何度も映像化されてきた。ひとりで何役も演じ分けるという趣向は、俳優としては挑戦しがいがあるだろう。
ただ、長澤にとって、ひとり複数役を演じるのは『スオミ〜』がはじめてではない。『スオミ〜』を見た観客のなかには、長澤まさみの代表作『コンフィデンスマンJP』(脚本:古沢良太)のダー子を思い出した者も少なくなかっただろう。
ダー子は狙ったお宝のために様々な扮装をして相手を騙す信用詐欺師だ。古沢良太は、ダー子の生い立ちを一切描かず、ミステリアスな存在に徹させた。彼女が詐欺師を生業としている理由を匂わせるシーンでも、それすらも虚偽ではないかと、のり代を残している。いかようにも変身し続けるダー子はいい意味で空虚な依り代のようなもので、どんなキャラにも入れ替え可能な存在であることがますます彼女の魅力を増幅させた。いわばキューティーハニーみたいな感じである。
その瞬間だけ刹那的に生きるダー子を長澤まさみはハイテンションで生き生きと演じていた。ただ、演じ分けは難しいものとはいえ、映画やテレビドラマであれば、ヘアメイクや衣裳でキャラの違いを際立たせたうえで、別々に撮影すればなんとかなる。なんなら照明や映し方を変えればいい。それを『スオミ〜』の三谷幸喜は、ノンストップが信条の演劇人らしく、長澤の演じ分けに負荷を与えている。
ある場面で、スオミがこれまで演じてきた様々なスオミを一気に見せるワンシーンがある。そのシーンこそが『スオミ〜』が『コンフィデンスマンJP』と違うところだ(ダー子はダー子で変身キャラの最高峰であるが)。
ただただ一生懸命、誠実に何通りものキャラを演じる長澤まさみ。たぶん現場ではものすごく汗をかきかき演じていたと思う。5人の夫たちはこの場面のためだけに用意されたといっても過言ではないのではないか。三谷幸喜はきっと「俺の考えた、一生懸命が透けて見えるこの長澤まさみが一番、輝いている」と自負しているに違いない(あくまで想像です)。
観客の見守るなか…愛人に華麗に早変わり
そんな舞台的な演出が成功した『スオミ〜』だが、長澤まさみはすでに舞台でも華麗なる早替えを演じていた。野田秀樹がドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を下敷きに、日本を舞台に置き換えて描いた『正三角関係』(2024年7月〜11月)で長澤は2役を演じた。主役の三兄弟の末弟で聖職者の唐松在良と、長男の愛人で奔放なグルーシェニカという両極端な2役である。長澤まさみは2024年の夏、まるで違う役を演じ分けることに取り憑かれているのではないかと疑うほどの勢いで、映画と舞台それぞれで演じ分けを行っていたのである。
『正三角関係』には舞台ならではのマジック的な演出があり、観客の見守るなか在良は一瞬のうちにグルーシェニカへ華麗に早変わりする。ややおどおどしておとなしく、体の線を拾わない衣裳を着た在良と、白くて細長い手足をむき出して、のびのびと怖いものなしに振る舞うグルーシェニカはまったく別人である。10月31日〜11月2日までロンドン公演があるが、はたしてイギリスの人たちは長澤まさみをどう見るだろうか。
長澤まさみでコメディを描いた古沢良太と三谷幸喜に対して、野田秀樹は長澤に象徴的なものを託す。ダー子とスオミは欲望に突き動かされている人間だが、在良は様々な欲望が渦巻く世界下の禁欲的な聖職者で、グルーシェニカは人間の欲望を駆動する対象である。
野田は以前、筒井康隆の『毟りあい』を下敷きにした『THE BEE』で長澤に、男性に暴力で屈服させられていく女性の役を与え、演じる長澤はその身体に男性の欲望の犠牲になる女性の哀しみを滲ませていた。野田は「人間の欲望を掻き立てる役を演じる長澤まさみこそ輝いている」と思っているに違いない(あくまで勝手な想像です)。
「生々しい長澤まさみ」といえば大根仁
野田秀樹、三谷幸喜、古沢良太と長澤まさみを魅力的に描く作家を3人あげた。もうひとり、長澤まさみを描いたら日本一ではないかというクリエーターがいる。おわかりの方もいるだろう。あの人だ。大根仁である。大根こそ「俺こそは」と思っているに違いない(あくまで想像です)。
記憶に新しいのは22年に放送された連続ドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』(フジテレビ系 カンテレ制作、脚本は渡辺あや)である。善一辺倒でも悪一辺倒でもない、人間のグレーな部分を描いた傑作で、長澤は冤罪事件に立ち向かうアナウンサーを演じた。局アナである以上、局のやり方に従うしかないこともありながら、ジャーナリズムが政治(国家権力)に屈することに抗い、自分の正義を信じようとする姿は多くの視聴者に支持された。はっきり言葉に出せないことが溜まって吐き気を催す懊悩や、かつての恋人が悪に加担していることを知りつつ、心身共に拒絶できない葛藤を演じる長澤を、大根はひじょうに生々しく撮った。
「生々しい長澤まさみ」といえば大根仁。映画『モテキ』(11年)でも、長澤がTシャツとショートパンツで主人公の部屋にいる姿は、多くの男性観客に「こんな彼女がいたら」と熱望させた。グラビアや写真集における「最高の彼女」的な長澤まさみを映像に撮ったら大根の右に出る者はいないと思わせてから11年、『エルピス』では、男性視点の「最高の彼女」像から脱し、「自立した女性」を演じる長澤を撮ったのである。
そして、いま、長澤まさみは、男性たちを手玉にとりながら、決して彼らの手に入らない幻のお宝のような役を演じて燦然と輝いている。
近年の長澤は『エルピス』をはじめとして、映画『MOTHER マザー』や『ロストケア』など、社会派作品にも多く出ている。出自は東宝シンデレラで、どちらかといえば清純派。きれいでさわやかなヒロインキャラを求められてきたのではないかと思うが、今はそういう路線も守りつつ、社会の裏側を見つめるような役にも果敢にチャレンジしていて、バランスがいい。以前、長澤にインタビューしたとき、演じるジャンルについてどう思っているのか聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。
「私が好んで人間を深く識る作品を意識的に選んでいるかと問われたら、そういうわけでもないんです。人間が多面的であるということはデフォルトであり、深く人間を理解しようとすればするほど、多面性がどんどん浮き彫りになっていくものだと思うんです」(「mi-mollet」2024年4月25日 長澤まさみ「乗せ方がうまいから隠し持った本音がつい出てしまうんです」より)
社会派な作品もエンタメも好きで、「社会性のある作品であろうと、エンターテイメントであろうと、演じる役を深く掘っていくことは結果的には同じ作業だと思っていて、俳優として役を演じる上では、ジャンルは意識していないんです」と語る長澤は、「作品のために、作家や監督が作りたい作品を成立させるために存在している立場に居たい。いろいろな役を演じられるスキルや感性を持って芝居に臨むだけなんです」と俳優としての矜持を語っていた。
この答え、まさにスオミではないか。夫ごとに変わるスオミの姿は、求めてくれる人のために精一杯、期待に応えようとしたために生まれた。つまり現時点では、三谷幸喜が「長澤の人間らしさ」に肉薄したといえるかもしれない。あくまで一般論だが、美しい女優は、あるとき、美しさだけでは満足できず、実力派という称号が欲しくなる。とりわけ器用な人は、私、かわいいだけじゃないんです、いろいろな役ができるんです、コメディも得意です、という自負が透けて見えることがある。だが、長澤まさみにはそれがない。謙虚さが、いい作家、演出家との出会いを呼ぶのではないだろうか。
長澤まさみを輝かせる4人のクリエイターの名前をあげたが、5人めは、空白にしておこう。
(木俣 冬)